中学一年生の"こころ"は、中学入学と同時に始まったいじめで登校拒否になりカウンセリングスクールにも行けずに部屋で引き篭もっていた。
ある日、自室の鏡が光を放ち、こころは鏡の中の世界に引きずり込まれる。そこには西洋風の城が建っていて、狼の面を被った少女「オオカミさま」が7人の登校拒否の中学生を集めていた。
オオカミさまは7人の中学生たちにデスゲーム的に宝探し競争をさせたい意向だったが、中学生たちはマイペースにゲームをしたり談笑して過ごすのだった…
いじめなどで不登校になった中学生たちを集めたファンタジー空間の話。
元は「本屋大賞」1位に輝いたという小説が原作、のコミカライズ。いじめ・不登校をテーマにしたシリアスで重たい話で、あんまヤンジャンらしくはないよね。
最後(完結)まで読まないとわからないタイプの作品で、原作未読の自分にとっては、中学生たちが何のために集められたのか不明、作者がどう言う意図で話を進めているのか不明、ついでにいうとこの「らしくない」作品をコミカライズしたヤンジャン編集部の意図も不明でしたが、
「謎あかし編」とでもいうべき今巻で完結。
今日はポエミーにいきます。だいたい米津のせい。
あんな風に言葉を紡げる人間に、なってみたいものですね。
先日、公開日に『シン・ウルトラマン』を観に行きまして、頭の中を米津玄師による主題歌『M八七』がヘビロテ中です。
エンタメ作品に対して勝手に製作陣からのメッセージを探して、それらしきものが見当たらないと「作者が何を言いたいのかわからない」と憤慨する人、というのはよく見る光景、というより自分も無意識にやりがちで、ある意味「損をする楽しみ方」だな、と思うこともあります。
が、映画『シン・ウルトラマン』、その主題歌『M八七』、そしてこの漫画『かがみの孤城』のような作品を前にすると、自然と作品に込められたメッセージを探してしまうものですね。
M八七
- 米津玄師
- J-Pop
- ¥255
- provided courtesy of iTunes
music.apple.com
たまたま時期を同じくして受容したに過ぎない3つの作品が、自分の中で強く結びついてしまって。
最初『シン・ウルトラマン』を見終わって「えっ、これで終わり?」と思い、帰宅して元祖ウルトラマンの最終話を視聴して、そして映画作品に対する非常に優れた補助線として機能している『M八七』の歌詞でだいぶ補完されましたが、『かがみの孤城』の最終巻で最後のピースがハマったような気持ちになりました。
一見、ルックスもまったく異なる、縁もゆかりもないように思える映画作品と漫画作品を私の中で繋いでくれた米津玄師の、壮大でドラマティックな歌唱と伴奏もさることながら、普遍的で力強い歌詞に心が揺さぶられます。
「姿見えなくとも 遥か先で見守っている」と
『M八七』歌詞より(米津玄師/SME Records)
君の手が触れた それは引き合う孤独の力なら
誰がどうして奪えるものか
『M八七』歌詞より(米津玄師/SME Records)
君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
『M八七』歌詞より(米津玄師/SME Records)
今は全てに恐れるな
痛みを知る ただ一人であれ
『M八七』歌詞より(米津玄師/SME Records)
ウルトラマンから見た人類は、捨てられて段ボール箱の中で身を寄せ合って暖め合いながら命の限りに鳴いている仔猫たちのように映ったかもしれず、子どもの頃に親の言いつけを破って彼らを救おうとしたあの時、もしかしたら自分は彼らからしたら巨大で理解不能ながらも悪戦苦闘して助けてくれようとしている、ウルトラマンのように見えていたのかもしれない。
長い間忘れていた、無償の慈しみと献身を与えてもらったこと、そして自分も一生懸命に生きようとしている何かに与えたことがあった頃を、思い出させてもらったような。
それぞれの痛みを乗り越えて「かがみの孤城」を後にした彼らがそうしたように、ウルトラマンならざるひ弱な群体の一個体に過ぎない大人になってしまった自分もまだ、一生懸命に生きてようとする誰かにとっての、ウルトラマンになれるだろうか、と。
痛みを知る ただ一人であれ
『M八七』歌詞より(米津玄師/SME Records)
何かメッセージのようなものを勝手に受け取ったような気持ちになりました。
『シン・ウルトラマン』、『M八七』、そして『かがみの孤城』のそれぞれの製作に関わった皆さん、素晴らしい作品をありがとうございました。本当に素晴らしかった。
一緒くたにポエミーな感想を述べちゃってすみません。だいたい米津のせい。
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