#AQM

I oppose and protest the Russian invasion of Ukraine.

#ルックバック 【完】 評論(ネタバレ注意)

小学四年生女子の藤野は毎週の学年新聞で4コマ漫画を掲載し、クラスメイトにチヤホヤされて調子こいていた。

が、担任に言われて4コマ掲載の枠を一つ、不登校の同級生女子・京本に譲ったところ、京本は圧倒的な画力の作品を掲載。藤野は京本に対抗しようと努力するも敵わず、不登校の京本と出会うことのないまま小学校卒業を迎える。担任の依頼で卒業証書を届けに京本の家を初めて訪れた藤野は…

f:id:AQM:20211229000447p:plain

「ルックバック」より(藤本タツキ/集英社)

というガール・ミーツ・ガールから始まる、絵を描くことに青春と人生を費やした2人の少女の、青春もの。

「チェンソーマン」などで知られる人気作家による150ページ足らずの中編で、発表されたジャンプ+の閲覧数記録を更新したという話題作。

終盤の展開が京アニの事件とそれに対する作者自身の心象をモチーフにしていることが明らかで、その事件の描写のされ方が一部で物議も醸しました。

f:id:AQM:20211229000431p:plain

「ルックバック」より(藤本タツキ/集英社)

 

京アニの事件については、当時自分は何を語ればよいのか全然わからなくて、こんな記事をアップして、

aqm.hatenablog.jp

そのあと人生で初めての十万円単位の寄付をして、対外的にはそれだけでした。

弔意の表明と金を出すこと、それしかできませんでした。

 

2年の時間がかかりましたが、事件に対して藤本タツキが事件と心象を作品で語った、という側面が、この作品は強いです。

こうして自分の心象を作品に昇華できる漫画という表現手段を持つ漫画家という職業に就いている皆さんを、「ルックバック」を読んであらためてとても羨ましく思いました。

あるいは漫画家も藤本タツキに対して同じように思うのかもしれません。

「ルックバック」のような作品を描くことは誰にも可能でしたが、「ルックバック」を描いたのは藤本タツキでした。

f:id:AQM:20211229000359p:plain

「ルックバック」より(藤本タツキ/集英社)

「20代で『ルックバック』を描く作家がいるなんて絶対に許せない!」と思っている漫画家がもしかしたらいるのかもしれません。

 

心象の表現をあまり言葉に頼らない作品なので、いちいち言葉で語ることがどうにも野暮に蛇足に感じられ、ストーリーの話をあまりする気になれません。

漫画読みゃわかるようにできてるのに、俺が「泣いた」とか、そういう話、要ります?

単行本の9月の発売日に買ったんですけど、感想ブログに何を書いても野暮で蛇足な気がして先延ばしにしているうちにもう年末になってしまったので、あきらめてストーリー以外の話をします。

 

過去作「ファイアパンチ」「チェンソーマン」でわかるとおり、大変な映画好きで造詣が深いことで知られる漫画家ですが、映画の「画」、漫画の「画」、「画(え)」の力を「伝わるはずだ」ととても強く信じている作家なんだな、と思います。

特に感情の表現において、大切な場面ほどモノローグやセリフなどの言葉の量を少なく、代わりに映画で言うところの俳優の演技に当たるキャラクターの表情や動作、構図、「背中」などで伝えようとする演出。

f:id:AQM:20211229000413p:plain

「ルックバック」より(藤本タツキ/集英社)

ネガティブな疑問や自問自答はセリフやモノローグで言葉にされるのに、それに対する答えは言葉にされることがありません。

「キャラの感情を漫画上で一度言語化して受け取った読者が言語から感情を再構成するよりも、せっかく絵があるんだし、言語を通さずに感情をそのまま絵で読者に届けた方が伝わらない?」

と真顔で思っていそう。

f:id:AQM:20211229000506p:plain

「ルックバック」より(藤本タツキ/集英社)

近年はモノローグや決めゼリフの詩的で情緒的な「言葉の力」で読者の感情をエモーショナルに動かす作品が隆盛する中、この作品では重要な感情や思考が言葉で表現されない分、想像と解釈の余地は深く広く、良し悪しやレベルの高低ではない意味で、商業漫画を別のステージに連れて行こうとする試みにも見えます。

読者としては末々が楽しみですが、仕事のハードルをこんな風に上げていく同業者がいたら、私は嫌です。

f:id:AQM:20211229000524p:plain

「ルックバック」より(藤本タツキ/集英社)

この先、漫画を描いて発表していく上で、経済的な動機は既に薄くなっているんじゃないかと思われ、あるいは表現者として好きに描いて、私を含むマスから「難解な作家」と評価されるようになっていく、現在がその分水嶺なのかもしれないな、と思ったりもします。

ジャンプ系の林編集が唯一の凧の糸で、そこが切れたら風に任せてどこかに飛んでいっちゃいそう、というか。

やー、どこかに飛んでいっちゃう奴が「ルックバック」なんて言わねーか。

 

aqm.hatenablog.jp

aqm.hatenablog.jp

#ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~ 4巻 評論(ネタバレ注意)

師事する異種言語学の教授が腰をやっちゃったので仕事を引き継いだ人間の青年・ハカバ。調査のために気球で魔界へ。まずはワーウルフの集落へ。ワーウルフと人間のハーフの女の子・ススキをガイドに魔界調査旅行。

モンスターたちのおおらかでいい加減でのほほんとした社会。

見てたら実は魔界の中でも種族が違うと言葉あんまり通じてないんだけど、「まあ、なんとなくでいいか」的なテキトーなコミュニケーションが異文化交流の初期っぽくて全体的になんか可愛い。

f:id:AQM:20211229041957p:plain

「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

冬の村にススキと共に滞在したハカバは村に住む様々な種族とのコミュニケーションに悪戦苦闘しつつ、教授の残した手記から、無意識に目を逸らしていたある事実に気がついてしまう。

気づいた事実と将来起こるであろう事態を重ね合わせて、ハカバは暗澹たる気持ちを抱くが…

言語が概念を規定した結果、昔はなくても生きていけたはずの言葉や概念に人間の思考や感情が振り回される、というのは現実の人間社会にも見られ(日本人にとっての「愛」の概念、とかよく言われますが)、昨今、自分が特に強く感じる一例は「オタク」という言葉が規定し損なっている概念です。

