徴兵・動員されたと思しき若者・田丸は昭和19年夏、南太平洋パラオ諸島のサンゴ礁に囲まれたわずか13平方kmの小さな島・ペリリュー島で一等兵として軍役についていた。
飛行場を備えたこの小さな島は戦略的要衝として、日本軍守備隊1万と米軍上陸隊4万が相争う地獄と化していく。
漫画を描くことが趣味な田丸は小隊長から「功績係」として、戦死した戦友たちの記録と、遺族への手紙のゴーストライターを任される。
圧倒的なアメリカ軍の物量。島をすっ飛ばしてフィリピンが攻略されたことにより、もはやなんの戦略的価値もなくなったペリリュー島。
海上封鎖され補給すら絶たれた彼らが正規の指揮系統を通じて受領したのは、11回の御嘉賞と「持久に徹せよ」を最期に途絶した作戦指示だった。
司令部も既に壊滅したわずかな生き残りの日本軍は兵士たちは、反攻に転じた皇軍の艦隊と敵を挟撃する日を信じて決死の抵抗を続ける。
そうする間にも沖縄戦、本土空襲、広島と長崎への原爆投下を経て、昭和20年8月15日、戦争が終わったことすら知らず…
という史実に基づいたあらすじとフィクションによるディティールで、一昨年に最終巻が出て完結した『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 』の外伝短編集の3巻。
相変わらず、「何のための戦争だったのか」「誰のせいだったのか」「どうすれば避けることができたのか」、何かに責を帰したり教訓めいたりしたことは描かれません。
「結果」としての戦争の更に「ただの結果」として起こった、あるいは起こったであろう、救いのない話、救いしかない話、救いのなさの中のほんの僅かな救いの話。
戦記としての連続性が求められた本編と比較すると、散文的な取材録の中からワンイシューずつが、おそらく本編とは違う意味で作家の創作や演出も交えてそれぞれエピソード化されていて、より叙情的に表現されています。
こう言ってはなんですが、実録風ながらちゃんと漫画として読みやすく、面白いです。
「続きが気になる」で引っ張る面があった本編よりも、前後の文脈を気にせずに戦争の断片を切り取ったこの外伝の短編集の方が、よりこの作品にとって本質的というのか。
今巻は特に、短編『ALL ABOUT SUZY』が読んでてしんどくて、印象に残りました。
本編で、ペリリュー島で「戦後」に戦死した小杉伍長が日本に残した妻・志津。
戦後、GHQ統治下の日本で独り身となり苦境にあった彼女を救ったのはG.I.、最近までの敵国だったアメリカ軍の兵士だった。
米軍兵と再婚して渡米、紆余曲折を経た1971年、ニューヨーク。
ホームパーティに夫が招いたゲストは、取引先の日本企業幹部の日本人。
名を片倉といい、亡夫・小杉が戦死したペリリュー島戦の経験者だった…
作品的には、本編に登場した小杉の奥さんのその後、片倉のその後の断片がみどころともなりましたが、しんどい。
自分はフィクション、ノンフィクションに関わらず「ラブストーリー/ラブコメ/恋愛もの/恋バナ」が大好きでよく読みますし、好きな作品も多いんですが、このエピソードを読んで、今まで見聞きしてきたあらゆるラブストーリー、フィクション、ノンフィクションを問わずそのすべてに、志津がこのエピソードで体験したような理不尽な後日談が付いてくる可能性がある(あった)ことを、示唆されているようで。
だってこの「エピソードヒロイン」志津に、戦争という巨大な理不尽の前で一体何ができたというのか。個人レベルでは「あの時こうしていれば…」と後悔することすらもできない、巨大な理不尽。
それは他の多くの作品のヒロインたちも同じで、それでは彼女たちと志津を分かつものはなんだったのか。
想いと時間の積み重ねが紡いだラブストーリーのハッピーエンドの、抗えない大きな概念によって力づくで破壊され奪われた、胸が傷む後日談。
本当に幸せそうな笑顔とのギャップがつらい…
さて。
ここ2〜3年、7月末に発売されるこの作品の新刊を、終戦の日に読んで感想を書くことが私のルーチンになっていますが、本編最終巻・前々巻・前巻・今巻に続き、次巻も来年の終戦の日の少し前、7月末に発売予定、完結巻とのことです。
aqm.hatenablog.jp