AQM

さみだれや 読んだ漫画と ウマ娘

#鬼滅の刃 全23巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

「生きていることはそれだけで奇跡

 あなたは尊い人です 大切な人です

 精一杯生きてください 最愛の仲間たちよ」

 

TVアニメがきっかけでこの漫画が流行った時点で17〜18冊ぐらい出ていたので、乗り遅れました。友達と鬼滅の話ができなかったので、ちょっと寂しかったです。

イッキ読みするのに17冊は億劫(おっくう)だったので先延ばししたけど、この12月4日に最終23巻が出ると聞いたので、やっとイッキ読みをしました。正確には11月29日の日曜日に22冊をイッキ読みして、23巻の発売に備えました。22冊イッキ読みはやっぱり少し疲れました。

でもとても面白かったです。

 

過去のジャンプ作品やバトル漫画作品で培(つちか)われたノウハウやエッセンスが惜しげもなく投入された特徴が随所(ずいしょ)に見えて、大ヒット作であるだけにそのルーツを探ってオタクな自分が大好きな「アレに似てる、コレに似てる」と並べ立てる例のアレのやつをやりたい誘惑にかられます。

この作品の最初の1ページ目は、雪の中、意識を失った妹を背負って歩く少年から始まるけど、

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「鬼滅の刃」1巻より(吾峠呼世晴/集英社)

これは「ファイアパンチ」の最初の1ページ目とまったく同じシチュエーションでした。

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「ファイアパンチ」1巻より(藤本タツキ/集英社)

僕は初見(しょけん)でこの漫画の1ページ目を開いて、まず

「『●●の要素は○○に似てる』という話はキリがないのでやめよう」

と思いました。

漫画で大事なのは、「〜に似ていること」や「〜に似ていないこと」や「〜に影響を受けていること」ではなくて、その結果出来上がった作品が面白いかどうかのはずだし、ただでさえこの作品はメタ(漫画の中身以外の話)にスポットが当たった語られ方がとても多いです。

ちなみに「鬼滅の刃」第1話が週刊少年ジャンプで発表されたのは2016年2月15日、「ファイアパンチ」第1話がジャンプ+で発表されたのは2016年4月18日で、順番で言えば「鬼滅の刃」が2ヶ月早くて、僕が遅ればせながら読んだ順番が逆なだけでした。

同じジャンプ仲間の作品同士でパクったパクられたの喧嘩はあんまり意味がない上に、間隔を見ても内容を見ても模倣(もほう)する合理的なメリットもないし、「ジャンプ作品に共通するヒットの方程式だ!」という程のものでもないので、僕が思うにはこれはただの偶然の一致です。

 

1億2千万部売れてるからといって100万部売れてる漫画の120倍面白いかというとそんなことはないし、単行本1冊あたり500円の120倍の6万円払う普遍的価値(ふへんてきかち)があるかというとそんなこともないけど、そんなことは作者の責任でも作品の責任でも僕の責任でもないし、そもそもそんな漫画はたぶんこの世に存在していなくて、幸いなことに「鬼滅の刃」は出版と印刷と流通の皆さんの日々の尽力のおかげで1冊440円で買って読めます。

たくさんの語り手によっていろんな角度から語り尽くされつつあるこの作品について、何の専門性も持たない僕が独自の視点とか新たな切り口とかを今さら提示する功名心(こうみょうしん)はあきらめて、読んで感動したところを五月雨(さみだれ)に平凡に素朴にシンプルに小並感(こなみかん)に感想のやつをやります。

まだ一周しか読んでないニワカの戯言(ざれごと)なので多少の誤りは許して欲しいです。ネタバレを避けるためになるべく他人の感想や考察も避けてきたので、トンチキなことや、誰かがもうとっくに言っていることをアレするかもしれないです。1冊440円とは言え鬼滅で炎上したらとても火力が高そうです。

国民的大ヒット作なので、あらすじや設定をあらためて紹介する必要も感じないのは、楽でよいですね。

 

あとマナー講師みたいで恐縮ですけど、鬼滅ファンのみんなへのお願いとして、TV会議で「全集中の呼吸で対応お願いします(笑)」とか「部長だから我慢できた(爆)」とか部下に言うのはやめましょう。殺すぞ。