自分の主観から見た「オタク」という言葉が規定する概念は、もはや広さ・深さともに誰も収拾がつけられないほど広範に拡大したように見えます。

f:id:AQM:20211229042011p:plain

「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

結果、昨今ネットの一部では「オタク」という言葉が便利に悪魔化されてオタクでいるだけで自動的に糾弾の対象になったり、あるいはあるべき「真のオタク」の姿を巡って論争やマウント合戦が繰り返されるなどしています。

自分は一応オタクを自認する一人ではあるんですが、昨今はネットを見ていると割りと精神的に流れ弾に被弾することが多く、「オタクという言葉と付随する物語(アイデンティティ)の誕生は、総合してオタク達自身を幸福にしただろうか、不幸にしただろうか」などと考えてしまいます。

「言葉が豊かであること」は一見それこそ豊かで美しいことのように見えますけど、何事も無謬ということはなく「毒にも薬にもなる」というように、醜い言葉・生まれなかった方が良かった物語、というのはあるんじゃないかと、自分は少し思っています。

f:id:AQM:20211229042024p:plain

「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

作中、ハカバは魔界の住人達が物語を共有する術を持たないことに将来を危惧し暗澹たる思いに陥っていますが、彼が真に心配するべきは魔界ではなく彼が住む人間界の方なんじゃないかと、「オタク」という言葉に振り回される昨今のネット界隈を見ていると考えてしまいます。

「戦争」という概念を持たず理解できない魔界の住人は、一面では脆弱かもしれませんが、それも含めてそれは果たして不幸なことなんだろうか。

魔界の住人たちの営みを見ていると、なんだかハカバたち人間が持つ言語と概念の豊かさが、ただの虚しいバズワードの繰り言でしかないような気が。

冷笑的、無責任、かっこつけ、あるいはフリーライド的な間違った態度なのかもしれませんが、自分は「オタク論」の消耗から少し距離を置きたくて、自分は「真のオタク」じゃない「ただの漫画好き」でいいし、なんだったら「漫画好き」などとアイデンティフィケーションされなくても漫画は読めるし、「オタク」という言葉がまだなかった頃みたいにただ好きな漫画の話がしたい、とか思ってしまうんですが。

f:id:AQM:20211229042037p:plain

「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

魔界の住人にも自分達に名前をつける種族とつけない種族がいるなど、なんだか示唆に富んでいて面白いですね。

なんの予告もされていませんが、この作品の完結はそんなに遠くないような気もするんですが、どうオチをつけるんでしょうか。

次巻で教授の至った境地がおそらく描かれることになるんだと思いますが、とても興味深く、楽しみです。

 

aqm.hatenablog.jp

#ベルセルク 41巻 【未完】 評論(ネタバレ注意)

大剣を携えた黒衣の剣士・ガッツを主人公にしたダークファンタジー。

ファンタジーRPGゲームで例えるなら、ドラクエ・FFなどが代表するJ-RPGではなく、完全に洋モノ。

猫と虎の赤ちゃんを見分ける上で、将来体躯がデカくなる虎の赤ちゃんの手足は既にぶっといので一目で見分けがつくように、最初っから一目で手足のぶっとさが理解できた作品。

f:id:AQM:20211227214825p:plain

「ベルセルク」41巻より(三浦建太郎/白泉社)

デカいスケール、緻密な作画、恐ろしい展開、残酷な描写、「周りに誰もいないところを走っている」漫画の一つ。

2002年、第6回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞。

遅筆で休載が多いことでも知られながらも、「あの作画じゃしょうがねえ」と作画の精緻さによって遅筆が理解され許されてきた稀有な作品。

それと引き換えに冗談混じりに「完結前に作者か読者が死にそうな漫画」の話題の度にリストに名を連ねてきた作品ですが、ご存じのとおり作者の三浦建太郎が今年の5月に死去。

今月発売の新刊、今巻が遺稿、作者本人の筆による最後の巻になりました。

未完。

 

死んだ漫画家はたくさんいますが、作品連載中に死去した漫画の作品について、開設4年目になるこのブログで扱うのは、藤原ここあの「かつて魔法少女と悪は敵対していた。」以来、2作品目になります。

aqm.hatenablog.jp

ご家族・ご友人や漫画・出版関係者の皆さんと違って、「ベルセルク」という作品を挟んで「1対n」の関係でしかない、面識がなく存命中のお人柄を存じ上げない一読者でしかない身にしてみれば、訃報を聞いて最初に思ったことは不謹慎なことに「ベルセルクの続きがもう読めない」でした。

ベルセルク公式ツイッター on Twitter: "【三浦建太郎先生 ご逝去の報】 『ベルセルク』の作者である三浦建太郎先生が、2021年5月6日、急性大動脈解離のため、ご逝去されました。三浦先生の画業に最大の敬意と感謝を表しますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。 2021… https://t.co/cG158n6Dlv"

作者の死や自分の死によって完結を見届けられない作品がこの先も年々増えていくんだろうなあ 死にたくねえなあ 死んでほしくねえなあ

2021/05/20 13:07

b.hatena.ne.jp

自分が「ベルセルク」の完結を見届けられるかどうかは五分五分ぐらいかなあ、と思っていたんですが、天秤がこんなに早く傾くとは思っていませんでした。

享年54歳とのことです。

 

今巻ですが、作者の逝去後も編集とアシスタント陣の執念で仕上げて刊行されたとのことで、作画は過去巻に勝るとも劣らず精緻で見応えのある描写。

グリフィスの現在、キャスカの復活、黒い鎧の「前の持ち主」の最期、黒い髪の少年の意外な正体。

クオリティが高く展開も見どころがたくさんありつつも、長編作品の「途中から途中」の小康状態を描いた巻なので、他の巻との比較やバランスで考えても単巻で絶賛するほど面白い巻ではないです。もっと面白い巻は他にあったし、長いストーリー漫画にはこういうタメの巻もあって、それは必要です、という。

初見の正直な感想は「なんつー続きが気になるとこでお亡くなりに…」という。

読者が無念なら、作者本人が一番無念でしょうが。

f:id:AQM:20211227214738p:plain

「ベルセルク」41巻より(三浦建太郎/白泉社)

どやって描いたのコレ? 手で描くの('A`)?

