「俺の質問に答えろ
仲間が死んでどう思った?」
「別に〜?」「死んだ!と思った!」
「敵に復讐したいか?」
「復讐とか暗くて嫌いだね」「ワシも!」
「お前達は人と悪魔 どっちの味方だ?」
「俺を面倒みてくれるほう」「勝ってるほう」
「お前達100点だ」
父親の借金を背負って臓器を売りながら生き延びてきた野良犬少年・デンジ。
悪魔・ポチタとコンビを組んでヤクザの下で搾取されながら悪魔狩りを営むも、ヤクザが悪魔に乗っ取られ絶体絶命のピンチ。
ポチタと融合したデンジはチェーンソーの悪魔として美少女・マキマにスカウトされ、美少女魔人・パワーと組んで公安デビルハンターとして悪魔と戦っていく。
前巻ラストで主要人物はじめ公安特異課の面々が軒並み同時多発で射殺されて、「まあジャンプ漫画だし生きてんでしょ」と思ってたら一部を除いて割りとマジで死んでました。
前巻で印象的だったとあるキャラも死んじゃってて、ああ、あの人、最初っから死なせてアキのモチベーションをブーストさせる生贄にするために出したハードボイルド・ヒロイン・ガールだったのね、というのを割りと隠しもしない。お墓が建ったらお墓参りに行きたいわ。いい女だった。
現実にそいつと人間付き合いする必要はないので、ハードボイルド、ヤクザもの、ノアール、ピカレスク、と呼び方は様々ですが、主人公の倫理観のなさとその中の美学を楽しむフィクションというのは昔から枚挙に暇はないですが、冒頭のセリフの通り、この作品の主人公の倫理観や使命感はハードボイルドや少年漫画のダークヒーローというより、食物連鎖の自然の摂理の中で生きる野生動物のドキュメンタリーに近く、その登場人物の倫理観のエゲツなさを楽しみ、その中から読者が自分の中の共通点や願望を重ねてまた楽しむ漫画という感じ。
伝統的な少年漫画の主人公の「殺し合いに身を置きつつ正義の心を持ち続ける」ヒーロー像と比べて、気負ったところがなくて説得力という意味ではより自然な印象があります。モタモタした良心の呵責や葛藤が一切なく、日常生活として殺して殺されるキャラたち。
善悪の彼岸ではなく生存競争であって、それ故に「主人公たちに悪事を働かせられない」という制約もないため、一連の銃撃を受けての公安特異課の反撃やそのスキルの描写もエゲツなく、
「黒瀬くん 法務省から終身刑以上の犯罪者を30人ほど借りてきて」
生贄が必要なデスノートにアルカ/ナニカの殺人スキルとかおよそヒロインのやることじゃないんですが、
「これはお金じゃありません ここにいる皆さんの…父や母
おばあちゃん おじいちゃん 兄弟 姉妹 恋人 恋人 奥さん
の 目です」
「安心してください 公安には目を元通りにできる人がいます
ご協力いただけるのならその人を紹介します」
それでもヒロインの価値が毀損されない世界観の説得力を感じます。
次巻の決戦の前振りで今巻終盤で紹介された魔人たちも、最初はてっきり敵の紹介かと思ってたら、全部味方でしたwwwミラージュのレフトナンバーだねこりゃ。
正直、「こういうのがかっこいいでしょう?」的なナルシズムに塗れて創られたイカれたエゲツないヒーロー像を描くことは意識的・無意識的に関わらず割りと他の作品でも見られますが、「だって生きるためだししょうがねえじゃん」とでも言いたげな他人の目を気にしないナチュラルなエゲツなさ・残酷さ・倫理観のなさを、それに酔うギリギリ手前で描写自体はカタルシスを伴ってカッコよく描いてのけるバランス感覚。
最近の漫画作品の傾向はダークヒーロー志向のものが増えましたが、この作品を契機に、こういう「別に恨みなんかねえけど、だって殺さないと食えないじゃん」的な、浦飯幽助が最後は蛍子のために踏みとどまった線をあっさり踏み越えたヒーロー像、新しいのか回帰なのかは自分にはわかりませんが、今後のヒーロー像のスタンダードになっていくのかもしれないなー、と。この雰囲気やノリを他の作家が出せるのかわかりませんが。
魔人たちのネーミングのそっけなさも良いよね。「天使の悪魔」ってw
あとパワーちゃんは今巻も可愛かったです。
aqm.hatenablog.jp