 

大正時代

最初は普通に「読者のみんなの社会とは倫理(りんり)や価値観(かちかん)が違います」という意味かな、と思いました。

細かいディティールは大正時代に由来(ゆらい)する背景設定などが多いけど、現代劇に置き換えてもそれらのディティールも置き換え可能なように見えました。「大正時代でなければならないイベント」とかは特にないし、史実の人物、例えば森の柱が森鴎外(もりおうがい)だったり、生き延びた土方歳三(ひじかたとしぞう)が上弦の鬼になっていたりすることもないです。

ただ背景設定などで前時代的(ぜんじだいてき)な因習(いんしゅう)に基づく不幸な過去を抱えているキャラが多くて、現代劇で描かれると「警察呼べ」「児童相談所に相談しろ」「Twitterで告発して炎上させたれ」とか余計なことばかり考えて没入(ぼつにゅう)が損なわれそうなので、その辺の事情がなんだかよくわからない大正時代に設定されていて良かったです。

あと見ていて「着物や袴(はかま)を楽しそうに描く人だな」と思いました。楽しく描けるのが一番だし、和洋折衷(わようせっちゅう)でなんだか耽美(たんび)な大正時代には、鬼にまつわる怪奇でおどろおどろしい物語が浮いてしまわずによく似合っていると思いました。案外それが一番の理由かもしれないと思いました。

高橋留美子の現作「MAO」も大正時代が舞台に描かれていて、通底(つうてい)する雰囲気が似ているように思いました。

あ、さっそく「アレに似てる話」をついやってしまった。もうだめぽ。

 

導入

主人公の炭治郎は、悟空やルフィやゴンのように夢や冒険を求めて旅立つわけではなくて、家族を惨殺されて生き残りの妹は鬼にされるという、巻き込まれ型の極致(きょくち)な動機で物語に身を投じます。最近は動機がカジュアルな主人公の作品が増えた中、だいぶ陰気なスタートです。

ある意味、遺族による復讐と私刑の物語で、現代劇に置き換えるとより凄惨(せいさん)に読者感情をも損なったかもしれませんが、社会の治安維持(ちあんいじ)能力が現代より劣る大正時代の設定でなんとなく中和(ちゅうわ)されている他、炭治郎のポジティブで優しい人柄と「妹を人間に戻す」「同じ悲劇を繰り返させない」という建設的な目的意識などで糊塗(こと)され、鬼殺隊の当主・産屋敷耀哉の強い使命感で昇華(しょうか)されています。

禰豆子も冒頭で死んでいたら炭治郎はどうしていたか、のif(もし)はちょっと興味があります。柱たちのように、より冷徹で復讐心に燃える剣士になっていたかもしれませんし、あるいは失意のまま普通に暮らして一生を終えていたのかもしれません。

 

ギャグコメディ

もともと抜いたコマはちょいちょいあったものの「暗い漫画だわね」とか思って読んでいたら、3〜4巻で善逸と伊之助が登場したあたりから顕著(けんちょ)にギャグコメディ色がすごく強くなって面食らいました。

絵もなんか巻末のおまけ4コマっぽいというか、「ジャンプの後ろの方」っぽくなって作者の頭が狂ったのかと思ったけど、それ以来、割りと最後までそんな感じでした。

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「鬼滅の刃」4巻より(吾峠呼世晴/集英社)

いねえよそんな人。

ギャグとしてそんなに高度なことやってるわけではないけど、陰惨(いんさん)な序盤や過去エピソード、シリアスな戦闘シーンとのギャップがひど過ぎて、言ってる中身もシンプルにくだらないやら微笑ましいやらで力技で笑わされてしまいます。

桜餅の食いすぎで髪がピンクになった(いい加減な設定だなw)というこの人に至っては、最高幹部の柱のくせに衣装にしろ志望動機にしろ言動にしろ、全体的に出る漫画を間違えちゃった感すごいです。

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「鬼滅の刃」21巻より(吾峠呼世晴/集英社)

ガビーンじゃないが。クライマックスやぞ。

ある意味テコ入れっぽいし妥協(だきょう)だったかもしれないけど、功(こう)を奏(そう)して楽しく読めるよね。

 

