AQM

あ、今日読んだ漫画

#映像研には手を出すな! 6巻 評論(ネタバレ注意)

人見知りで空想癖な妄想屋で監督肌のタヌキ顔のチビ・朝倉。
銭ゲバ風なリアリストなネゴシエーターでプロデューサー肌のノッポ・金森。

と、

財閥令嬢で役者の両親の娘で有名読モでキャラデザ・動画肌の美人・水崎。

の、高校入学でのガール&ガール・ミーツ・ガールで立ち上げた映像研を舞台にしたクリエイター青春グラフィティ。

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「映像研には手を出すな!」6巻より(大童澄瞳/小学館)

食堂の閉鎖騒ぎ。謎の時計塔の鐘の音と崩壊、これの再建をモチーフにした新作アニメ企画とアニ研とのコラボ。

上映会の首尾は上々、直後に生徒会のガサ入れなどもありつつ、映像研の視界は次回作へ。

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「映像研には手を出すな!」6巻より(大童澄瞳/小学館)

彼女たちが次回作に選んだのは、やり残しをたくさん残したあの作品の続きだった。構想上、セリフが不可欠なため、初の声優によるアフレコを導入、さっそく声優選びのオーディションが開催されるが…

という6巻。

なんでこの学校、声優研が5つもあるんだよw

モノづくりへの情熱と青春、というよりは天才たちの頭の中を覗いてみたり育つ過程を眺める楽しみ、という色が強い感じがしてきましたね。

仲間が集まる過程というのはどんなジャンルの漫画でも読んでいて楽しいものですが、この適材適所に異能が集っていく感覚、「パトレイバー」の「ライト・スタッフ」よりは、「攻殻機動隊」の「エスパーより貴重な才能」という形容を思い出させます。

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「映像研には手を出すな!」6巻より(大童澄瞳/小学館)

上手く書ける気がしないのでたぶんだいぶおかしな文章になりますが、10代の少年少女を主人公に青春時代を取り扱った作品は、「夢」だったり「目標」に無自覚でただ必死で夢中だったり(スポーツものに多い、結果がついてくるタイプ)、あるいははっきりした夢や目標を持たずに無気力に自分探し的にフラフラする作品が多い中、この作品の少女たちの「自分の夢中」に当然のように自覚的かつ効率的でいながら、「自分の意思でずっとゾーンに入ったまま日常生活を送っている」ような描写は、なんというかちょっとすごいですねw

ポンポさんの最新刊のジーンくんにも相通ずる描写で、羨ましいというかなんというか。これが若さか…

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「映像研には手を出すな!」6巻より(大童澄瞳/小学館)

「天才とは結局、無尽蔵のアイデアそのものではなく、それを支える無尽蔵のモチベーションとそれに伴う努力である」というのは、フィクションのテーマとしても割りとチープな話なんですけど、そこから更に半周回って「いやそのモチベーションを支えているのは結局アイデアが無尽蔵に湧いてくる状態であって、それ自体がエキサイティングなんだからそりゃモチベーションも湧くでしょうよ」という、「天才が天才である理由は努力するからだけど、努力できる理由は自分の天才が楽しいから」に一周回って戻ってきている様子まで描写されているかのようで、努力も苦にならず寝食を削って早くアイデアを形として現出させたいあの高揚感が追体験できて、大変楽しい作品です。

「ウマ娘で、重課金の方がモチベが高く育成数も多い」的な。

あの高揚感を、一生の仕事と一致させる運と縁に恵まれた者が、天才と呼ばれるのかなあ、などと思ったり。

ある意味、嫌味な自慢話スレスレになり兼ねない話なんですけど、と思ってしまうのは、「彼女たち」に出会う運と縁に恵まれなかった者の僻みでしょうか。

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「映像研には手を出すな!」6巻より(大童澄瞳/小学館)

この、運と縁に恵まれたことを驕るでもなく、ただ感謝し、クレイジーに、でもクレバーに利用する姿勢。クッソー。

 

ほら、自分でも何書いてんだか意味がわからない。だから「上手く書ける気がしない」っつったのに。

 

 

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