もとは文芸作品なのか映画なのか、「完結前の作品を良くも悪くも評するべからず」という風潮というか、考え方があります。

あるいは「作家は作品を最後まで書き上げてこそ一人前」とも。

未完の作品は、この後つまらなくなる可能性も面白くなる可能性もあってまだ確定していないので、評価を定めてはならない、という合理的な考え方だと思います。

ただ、単刊や上下巻などのパッケージで完結する文芸作品や、2〜3時間でエンディングを迎える映画にあって合理的な考え方が、完結までに数年〜十数年、下手したら数十年かかることもある漫画作品群に果たして当てはまるものなんだろうか、とずっと疑問に思っています。

自分も漫画作品が長大化・長期化の一途を辿るのは割りと否定的で、読み切りや短話完結形式で短く完成度が高い漫画作品や、手頃な巻数で完結する作品がもっと評価されて良いと常々思っている方なんですけど、

f:id:AQM:20211227214803p:plain

「ベルセルク」41巻より(三浦建太郎/白泉社)

じゃあこの代表作たる未曾有の大作を未完のまま遺した三浦建太郎という作家が半人前のまま死んじまったか、というとそうは思えないんですよね。

未完に終わることがわかっていれば最初から「ベルセルク」を読まなかったか、というと、わかっててもやっぱ読んだよ。面白い漫画を読まないのは損だもん。

「漫画作品の評価はどうあるべきか」を考えるにあたって、「では未完に終わった『ベルセルク』をどう評価するのか」という視点は、ベンチマークの一つとして割りと重要な示唆を含んでいるように思います。

 

もう一つあらためて思ったのは「作家が作品を創って世に送り出し、読者がそれを受け取って読む」という、システムの脆弱性です。

当たり前のことなんですけど。

人一人死んじまったらもうそれだけでこれほどの大作、これほどの人気作の続きが読めなくなってしまうことを考えると、毎月アホほどウンザリするほど出てる漫画の新刊の一冊一冊は、実は奇跡のような綱渡りの産物だったんだなー、と。

もったいないから、がんばって長生きして漫画いっぱい読むわ。

 

掲載されていたヤングアニマルを毎号読んで連載を追っていた時期もありましたけど、休載が多かったのでやがてその習慣もなくなってしまった作品でした。

が、数年に一度出る単行本は欠かさず買って読んで「やべえ前巻の話もう憶えてねえ」とか思って読み返したりしながら、「一生こういう付き合いをしていくんだろう」と思っていた作品の一つでした。

f:id:AQM:20211227214841p:plain

「ベルセルク」41巻より(三浦建太郎/白泉社)

「安らかに眠ってください」と言うべきところではありますけど、あの世で続きを、できれば自分が死ぬまでに30巻分ぐらい書き溜めておいて欲しいなあ、と思います。

あなた漫画描く人、わたし漫画読む人、もう業というか、作品自体もこんな業の深い漫画だしね。しょうがない。

「死んだらあの世でベルセルクの続きが読める」と思って、楽しみにしています。

 

aqm.hatenablog.jp

aqm.hatenablog.jp

#らーめん再遊記 4巻 評論(ネタバレ注意)

「ラーメン発見伝」の続編の「らーめん才遊記」の更に続編の現作。

シリーズ未読の方にものすごく雑に説明すると「ラーメン版『美味しんぼ』」みたいな作品群。

脱サラして開業したラーメン店が苦節を乗り越えて成功し事業を拡張、ラーメン店向けに始めたコンサル業も順調、メディアにも露出しラーメン産業を盛り上げてきた立役者の一人と認められ、職人・経営者としてラーメン業界を代表する第一人者となった芹沢。

f:id:AQM:20211228013213p:plain

「らーめん再遊記」4巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)

ラーメン業界の世代交代と新たな時代の到来を前に、なぜか芹沢はやる気が出なかった…

雑に説明すると、自らの原点に立ち返った王が、自ら育てた天才児にその玉座を禅譲し、自らは放浪の旅に出る、的なそういう話です。そういう話をラーメン業界で。

職人・経営者のトップとしてラーメン業界の頂点に立ちそこから降りた主人公が、身分(?)を隠して大手チェーンのラーメン屋にバイトとして潜り込んで店舗内の若手のいざこざに首を突っ込んでみたり、山の頂上から見下ろしていたラーメン業界の裾野を歩いて回る話。

今巻は、前巻以来のラーメン自販機対決の続き。

ほっとくとすぐ対決するなこのシリーズ。

f:id:AQM:20211228013147p:plain

「らーめん再遊記」4巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)

かつて味を競ってその後落ちぶれたライバルの、ラーメン職人としての終活。

自分を捨てて客とラーメンに向き合った初老のラーメン職人が至った境地。

後半のテーマは「背脂チャッチャ」系をテーマに、

f:id:AQM:20211228013238p:plain

「らーめん再遊記」4巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)

なんだこの展開。

そして語られる、芹沢とかつての因縁の商売敵ならぬ「因縁の敵」の過去。

過去のやらかしとはいえ、主人公が…主人公が…

f:id:AQM:20211228013226p:plain

「らーめん再遊記」4巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)

人間のクズすぎます…w

あまりにもナチュラルにクズなのがまた、ラーメンハゲらしいわw

全体的に芹沢自身、やってること社長時代とそんな違うか?という気もしますけど、

f:id:AQM:20211228013200p:plain

「らーめん再遊記」4巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)

本人も作者もしがらみなくフラフラできて楽しいそうなので、まあ何よりです。

 

aqm.hatenablog.jp

#GIGANT 10巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

AV女優・パピコと映画監督志望の高校生・横山田のボーイミーツガールに、未来ガジェット巨大化ツールや超常現象いたずらサイト「ETE(enjoy the end)」が絡む不条理SF。進撃の巨乳。

ETEにより新宿に現れた3体の巨人「サタン」。死刑の恩赦と引き換えに自衛隊と協力し未来ガジェットで巨大化して素っ裸で撃退したパピコ。一躍国民的ヒーローとして超人気タレントに転身。一方アメリカは巨人の駆逐に失敗し、国土を蹂躙される。

アメリカを蹂躙した巨人"サタン"は太平洋を渡って日本に上陸。謎のパンツ一丁の軍人たちがサタンを迎え撃つ中、パピコは横山田の子を妊娠していた…

f:id:AQM:20211228003207p:plain

「GIGANT」10巻より(奥浩哉/小学館)

今巻で完結。

「B級ノリ」が好きな作家性が遺憾無く発揮された漫画で、ショッキングな絵と「この先どうなるの?」という、正しく漫画らしい興味で強力に読者の目を惹きつける作風。

反面、無理に美談に持っていかない主義というか、描きたいシーンを描き切ったら「読後感なんか知るか」「今まで面白かったんだからいいだろ」と、読者の「キャラに幸せになって欲しい気持ち」みたいなもの、「オチをつける」的なことは投げっぱなしジャーマンで放り投げる癖があるようにも思っていた作家。

f:id:AQM:20211228003221p:plain

「GIGANT」10巻より(奥浩哉/小学館)