鬼自体は昔話・童話の類(たぐい)の昔から定番の悪役で、特に目新しくはないシンプルなものですけど、無惨を始祖とするツリー状の増え方は多くの吸血鬼の設定に近いです。

吸血鬼は一般的に血を吸って仲間を増やしますが、この作品の鬼が増えるメカニズムは逆に傷口に鬼の血を浴びることです。

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「鬼滅の刃」1巻より(吾峠呼世晴/集英社)

まるで血液感染する感染症・伝染病のメタファー(こっそりたとえること)のようです。

よく考えたら捕食(ほしょく)する側が途中で出血して捕食を中断するという、けっこう不自然なプロセスです。僕が堅あげポテト食ってる途中で口の中切れるみたいなものでしょうか。

桃太郎の鬼は実は無惨の直系でした的に日本全国の鬼にまつわる伝承(でんしょう)と絡めたり、戦国大名の誰々は実は鬼化してました的な、連載長期化していてもネタに困らない、シンプルなだけに拡張性(かくちょうせい)の高いネタの宝庫な設定ですけど、拡(ひろ)げも掘り下げもせずシンプルな扱い方で、作者の興味はここにはなかったんだろうなと思いました。

 

無惨

なんかこの人ひとりだけ特に高橋留美子っぽくない?

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「鬼滅の刃」16巻より(吾峠呼世晴/集英社)

「悪の魅力」的な人間的魅力が描かれない、卑小(ひしょう)な人格が話題のラスボスですけど、人間の姿をして人間の言葉を操っているだけで基本的に人間じゃないし、そのようになって以降は生存本能のまま振る舞っていただけなので、劇中終盤で言っていたとおり、彼にとって鬼殺隊はさぞ迷惑で鬱陶(うっとう)しかっただろうなと思います。

吉野家いって牛丼食ってたら「牛が可哀想だろ!許せない!」って知らない奴に怒られて、じゃあって次は別の吉野家いって牛丼食ってたらまた「牛が可哀想だろ!許せない!」ってまた怒られた人、みたいなメンタリティで、本質的に本人なんで怒られてるのかよくわかってないし「悪の魅力」もへったくれもありません。

本人には罪の意識もないから当然改心もしないし、ただ人間との生存競争に負けただけとしか思ってないだろうし、事実そうだったなと思います。

ただ普通は加点ポイントにするラスボスの魅力で、作品として点数稼ぐの放棄してるというか、上弦の鬼たちすら作品の愛憎のコミュニケーションの輪の中に入れてもらえたのに、この人ひとりだけ一応言葉が通じてるだけのディスコミュニケーションすぎてちょっと面白いよね。

 

鬼殺隊

鬼殺隊の戦闘スタイルは、その本質が駆除であり処刑であることを象徴するように、多くの場面で鬼と一対一で対峙しません。もともとタイマンでは上弦の鬼が柱を大きく上回る戦闘スペックを誇っていることもあり、鬼1体に対して柱クラス3〜4人以上で対峙するし、毒で相手を弱らせることも躊躇(ちゅうちょ)しません。

剣士の誇りを賭けた決闘でもなければ、どっちが強いか決める力比べでもなく、ひたすら相手を殺すことを完遂(かんすい)することに特化していて、いかにも少年漫画らしく「多対一は卑怯だ」などと口にされる場面すら描かれません。

 

鬼殺隊はその多くが炭治郎とおおむね同じく、鬼に親しい者を奪われた人間たちで構成されていて、戦う遺族会、戦う被害者の会、という側面が強いです。

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「鬼滅の刃」16巻より(吾峠呼世晴/集英社)

炭治郎と違って「鬼になった身内を元に戻す」という目的がない分、動機に占める復讐心の割合がより大きいように見える私設の集団ですけど、ややもすれば独善的(どくぜんてき)な私刑集団に陥(おちい)りかねないような集まりが、その戦闘スタイルにも関わらず、97代に渡って鬼と対峙する産屋敷家の強い使命感によって、煉獄に象徴される「強く正しい」誇りを持った組織であるよう統制・維持されています。

