ブログの記事が4連続で百合作品が続いたので少し目先を変えようと「ガラスの仮面」を読み進めましたが、期せずして結果的に百合度が高いエピソードでした。
「ガラスの仮面」は次の42巻まで紙書籍で持ってたんですけど、数年前にkindle移行しようと処分して現在kindleで買い戻し中です。なんで42巻ってはっきり憶えてるかというと、42巻から携帯電話が登場して衝撃を受けたのをはっきり憶えてるからです。
1976年発行の1巻でマヤは中学生、おそらく3年生の14〜15歳13歳でしたが、この41巻の時点でマヤはおそらく19〜20歳じゃないかなと思います。最新刊の49巻でもあんま変わってないんじゃないかな。あんま話が進んでるとも思えないので。高校卒業と同時に月影先生から「2年以内に亜弓さん並の受賞を」と条件つけられて、ちょうどそれが終わった直後のエピソードです。
つまりリアルタイムで42年が経過した間、作中で5〜6年7年が経過したことになります。「ガラスの仮面」の世界に携帯電話やメールが登場するのはなかなか衝撃でした。
34〜41巻がサブタイトル「紅天女」で、一連のエピソードがどんな話かというと、「紅天女」候補に正式に定まったマヤと亜弓さんが、月影先生のいる奈良の「紅天女のふるさと」紅梅村の山寺で一緒に寝泊りしながら、「紅天女」の基礎レッスンを受け、その成果発表試演をし、最後に月影先生の「紅天女」手本試演が行われる、という話です。その間にマヤが「紫のバラの人」が速水真澄であることを確信して恋情を募らせたり、その速水は政略結婚に向けた見合い話が進行してしまったりします。
Amazon見てて笑ったのが、マヤたちが34巻で東京から奈良へ出発、41巻で奈良から東京へ戻ってくる、作中およそ2ヶ月の話なんですけど、行きは初期型新幹線だったのが、刊行ペースが遅すぎてリアル11年後発行の41巻の帰路では100系新幹線に変わってしまったというレビューです。「紅天女」編から刊行ペースが更にガクッと落ちてます。
次の巻からはサブタイトル「二人の阿古夜」エピソードに続きますけど、「阿古夜」って紅天女が人間に顕現したときの名前なので、要するに「紅天女修行・東京編」です。
昨年「別冊・花とゆめ」が廃刊になって「ガラスの仮面」の掲載誌がなくなった際、美内先生は「完結まで必ず描く」と宣言しましたが、読者はそろそろこの物語が完結しない未来の心の準備をしないといけないかもしれないですね。
前置きが長くなりました。この2冊ですが梅の谷を舞台に月影先生の「紅天女」手本試演が、マヤ・亜弓の他、主要関係者向けに披露され、読者の前にも初めて紅天女のあらすじが提示されます。
南北朝時代、戦乱に明け暮れる人界を憂いて人に顕現した女神・紅天女と、帝から天下安寧の仏像の製作を依頼された仏師・一真の恋物語。
女神と人の恋というと漫画だったら「ああっ女神さまっ」「いなり、こんこん、恋いろは。」とか。基本ラブコメだったそれらと違って「紅天女」は悲恋の話です。
「紅天女」の修行の描写で、マヤの役への理解・解釈の深さにマヤの表現力・身体能力が追いついていない、という描写があるんですが、41巻自体がメタにそういう雰囲気。41巻は発行にあたって全面描き直しされたと聞きますけど、それでも作者が描きたいこと、「紅天女」のテーマについて、大御所・美内すずえをもってしても、描き直しても表現力が追いついてないのがありありとわかり、作者のもどかしさが伝わってくるようです。
「"宇宙" 即 我なり・・・」
「でもその"真理"を長くとどめておくことはできなかった・・・」
マヤの演技術の個性って端的に言うと「一体感を超えて憑依に近い役への理解と入り込み」みたいなことかなと思うんですけど(その辺は役者の古代起源が巫女/シャーマンだったみたいな話に繋がるのかも知れませんが一旦置いといて)、「紅天女」の場合、主人公が天地と一体化した女神なので、円熟味や格で演じる月影千草や、高度な理論と表現技術の姫川亜弓と違って、マヤの場合は神様に同化しないと演じられないあたりがこう、作者が苦戦してるところなのかしら、と月影先生の「紅天女」を観て思いました。
言っても能面を被ったり、途中までだったり、ほぼ一人舞台だったりと、月影先生の舞台はエクスキューズがいくつも用意されてますけど、マヤが本番演じる上ではそういう逃げが打てないですもんね。
絵としてもこの辺からデジタル化したかのように脂が落ちたすっきりした線になったり、髪のツヤベタ表現が変わったり、月影先生の恋愛相談室があったりとか、この2冊の見所はたくさんあるんですけど、あえて二つに絞ると、一つ目は源造さんです。月影先生の付き人として40巻に渡ってMOBを務めてきた寡黙なおっさんですが、この巻で初めてスポットが当たり、月影先生の「紅天女」の語り・鼓・笛・果ては仏師・一真役までマルチな才能を見せます。もう一真役、このおっさんでいいんじゃないの。作者は「紅天女」の中でももっとも象徴的なセリフをこのおっさんに言わせます。
ディスプレイに映したkindleをスマホで撮ったら写真でかいな。
このセリフはいけないですねえ。登場人物一同、「これが紅天女と一真の恋…!?」と衝撃を受けてましたけど、読者も思春期に読んだら恋愛観が壊されそう。
初版が1993年なので、「めぞん一刻」で未亡人の響子さんが「あなたはいいわよね八神さん。だって…まだひとりしか好きになったことないんでしょ」つったのより後になります。それでも四半世紀以上も昔の話ですけど。
そんな恋愛、できるもんならしてみたかったけどね。
もう一つがマヤと亜弓さんの関係です。これまで互いに遠くから尊敬しあい嫉妬しあってた二人なんですが、類稀な才能を持つマヤの「私なんて亜弓さんと比べたら全然…」という卑屈な態度に以前からイライラしてた亜弓さんの怒りが爆発。
こうなって
こうなって
こうなります。
やべえ、クソ面白いんですけど。怖いから喧嘩の時ぐらい白目やめなさいよw
aqm.hatenablog.jp