なんかどっか「物語」というものに斜に構えてる印象がずっとあって、あんま過去作のラスト、読んだはずなのに憶えてないんですよね、この人の漫画。途中のすんごいシーンは憶えてんですけど。

f:id:AQM:20211228003234p:plain

「GIGANT」10巻より(奥浩哉/小学館)

今巻はちょっと「どうしたの?」ってなるぐらい、美談オチのために無理やり取ってつけたようなものすごいちゃぶ台返しキメてるように見えるんですけど、コレ多分、当初からの構想どおりなんですね。

主人公の少年が、カメラ(視点)としての役割と、恋人としての「パピコの心の支え」としての役割以外は、物語に対してビタイチ役に立ってこなかったんですけど、「映画監督志望の少年」という伏線というか属性が、ようやく、ようやく回収されて物語に対して役に立ちました。

f:id:AQM:20211228003249p:plain

「GIGANT」10巻より(奥浩哉/小学館)

「美談オチのために無理やり取ってつけたようなものすごいちゃぶ台返しキメてる」ように見えるのがまた、「B級ノリ」にマッチしてて好きだなあ、この終わり方。

エピローグも兼ねたような最終章、シーンごとに情感こもってて、それが移ろっていく様の描写が読んでて「うん、うん」って感無量。

なんつーかアレだよね、シンプルに「あー面白かった!」っていう。

f:id:AQM:20211228003302j:plain

「GIGANT」10巻より(奥浩哉/小学館)

漫画って、娯楽だわ。良い「ボーイ・ミーツ・ガール」を読んだ。

面白い漫画って、面白いわ。

 

aqm.hatenablog.jp

#ご注文はうさぎですか? 10巻 評論(ネタバレ注意)

二度のTVアニメ化に劇場にOVAにTVアニメ三期も、と美少女4コマとしては大ベテラン感も漂う「ごちうさ」の1巻から10年目近くの10巻。

f:id:AQM:20211227205122p:plain

「ご注文はうさぎですか?」10巻より(Koi/芳文社)

基本的にアニメでがっちり掴んだ固定ファンのハートがぴょんぴょんできればOK、キャラ愛と癒しのほのぼの系の多幸感あふれる美少女4コマで、「ギャグ」とか「コメディ」とかいうより「ジャンル:ごちうさ」みたいなゆるくてふわふわの優しい世界。

f:id:AQM:20211227205139p:plain

「ご注文はうさぎですか?」10巻より(Koi/芳文社)

ミドルティーンの女の子たちが可愛らしいファンシーな世界観、美少女4コマ界隈はオチが弱くても可愛かったら許されちゃうようなとこありますけど、この作品はちょいちょいシュールなネタが混じって「毒入りファンシー」という感じ。たまに「頭大丈夫かコイツ」と心配になる。

f:id:AQM:20211227205151p:plain

「ご注文はうさぎですか?」10巻より(Koi/芳文社)

起承転結というよりは、LINEのスタンプみたいな1枚でインパクトのある決めゴマがまずあって、それに向かって組み上げていく4コマという印象をあらためて持ちました。たぶん前からなんでしょうけど。

そのままLINEのスタンプショップで売れそうな、一コマでクスッとくる絵が多いですよね。

f:id:AQM:20211227205201p:plain

「ご注文はうさぎですか?」10巻より(Koi/芳文社)

今巻から、前巻までの春休みの旅行先で知り合ったフユが高校入学を機に越してきて新たにレギュラー追加。新学年・新学期も相まって心機一転な感じですけど、サザエさん時空ではない、日常コメディながら時間が流れる作品らしく、それぞれの道に進んで仲良し…仲良し何人組なんだコレ、が離れ離れになる予感も強く。

一応、巻末のあとがきでは「次巻で完結」との予告はありませんでした。が。

f:id:AQM:20211227205212p:plain

「ご注文はうさぎですか?」10巻より(Koi/芳文社)

という感じ。

まあ、例えば「あと2冊で完結」つっても2年先なので、けっこう先の話ですけど。

「NEW GAME!」も今年終わりましたし、隆盛を極めた美少女4コマ界隈を引っ張ってきた人気作品群も、少し寂しいけど世代交代の時期なんでしょうかね。

 

aqm.hatenablog.jp

#ワンナイト・モーニング 6巻 評論(ネタバレ注意)

「一緒に一夜を過ごした男女が」「一緒に朝ごはんを食べる」「短編」を描きなさい。

というお題に則って描かれたようなオムニバス恋愛短編連作の第6集。

 

チェックの厳しい職場の先輩女子はぬか漬けのお世話が日課だった、「ぬか漬け」。

f:id:AQM:20211227191610p:plain

「ワンナイト・モーニング」6巻より(奥山ケニチ/少年画報社)

上司の付き合いの月一の風俗で指名した女の子と将棋を指して帰る男。指名される女の子もまた、少々訳ありだった…「アンパン」。

「決して2つとも食べてやろうなんて気は…」「ちょっ…アイスが!」、おまけ漫画「ソフトクリーム」。

ホラー映画が結んだ縁とその顛末、の思い出、「冷や汁」。

f:id:AQM:20211227191623p:plain

「ワンナイト・モーニング」6巻より(奥山ケニチ/少年画報社)

バレてないつもりの社内恋愛の2人が朝から公園で松茸炙ってビール、「焼き松茸」。

客もまばらなオールナイトの映画の、同じシーンで涙を流した2人の一夜、「ドーナツ」。

ハロウィンの街でしつこいナンパから助けてくれた男のゾンビのマスクが脱げないんだけど誰だなんだお前は、「かぼちゃの煮物」。

俺の彼女の胸をやらしい目線で見るんじゃねえー!から生じる悲しいすれ違い、「あんまん(前編)」。


作者が1巻のあとがきでとても謙虚に初単行本が出たことを喜んでいて、2巻が出た時は「続巻が出てよかったねえ、よかったねえ」と、芽が出かけた新人を応援するような、いま思えばどこか上から目線で応援していたんですけど、このシリーズも6巻になりますが、もうずっとコンスタントに面白いんですけど、この人、「いま一番面白いラブコメ漫画」の看板を争えるぐらいの、大変な才能をお持ちでいらっしゃったんではないか、お見それしました、そういう感じです。

f:id:AQM:20211227191704p:plain

「ワンナイト・モーニング」6巻より(奥山ケニチ/少年画報社)