 

この作品で僕が一番感銘というかショックを受けたのは最終決戦のこのシーンでした。

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「鬼滅の刃」21巻より(吾峠呼世晴/集英社)

ラスボスを前に、身を投げ出して肉の壁として強者を守る、名も無い弱者たち。

頭がイカレています。少年漫画では普通、逆です。

鬼殺隊はこのように上から下まで基本的に滅私(めっし)で、その対象は敬愛する当主への忠誠ですらなく、自分の生命を含むすべてのリソースを無惨を倒すこと一点に集中しています。生き残って戦後に自分が幸せになりたい当たり前の欲望が欠落しています。まるで時代劇の「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」のようです。

このシーンはこの作品のこの特殊な状況下では命と希望を繋ぐためのとても美しい精神性である反面、普遍的(ふへんてき)な美談として語るにはとても危険な描写であるようにも見えました。

彼らは自発的にやってるから良いですけど、もし「前に出ろ」と声をかけているのが柱だったら、ブラック経営者vsブラック経営者の仁義なき戦いに陥って目も当てられません。

 

千年の歴史があるみたいなので陸奥圓明流(むつえんめいりゅう)的な「実は吉良上野介は鬼で赤穂浪士(あこうろうし)は鬼殺隊でした」とか「実は鬼化していた信長を倒しました」とか「実は桃太郎は桃の柱で、今の恋柱の先祖でした」的なスピンオフ妄想が捗(はかど)ります。

 

柱たち

ジャンプのバトル漫画あるあるなのであまり語ることはないですけど、あるあるが悪弊(あくへい)なら改める必要もあるけど割りとメリットしかない、愛されキャラの宝庫。

デザイン的には世界観に対して穏当なデザインが比較的多くて、迷彩服の人やロボなどはいません。

バトル描写でそこまで細かい設定の理屈や因果(いんが)の縛り・制限を積み上げる作品じゃないので、割りと作者の匙加減(さじかげん)で強さや勝ち負けはどうにでもなっちゃった気がします。

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「鬼滅の刃」16巻より(吾峠呼世晴/集英社)

使い捨てとは言わないけど、「本格的な出番=ほぼ最後の戦い」な人や、「無惨を倒す未来に繋ぐ」ための捨て石になることにまったく躊躇(ちゅうちょ)しない、雑兵と同じく希望を繋ぐために「無惨殺すべし」に殉(じゅん)じた、というか脳みそ全振りしたイカレた人が多かったです。

動機の強さのためか、この手のエリート集団にありがちな、派閥の対立や対抗意識、裏切りなどもありませんでした。

「繋ぐ」というイメージがとても強く印象に残った人たちでした。

あと、今まで大して出番もなかった一番性格悪そうなフェイタンみたいな奴に限って、わずかな前フリでいきなりこんなこと言い出すのホントやめて欲しい。

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「鬼滅の刃」22巻より(吾峠呼世晴/集英社)

なんやその幻影旅団の人がToLoveるのキャラに惚れちゃったみたいな組み合わせ。

柱には萌えないと決めていたのに、たった3コマで持っていくのやめて。最終話あああああああああああああああああああああああ。

 

構成

構成というか「23巻という長さは妥当(だとう)か」という話ですけど、23巻という巻数は自分のような後発(こうはつ)組でも読んでみようと思える巻数だし、この巻数に納めたおかげで10年後、20年後も新規の読者に読まれる作品になったと思います。

「23巻という短さ」は集英社としても残念だろうし、キャラのファンとしてもっと彼らの物語を読みたくなった自分も残念ではありますけど。

16巻から最終決戦シリーズに入るロングスパートをかけた作品で、16〜23巻の間が「鬼殺隊の一番長い夜」的な、作中たった一晩の出来事でした。ラストバトルのシリーズが全23巻の35%を占めます。実はTVアニメでブレイクした時点で既に引き伸ばしようのないロングスパートに入っていたように見えます。

15〜16巻の柱の特訓あたりが最後のセーブポイントで、日常回や中ボス戦などのサブストーリーをこなしていくか、ラストバトルに突入するか、の分岐点(ぶんきてん)だったんだなー。

 

