





「ラーメン発見伝」の続編の「らーめん才遊記」の更に続編の現作。
シリーズ未読の方にものすごく雑に説明すると「ラーメン版『美味しんぼ』」みたいな作品群です。
一連の作品群はそのタイトルがSNS・ブロガー泣かせでして、「ラーメン」と「らーめん」、「才遊記」と「再遊記」と、同じ音で違う字を当てることを連発していて、紛らわしいったらありゃしない。
自分は今年に「才遊記」、次いで遡って「発見伝」を読んで「これがあの有名なラーメンハゲか」と満足し、既に1巻が刊行されていた「再遊記」は「『さいゆうき』もう読んだ」と勘違いしてスルーしてました。
字ちがうじゃねえか。
というわけで遅ればせながら既刊3巻まとめて。

「らーめん再遊記」2巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)
このシーン、いいよね。グッとくるわ。
今作の主人公の芹沢は、「発見伝」ではラーメン店開業を志すサラリーマンの主人公の好敵手として、「才遊記」では食に関して天賦の才能を持つ主人公ヒロインの雇用主・上司・師匠だった男。
意識高く生き汚く普遍性がありそうな格言・名言らしき名ゼリフを多く残したことから、ネットでは作品の主人公たちの顔と名前は忘れても、前述の自分のごとく「ラーメンハゲ」だけは覚えられているという、影の主人公。「影の」って割りには存在感ありすぎ。
でした。今作でようやく正式に主人公に。
脱サラして開業したラーメン店が苦節を乗り越えて成功し事業を拡張、ラーメン店向けに始めたコンサル業も順調、メディアにも露出しラーメン産業を盛り上げてきた立役者の一人と認められ、職人・経営者としてラーメン業界を代表する第一人者となった芹沢。

「らーめん再遊記」1巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)
初老と呼ぶにはまだ若い年齢であるにも関わらず、しかし、芹沢は鬱屈、ラーメンに対するモチベーションは下降の一途を辿っていた。
業界に次々と現れる新たな才能、味と経営を競ってきた同世代の職人・経営者たちの引退。
ラーメン業界の世代交代と新たな時代の到来を前に、なぜか芹沢はやる気が出なかった…
というスタート。

「らーめん再遊記」1巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)
雑に説明すると、自らの原点に立ち返った王が、自ら育てた天才児にその玉座を禅譲し、自らは放浪の旅に出る、的なそういう話です。そういう話をラーメン業界で。
職人・経営者のトップとしてラーメン業界の頂点に立ちそこから降りた主人公が、身分(?)を隠して大手チェーンのラーメン屋にバイトとして潜り込んで店舗内の若手のいざこざに首を突っ込んでみたり、山の頂上から見下ろしていたラーメン業界の裾野を歩いて回る話。
ちょっと「さきの副将軍、水戸光圀公」みたいね。

「らーめん再遊記」2巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)
シリーズの理屈・能書き・うんちくを一人で支えてきた意識高い系の芹沢。
今作ではいい風情で枯れていてどこかハードボイルド風味ながら、モノローグの口振りこそ露悪的でどこか投げやりなものの心の奥に隠している人の良さみたいなものが滲み出てます。
ラーメン業界の現場にこっそり紛れ込んで、若手の成長を促し人間関係や店の問題を改善して去っていく、「ラーメン界の水戸黄門」というよりは、図らずもなんか「ラーメンの妖精さん」みたいなってますけどw

「らーめん再遊記」3巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)
水戸黄門の印籠の代わりに、芹沢は権威と知名度よりもまず経験と知識を基に身についた実力を武器にして振るっている、ように説得力を伴って上手く描かれていて、その有能さが読んでいて小気味良いです。
「金を残して死ぬ者は下 仕事を残して死ぬ者は中 人を残して死ぬ者は上」
は明治の政治家の後藤新平、同じ意味の
「三流は金を残し、二流は事業を残し、一流は人を残す」
は松下幸之助の言葉とされ、プロ野球の故・野村克也の座右の銘であったとも言われますが、引退にはまだ早い中年にして金も仕事も人も既に残し終わった芹沢はどこに向かうのか。

「らーめん再遊記」2巻より(久部緑郎/河合単/石神秀幸/小学館)
タイトルの通り、ラーメン業界を舞台にただ遊んでるだけなのか。
自分ももっと仕事で遊べる人間になりたいなあ、などと読むとついつい意識が高くなっちゃうわw
aqm.hatenablog.jp