例えば近年の週刊連載の漫画誌の看板ラブコメ漫画に求められる要素というのは、

①週刊ペースでエピソードを量産し続けられること

②複数のヒロインの絵をアニメ映えするように可愛く描けること

③愛されるヒロインのキャラ付けができること

が最優先というか最低条件で、ヒットしている作品でも作劇や展開は実はテンプレ展開、キャラの思考や感情も記号化された「お約束」なものが多かったりします。

ある程度、作劇を創る時間コストを記号化・テンプレ化し、強力なキャラ人気で引っ張る建て付け、ある程度の「漫画のファーストフード化」をしないと週刊連載ペースは保たないんだろうとか思います。

f:id:AQM:20211227191639p:plain

「ワンナイト・モーニング」6巻より(奥山ケニチ/少年画報社)

この作品の方法論はほぼ真逆で、素朴ながら可愛い男女、エピソード中心の建て付け、オムニバスなせいでキャラクターも基本的には一期一会。

ちょっとこの作品の連載ペースは知らないんですけど、単話完結でしかも「朝食を共にする」というシチュエーションの縛りが、「五七五」の制約によって却って俳句が豊かになったように、この作者の作品を「売れるラブコメのセオリー」から自由にして、奇を衒わない代わりに、恋愛感情の描写を少し丁寧に少し奥深く少し豊かに、それでいてコンパクトにしているのかもしれないな、とか思いました。

f:id:AQM:20211227191652p:plain

「ワンナイト・モーニング」6巻より(奥山ケニチ/少年画報社)

今巻は「アンパン」と並んで、「ドーナツ」、好きだなあコレ。

陳腐ではあるかもしれないけどチープではない。というか、切ない。

 

aqm.hatenablog.jp

aqm.hatenablog.jp

#千年狐 六 ~干宝「捜神記」より~ 評論(ネタバレ注意)

古代中国で千年生きた九尾の狐・廣天たち精怪(妖怪)と人との交わりをコミカルにシリアスにロマンチックに。ジャンルレス。

f:id:AQM:20210531172359p:plain

「千年狐 五 ~干宝「捜神記」より~」より(張六郎/KADOKAWA)

主人公・廣天の出生にまつわる悲喜劇のエピソード群が前巻までで一旦完結しまして、平穏を取り戻した廣天たち。

だが住まいとする墓陵の改修工事で一時的に立ち退くことになった廣天たちは、友達の家に泊まりに行ったはずが流れ流れて、なぜかお金持ちが主催する道術の天下一武闘会的なやつに参加することに。

f:id:AQM:20211224113345p:plain

「千年狐 六 ~干宝「捜神記」より~」より(張六郎/KADOKAWA)

わけのわからない展開で、今巻は対戦相手の術士・導士たちと次々と相対する、前巻の続きの展開。

後の巻に続く不穏な伏線はありつつも、基本的に膝から崩れ落ちるようなギャグコメ展開です。

f:id:AQM:20211224113400p:plain

「千年狐 六 ~干宝「捜神記」より~」より(張六郎/KADOKAWA)

不条理ギャグコメはこの作品の大きな売りで楽しく読めますけど、もう一つの大きな売りの哀愁に満ちたシリアス面からいくと、このエピソード自体が突発的というか今のところ必然性の薄いエピソードで、

f:id:AQM:20211224113414p:plain

「千年狐 六 ~干宝「捜神記」より~」より(張六郎/KADOKAWA)

どうして作者がこのエピソードを選んだか(もしくは創ったか)、今のところ判然としません。

次巻、このエピソードの大きな動機なんであろう、天下一武闘会的なやつの主催者にスポットが当たった上でエピソード完結しそうな塩梅。

f:id:AQM:20211224113434p:plain

「千年狐 六 ~干宝「捜神記」より~」より(張六郎/KADOKAWA)

膝から崩れ落ちるような不条理ギャグコメと、悲しく美しいシリアスエピソードのギャップ、両方揃ってこそ最大の魅力を発揮する作品なので、ひとまず次巻をお楽しみに、という感じ。

 

aqm.hatenablog.jp

#ゴールデンカムイ 28巻 評論(ネタバレ注意)

明治40年前後の北海道が舞台。日露戦争の二〇三高地で超人的な活躍をして「不死身の杉元」と呼ばれたけど上官半殺しにしてクビになった元軍人とアイヌの少女・アシリパのコンビを主人公に、網走監獄の囚人たちの刺青に刻まれたアイヌの隠し大金塊の地図を巡る血生臭い冒険もの。

f:id:AQM:20211221162827p:plain

「ゴールデンカムイ」28巻より(野田サトル/集英社)

金塊を争う勢力は

①土方歳三一派
②鶴見中尉一派
③杉元・アシリパ一派
④海賊房太郎一派
⑤ソフィア一派

ですが、同盟などで段々と二極化に近づいていて、最終決戦・完結も遠くなさそうな塩梅です。これ的なこと毎回言ってんな。

札幌で色々あって、

①土方歳三・杉元・アシリパ・海賊房太郎・ソフィア連合(一部死亡)
②鶴見中尉一派

に二極化・集約されました。

鶴見一派vsそれ以外全部とも言う。

f:id:AQM:20211221162843p:plain

「ゴールデンカムイ」28巻より(野田サトル/集英社)

アシリパが知る「暗号を解く鍵」が両方(つまり全員)に知られることとなり、ついに金塊の在処が明らかに!

というタイミングで、杉元・菊田の、巻の半分以上を占める過去回想へ。

f:id:AQM:20211221162857p:plain

「ゴールデンカムイ」28巻より(野田サトル/集英社)

何を言っているの?

シリアス展開の現在からふざけた過去回想へ、と思ったらいつの間にか現在に熱く繋がって返ってくる、この漫画らしい巧みな焦らし方。

肝心なところで回想シーンに接続されて各キャラを深掘りするワンピース展開の度に、最初は「今は早く本筋進めてよ! 先が気になるでしょ!」って毎回かったるく思うんですけど、終わってみると毎回明確な意図を持って接続されてるのと、エピソード単品が単純に面白いのズルいですよね。

f:id:AQM:20211221162911p:plain

「ゴールデンカムイ」28巻より(野田サトル/集英社)

何をやっているの?