禰豆子

「ヒロインがずっと竹を咥(くわ)えている」と聞きました。

そのうち読むつもりだったのでネットを徘徊(はいかい)する際も「鬼滅の刃」の内容に関わる言及は注意深く避けていましたが、それでも漏れ聞こえてくる情報はあります。

「長男だから我慢できた」、「緑と黒の市松模様」、「ずっと猪の皮を被っている人」、そして「ずっと竹を咥えているヒロイン」。

漫画のやることだし、そういう長男もいるだろうし、猪の皮を被っている人もいても不思議ではないですが、「ずっと竹を咥えているヒロイン」だけは意味がわかりません。

漫画やアニメではキャラの見分けをつけやすくしたり、キャラクターの特徴を印象付けるために、頭、特に髪におかしなアクセサリーをつけているキャラは多いし、顔の一部を意図的(いとてき)に隠すことで全体の美しさを引き立てたり、その奥を見たい欲求を刺激する、サングラスや眼帯がトレードマークのキャラも多いです。

だからと言って、なんで竹を咥えるのだ。

その疑問が結局、僕がこの作品を読む動機の決め手になりました。

 

轡(くつわ)という道具があります。馬の口にはめる金具で、手綱(たづな)を繋げることで人馬の意思疎通(いしそつう)を可能にした、人類史上でも重要な発明で、「ハミ」とも呼ばれます。

似た道具で、「猿轡(さるぐつわ)」と表現されるように、拘束(こうそく)された人物の口を塞(ふさ)ぐ道具があります。主な目的は、拘束された人物に声をあげさせないことと、舌を噛んで自死することを防ぐことです。

乗り物として意思疎通して制御すること、声を出させないこと、自死を防ぐこと、いずれにしても非人道的で、少年漫画のヒロインが身に着けるにはビジュアルとしてあまりふさわしくないように思いました。

 

その後、そのヒロインは鬼と化しつつも、鬼を倒す主人公に帯同(たいどう)しているとのことだったので、なんらかの封印なんだろうと思いました。

呪術的に鬼の力を制約する封印であったり、物理的に人間に噛みつくことを防いだり、竹から鬼成分を中和(ちゅうわ)するエキスが出ていてそれをチュウチュウ吸ったり、竹から鬼成分を中和するフレーバーが出ていて鼻でクンクンそれを吸ったりしているのだろうと思いました。

第1話で鬼になった禰豆子は炭治郎と共に、駆けつけた鬼殺隊の柱の一人・冨岡義勇に制圧され気絶させられ、2人が目覚めたときにはすでに竹の轡を嵌められていました。

冨岡義勇は今後の身の振り方や、禰豆子を太陽の光に晒(さら)さないよう指南(しなん)してくれましたが、竹の轡をつけるだけつけておいて何の説明もしませんでした。

なんで!? エキスは????

炭治郎も禰豆子につけられた竹の轡を受け入れ、外そうとしても何のペナルティもなさそうなこの拘束具を、禰豆子も外そうともしません。

なんで!? お前らソレ気にならないの????

鬼と化したが人を喰わない禰豆子は人間のような食事もしないし、人語も話しません。竹の轡があっても実はそんなに困らない。

だからってそんな。邪魔じゃん。

炭治郎を乗せて走るわけでもなく、そもそも喋らないし自殺もしないし噛まないし、エキスもフレーバーも入ってないなら、冨岡義勇はなんのためにコレをつけたの? 趣味なの?

実際、ずっと後に竹の轡が外されている場面がありますが、

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「鬼滅の刃」17巻より(吾峠呼世晴/集英社)

薬を飲んだこともありますが、なくてもいいみたい。

(追記)

読み返したらこのシーンを待たずに15巻きっかけで轡はずれてました。ごめんなさい。

 (追記終わり)

 

「鬼滅の刃」はある切り口では過剰(かじょう)なくらいの説明をしますけど、別の切り口では設定や状況の説明を省き、言語化(げんごか)しません。作者は物語を通じて少年漫画のフォーマットの中で自分が語りたい部分にリソースを偏らせていて、「ずっと竹を咥えているヒロイン」はまるでその象徴です。