さて、ようやく、ようやく、金塊の在処が示されて、最後の争奪戦に突入ですかね。

今巻で28巻ですが、いつだかに対談で「長期連載の終わらせ方」などについて語った高橋留美子の、「うる星やつら」全34巻は超えそうな感じでしょうか。

f:id:AQM:20211221162926p:plain

「ゴールデンカムイ」28巻より(野田サトル/集英社)

ちなみに高橋留美子の最多巻数作品は「犬夜叉」が全56巻で、ちょうど本作今巻の倍ですね。長ぇー。

 

aqm.hatenablog.jp

#ラジエーションハウス 12巻 評論(ネタバレ注意)

幼い頃にそれぞれお医者さんとレントゲンの人になって患者さんたちを助ける約束をした女の子と男の子。

男の子は約束を果たしさらに研鑽を積み天才的な技量を持つ放射線技師となり、果たして女医になっていた女の子が務める病院に遂に採用された。

が、女の子は約束どころか、男の子のことさえ憶えていなかった…男の子は平凡な技師を装いながら、女の子を陰ながら支えるのだった…

というボーイ・ミーツ・ガール・アゲインなラブコメ医療ドラマ。「今日のあすかショー」のモリタイシの現作、原作・監修は別の人。

f:id:AQM:20211219235313p:plain

「ラジエーションハウス」12巻より(モリタイシ/集英社)

放射線医と放射線技師の両方が監修に。

脇役というか、病院の同僚たちにスポットを当てたエピソード群。

レントゲン被曝をネットで得た知識で警戒する「子どもの親」と、夫や義実家に「仕事をやめてほしい」と思われている女性レントゲン技師。

成長して自信をつけつつあった若手のワンオペ当直の夜を襲う、急患・急患・また急患。

f:id:AQM:20211220000713p:plain

「ラジエーションハウス」12巻より(モリタイシ/集英社)

主任のおっさん技師に誘われて検査にやってきた、行きつけの焼き鳥屋の大将。

などなど。

若手のエピソード、身に覚えあるんですよね。エピソードの冒頭で既に嫌な予感しかしなかったですけど。

がんばったのに、がんばってんのに、上手くやった3つの功績は当たり前のこととして無視されて、たった一つのミスを責められて、

f:id:AQM:20211220000728p:plain

「ラジエーションハウス」12巻より(モリタイシ/集英社)

一人でがんばったのになんで、理不尽だ、だったらお前ワンオペ当直やってみろや!ってなるんですけど、医療現場は人命がかかってるので重てぇですね。

お礼を言われたり、叱責されたり、フォローされたりって、仕事の上で当たり前に発生することで、漫画として特筆すべきイベントじゃないんですけど、若手の技師に感情移入にしてなんかグッときてしまいます。

f:id:AQM:20211220000742p:plain

「ラジエーションハウス」12巻より(モリタイシ/集英社)

お礼、ちゃんと言えてるかな、俺。

余談ですけど、身体的にも精神的にも作者の健康が少し心配だったんですけど、あとがきによるとRIZAPやったりして健康的な食事と運動の日々を過ごされているようで、読んでちょっと一安心。

いや本当、医療漫画作家の不養生なんて笑えないんで、ご自愛ください。

 

aqm.hatenablog.jp

#バーナード嬢曰く。 6巻 評論(ネタバレ注意)

読書するのはめんどくさいが読書家を気取りたい一心で、読んだことにするふりに腐心する女子高生・町田さわ子、自称「バーナード嬢」と、その友人たちの読書語り。

読書あるあるネタ、読書家の自意識、SF好きの友人・神林しおりとの無自覚な微百合ネタなど。

ニッチなネタながらアニメ化もされ、いつの間にか作者・施川ユウキの代表作みたいな扱いに。

f:id:AQM:20211220191106p:plain

「バーナード嬢曰く。」6巻より(施川ユウキ/一迅社)

テーマがテーマだけに「この漫画が好き」であること自体、読書通でインテリ気取れるアイテムになっているメタな面も。

初期には「読まずに語るいい加減なさわ子」を「グーパンで殴って修正する読書原理主義に尖った神林」みたいな読書家プロレス的なやりとりがあったんですけど、気がつけば「割りとちゃんと読書するようになったさわ子」と「丸く穏やかになった神林」みたいな感じに。

f:id:AQM:20211220191134p:plain

「バーナード嬢曰く。」6巻より(施川ユウキ/一迅社)

他、長谷川さんと遠藤くんを含め、読書に対するスタンスが少しずつ違う二律背反を体現した4人が4人とも作者の脳内に住んでんだよな、と思うと奇異に思うより「わかるわかるー」ってなりますよね。

という読書家あるあるコメディ。

f:id:AQM:20211220191159p:plain

「バーナード嬢曰く。」6巻より(施川ユウキ/一迅社)

さわ子と神林の対立というかボケとツッコミがギャグコメとしてのソリッドさを担保していたのが、近刊では対話を通じて互いの共通点と相違点を語り合って、固形というより水のような読み味に。

ギャグコメとしては以前の方がパンチが効いてた気がしますが、近刊の理屈くさいのにふんわりした優しいオチの方が、不思議と好ましく感じます。

f:id:AQM:20211220191146p:plain

「バーナード嬢曰く。」6巻より(施川ユウキ/一迅社)

本を読んで語り合ってるだけなんですけど、なんか、青春だなって。

 

aqm.hatenablog.jp

#バーナード嬢曰く。 【友情篇】 評論(ネタバレ注意)

読書するのはめんどくさいが読書家を気取りたい一心で、読んだことにするふりに腐心する女子高生・町田さわ子、自称「バーナード嬢」と、その友人たちの読書語り。

f:id:AQM:20211219215821p:plain

「バーナード嬢曰く。」【友情篇】より(施川 ユウキ/一迅社)

読書あるあるネタ、読書家の自意識、SF好きの友人・神林しおりとの無自覚な微百合ネタなど。

ニッチなネタながらアニメ化もされ、いつの間にか作者・施川ユウキの代表作みたいな扱いに。

f:id:AQM:20211219215834p:plain

「バーナード嬢曰く。」【友情篇】より(施川 ユウキ/一迅社)

テーマがテーマだけに「この漫画が好き」であること自体、読書通でインテリ気取れるアイテムになっているメタな面も。

えーと、コンビニで漫画作品の特定テーマのエピソードを集めた総集編をたまに見かけますけど、あれの電子版というやつで、無料です。

f:id:AQM:20211219215847p:plain

「バーナード嬢曰く。」【友情篇】より(施川 ユウキ/一迅社)

5巻までの、さわ子としおりの友情エピソードだけを集めた総集編で、本編ページ番号で102ページ分。

5巻までを全巻持ってる人は強いて買う必要があるかっていうともないんですけど、まあなんたって無料ですし。

f:id:AQM:20211219220106p:plain

「バーナード嬢曰く。」【友情篇】より(施川 ユウキ/一迅社)

太っ腹っちゃ太っ腹な話ですけど、12/20に新刊6巻が出るので、そのプロモーションも兼ねて?という感じ。

こうして2人の関係性に絞ったエピソードだけを立て続けに読むと、どこか「スタンド・バイ・ミー」的というか、彼女たちは一緒に過ごしたこの高校生活を後年どう振り返るんだろうとか、

f:id:AQM:20211219220054p:plain

「バーナード嬢曰く。」【友情篇】より(施川 ユウキ/一迅社)

特に戻りたいわけではないのに高校生が羨ましくなったり。

自分の高校時代の世界の重要な位置を占めていた友達だった連中は、今頃なにをしているだろうか。

 

aqm.hatenablog.jp

#ウマ娘 シンデレラグレイ 5巻 評論(ネタバレ注意)

実在の競走馬を美少女擬人化した育成ソシャゲ「ウマ娘」の派生コミカライズ。

日本の競馬史に残る名馬・オグリキャップの現役時代をモチーフにしたスピンオフ。

1〜2巻で地方レース(カサマツ)編が終わり、前巻から中央に移籍。

ウマ娘世界観でいう「中央トレセン学園」に編入し、並み居る名バ達と本格的にシノギを削る展開に。

f:id:AQM:20211218015011p:plain

「ウマ娘 シンデレラグレイ」5巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

カワヨ。

モチーフとなった史実が日本競馬史上最大級のシンデレラストーリーにして、トウカイテイオーと並ぶ日本競馬史上最大級の復活劇というドラマで、かつ魅力的なライバルにも恵まれていた馬のお話なので、更にifを加えた作話の骨組みの時点で優勝です。ありがとうございました。

クラシック年の秋、オグリキャップのG1初挑戦は天皇賞・秋。現役最強ウマ娘・タマモクロスとの初対決!

f:id:AQM:20211218014912p:plain

「ウマ娘 シンデレラグレイ」5巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

というわけで、天皇賞・秋のスタートから決着までを、巻の半分以上を費やして収録する「試合巻」。

競馬の史実に準拠してるので、結果を知って読んでると「どっちが勝つか」のハラハラ感はないんですけど、代わりに大河ドラマ的に「知ってる史実がどう再現・表現されるのか」という別の楽しみが生まれます。

レースのシリアスな描写と幕間のコミカルなユルさのメリハリ・ギャップが楽しい漫画ですけど、レースにページが割かれた分、描写的には「ハリ」が強めに出つつ、作品全体を俯瞰すると「メリ」に当たる巻。

f:id:AQM:20211218014927p:plain

「ウマ娘 シンデレラグレイ」5巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

こうして見ると、モデルになったサラブレッドの方のオグリキャップ、あらためて少年漫画の主人公みたいなドラマティックなウマだなあ…

余談ですけど、「『シンデレラグレイ』は『プリティダービー』じゃない」は界隈でよく言われますけど、この巻あたりからそもそもパラレルな存在であるソシャゲ版・TVアニメ版と一線を画す特徴が表れてきまして、

一つ目は時制で、ソシャゲ版・TVアニメ版では「オールタイム・オールスター」世界観で主役・脇役を問わず登場していたオグリキャップ世代移行のウマ娘、スペシャルウィークやトウカイテイオーなどの名バたちが、物語のノイズになるせいか、脇役としてすら一切登場しません。

f:id:AQM:20211218014950p:plain

「ウマ娘 シンデレラグレイ」5巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

二つ目は、ソシャゲ版・TVアニメ版でははっきり描かれなかった「トゥインクルレースからの卒業」が、それが「引退」なのかは不明ながら、どうやら描かれる作品のようだ、という点。

「史実の時制の厳守」と「卒業」という他メディアの「ウマ娘」には存在しない縛りの存在によって、オグリキャップ自身の「現役の間の」軌跡が史実と変わることは多分ないと思うんですけど、いつも腕組んでレースを見守ってるシンボリルドルフなどの先輩ウマ娘は一体どういう扱いなのか、史実でオグリキャップより先に引退したタマモクロスなどの「卒業」はどう描かれるのか、ストーリー以外のところで先々の展開が少し楽しみです。

f:id:AQM:20211218015029p:plain

「ウマ娘 シンデレラグレイ」5巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

「シンデレラグレイ」以外のウマ娘って、「引退」の存在がタブーというか、今のところ一切描かれていないんですよね。

さて、サジタリウス杯に向けてうちのオグリの育成も頑張ろう。

f:id:AQM:20211218023400j:plain

なんで長距離Sがついてくれないんですかあああああああああああああああああああああああ

 

aqm.hatenablog.jp

aqm.hatenablog.jp

#かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ 24巻 評論(ネタバレ注意)

ミコがピンで表紙を飾るのはまだ2回目ですけど、これが最後か…

名門の子女が集う名門学園の生徒会長・白銀御行と副会長・四宮かぐや。プライド高いエリート同士、美男美女同士の「告白した方が負け」。稀代のラブコメメーカーによる恋愛マウント駆け引きバトル、現役最強ラブコメ。

「信者」と言っていいぐらい自分はこの作品が好きなので、新刊の度に何を書こうか悩ましいです。褒め言葉のバリエーションがあんまり多くないので。

この作品の新刊に関する自分の感想記事を次の日に読み返すと、毎回「ちょっと気持ち悪いなあ…」と思います。

f:id:AQM:20211218001015p:plain

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」24巻より(赤坂アカ/集英社)

白銀とかぐやが3年生になり、新キャラも登場し、飛び級でスタンフォード大への進学を決めた白銀に残された高校生活は残りわずか。

石上に対する違った形の好意を持つ、親友だったはずのミコと大仏の不和。

数巻前、あるいは自分が気づかなかっただけで最初から?