禰豆子自身、最序盤と終盤を除いて、ずっと鬼化して竹の轡をつけて人語を話しません。にも関わらず、とても表情豊かで愛おしいキャラで、言葉を尽くすほど相互理解から離れていく無惨と対照的です。

禰豆子のデザインはシンプルながらとても印象的で美しい姿をしています。

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「鬼滅の刃」3巻より(吾峠呼世晴/集英社)

口元隠しておでこ隠さず。

竹のおかげで僕はこの漫画を読むことになりましたけど、作者が描きたかったことは禰豆子がどう生きるか、いかに読者に愛されて欲しいかであって、恋柱の髪がピンク色である理由が桜餅の食い過ぎなのと同じく、作者にとって竹の轡を咥えている理由なんてきっとどうでもいいし、実は僕にとってもどうでもよかったのだと思いました。

 

炭治郎

暗い過去を背負いながらも品行方正(ひんこうほうせい)で天然入ったポジティブでとても優しい、ちょっと根性論というか精神論が強く出てて「呼吸はトモダチ!怖くない!」とか言い出しそうなお前大丈夫か感はあるものの、近年稀に見る高い好感度、嫌われ要素の少ない主人公です。

こんな奴に「お嬢さんを僕にください」って言われたい部門3年連続1位。

主人公の未熟さや錯誤(さくご)でピンチに落ち入る展開は、バトル漫画に限らずラブコメ漫画などでも作劇の定番な反面、読んでいて読者が主人公にイライラしてしまう諸刃の剣でした。最近は炭治郎のように、愚かな振る舞いをしない、余計なトラブルを増やさない、読んでてイライラしない主人公が増えてきたように思います。

序盤でなんか「この子、優し過ぎて大成(たいせい)しないわ」みたいなフラグがあって、

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「鬼滅の刃」1巻より(吾峠呼世晴/集英社)

普通は「欠点としての優しさ」を克服するエピソードとか入れたくなるもんですけど、特にそういうのもないまま、優しいまま事を成してしまいました。僕が見落としているだけかな?

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「鬼滅の刃」5巻より(吾峠呼世晴/集英社)

でもその方がいいし、それで良かったと思ます。

苦境にあっても自らを奮い立たせ、愚直に努力を繰り返し、その力を他人に優しくするために振るった、まるでアンパンマンのようになんのヒネリもない誠実な主人公を僕はとても好きになりました。

 

エンディング

いい表紙すぎて表紙がネタバレというか。

最終話と最終巻のタイトルは「幾星霜を煌めく命」。とても美しいタイトルです。

これから読む人もたくさんいるでしょうから詳しい中身の話はここでは控えますが、ドキドキしてハラハラして哀しくてでも希望に満ちた、少年漫画の王道を極める最終巻でした。

もうテンパってぐっちゃぐっちゃの展開で、スカして登場したたくさんのキャラたちが全員もう必死で、「がんばれ!がんばれ!」って半泣きになりながら読みました。

生きていくこと、シンプルでストレートでとても力強いメッセージ。

炭治郎たちのように僕もがんばって生きようと思ったし、昔のいろんな作品で昔の子どもたちがそうしたように、命が繋がり巡っていることに想いを馳せた子どもがたくさんいるんじゃないかなと思いました。

 

このブログの一番最初に

友達と鬼滅の話ができなかったので、ちょっと寂しかったです。

と書いたけど、そもそも僕は元々あんまり友達がいないので、いざ鬼滅を読んでも鬼滅の話をする友達がいません。

部長だから我慢できた人に「なんで禰豆子は竹を咥えているんだと思いますか?」と相談すると「仕事をしろ」と言われて怒られます。

 

大人になっても好きな漫画の話ができるように、「鬼滅の刃」を懐かしく語り合えるように、みんな今いる友達やこれからできる友達を大切にしましょう。

人と人との縁は本当に宝物だと思います。

最終巻の表紙で見えなくなった右目と動かなくなった左腕を巧妙に隠された炭治郎が、あの後何年生きたのかは作者だけが知っていますが、善逸と伊之助が生涯の友であったであろうことは読者全員が知っていて、僕はそれをとても羨ましく思いました。

 

 

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