「恋じゃない『好き』の形」はこの作品のテーマの1つで、それが人間関係にネガティブに作用したエピソード。

f:id:AQM:20211218000909p:plain

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」24巻より(赤坂アカ/集英社)

ここで「"自分"は共感した」「"自分は"ミコと大仏が前より好きになった」「共感するには受け手の側のある程度の人生経験が必要だと思う」とか書くと、「"俺は"理解できたぜマウント」になっちゃうんで難しいとこですね。

漫画の登場人物というのは「漫画」だけあって戯画化というかシンプルにデフォルメされて、読者に理解され愛されるよう、読者に対するストレスが強すぎて嫌われないよう、複雑だったりネガティブだったりする「何か」を削ぎ落として描写されることがほとんどです。

それによって快適に作品を読める反面、キャラの感情が記号化されパターン化され、感情描写のリアリティから遠ざかっていくんですけど、最近自分はそうした表現に少し飽きていて、赤坂アカも飽きてんな、と思いました。

「設定は都合の良い嘘(フィクション)でも、大事なところでの思考や感情は本当を描きたい」とでも言うか。

f:id:AQM:20211218000927p:plain

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」24巻より(赤坂アカ/集英社)

そこがケリがついたらバランスを取るかのように、この作品が得意な、しばしの日常コメディ回。

シリアスなエピソードにこそコメディ要素を、コミカルなエピソードにこそシリアス要素を、とこまめに上下に揺さぶってくる作風なので、次巻以降がシリアスムード一辺倒になることはないとは思いますが、たぶんこの作品最後の「通常日常コメディ」パートかな。

f:id:AQM:20211218000943p:plain

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」24巻より(赤坂アカ/集英社)

はー、早坂かわええ。

メインの2人以外のキャラも「サブキャラ」と呼びたくないぐらい、一人一人が作品の主役を張れるぐらい魅力的でしたね。

「ちょっと消化不良のキャラがまだ何人かいません?」と思うのはファンのわがままでしょうか。番外編とかあんのかな。

最終コーナーを曲がってもう最後の直線。

f:id:AQM:20211218000959p:plain

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」24巻より(赤坂アカ/集英社)

セールス、複数回のTVアニメ化、実写映画化など、ヒットという意味ではこれ以上望めないぐらい既に成功している漫画ですけど、「めぞん一刻」などの名作ラブコメと肩を並べて数十年後にも振り返って語られる作品になるような、美しいラストを飾ってほしいな、と思います。

f:id:AQM:20211218001031p:plain

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」24巻より(赤坂アカ/集英社)

あー、終わっちゃうな。もう既になんかちょっと寂しいな。

 

aqm.hatenablog.jp

#ダンジョンの中のひと 2巻 評論(ネタバレ注意)

父親の英才教育で一流のシーフに成長した少女・クレイは、3年前にダンジョンで消息を経った父親を追って日々ダンジョンに潜っていた。

冒険者ギルドの最高到達記録が地下7階なのに対して、シーフギルド所属のクレイはソロで地下9階に到達。

かつてない強敵・ミノタウロスと対峙。ミノタウロスが投じクレイが躱した巨大な戦斧がダンジョンの壁を破壊した瞬間から、しかしクレイの世界は一変する。

f:id:AQM:20210220223457j:plain

「ダンジョンの中のひと」1巻より(双見酔/双葉社)

ダンジョンの秘密を知る立場となったクレイの対応をミノタウロスから引き継いだダンジョン管理人の少女・ベルは、クレイに「ダンジョンのスタッフになりませんか?」と問いかけるのだった…

という変化球ファンタジーもののお仕事漫画。

特異な設定を転がして常識人の主人公がツッコむ、基本的にコメディ進行。

f:id:AQM:20211216013045p:plain

「ダンジョンの中のひと」2巻より(双見酔/双葉社)

今巻は、ダンジョンの宝箱に入れるアイテムの製作、ダンジョン運営業務の休暇日の過ごし方、ダンジョンの裏方のお食事事情、ダンジョンモンスターの採用面接、ダンジョンの模様替え、国王との協定契約の更新、などなど。

「前の国王の…」ってのを20〜30年前ぐらいに想定すると、ベルはなんらかの長命種かもしくは時間操作系の可能性が高いんですかね。

凄腕シーフ・クレイの、その雇い主となった実はダーク・シュナイダー級の魔導士でダンジョンマスターながらポンコツ生活力のベル。

ベルが「日本3大ベルたそ」に列したいぐらい可愛らしい。

f:id:AQM:20211216012944p:plain

「ダンジョンの中のひと」2巻より(双見酔/双葉社)

基本的な登場人物も主要キャラ3人と少なく、舞台も一つのダンジョン内に基本的に閉じていて、決して壮大な世界観ではないですが、箱庭的というのか、設定がよく考えられています。

SFが「空想科学」なら、「空想ファンタジー」という感じ。ファンタジーは基本空想ですけど。

静かな穏やかな進行ながらよく考証された設定・世界観を見せていく大変よくできた作品、同じくRPGファンタジー世界観の「ヘテロゲニア リンギスティコ」、SFだったら「宙に参る」といった優れた作品がありますが、

aqm.hatenablog.jp

 

aqm.hatenablog.jp

どこか似た匂いを感じます。

f:id:AQM:20211216013005p:plain

「ダンジョンの中のひと」2巻より(双見酔/双葉社)

昨今はどこかから借りてきただけのようなRPGファンタジー設定の作品も多い中、設定や世界観そのものを見せていく作りの作品とはいえ、設定やその設定を転がした時に起こるシチュエーションの深掘りというか因果関係を、自分で面白おかしく膨らませるのが好きな作家さんなんだな、と。

そうなると今度はSFやファンタジーでありがちな「見て、こんなに設定考えたの!緻密でしょ!(ドヤァ」ってなりがちなところ、そういうドヤ感が全然ないというか、「主人公主観で見えない聞こえない、ストーリーにも絡まない設定は、描く必要がない」という割り切りというか。

f:id:AQM:20211216013020p:plain

「ダンジョンの中のひと」2巻より(双見酔/双葉社)

よく作り込んでる割りにキャラクターを動かす必要の範囲に応じて、膨大であろう設定から小出しに、主人公が動いて見聞きできる範囲の5cmだけ奥まで描く匙加減、「設定資料集じゃなくて、エンタメとしての漫画なので」という抑制が感じられる、設定とその転がり具合から生まれるシチュエーション(ストーリー)の絡み具合が楽しく読めます。

テーマ的に王道というよりはニッチで小品な作品、絵もお話もシンプルで展開も淡々として穏やかながら、設定・考証の奥行きを感じさせつつチャーミングなキャラクターによる楽しい読み味を両立した作品で、

「原理は単純を極め、構造は複雑を極め、人は最も人らしく」

という士郎政宗の「アップルシード」の作中のセリフを思い出す感じ。

f:id:AQM:20211216013107p:plain

「ダンジョンの中のひと」2巻より(双見酔/双葉社)

私にとっての「新作・オブ・ザ・イヤー・2021(読切・描き下ろし部門)」が「ルックバック」なら、

これは「新作・オブ・ザ・イヤー・2021(連載部門)」(単行本的な意味で)という感じ。

 

aqm.hatenablog.jp

blog.livedoor.jp