女子高生・ルリは、ある朝目覚めると頭から2本のツノが生えていた。
通学前の慌ただしい時間帯にツノに驚く母が言うには、ルリの父親はどうやらドラゴンらしかった。
納得いかないまま登校したルリは、そのツノを周囲にゆるく驚かれつつ普通に授業を受けていたが、くしゃみのついでに意図せず火を吐いてしまい、前の席の男子の後頭部の髪を丸焼きにしてしまう…
にも関わらず、周囲はゆるくなんとなく、そんなルリを受け入れているのだった…
という、シンプルな出だしから始まる、不条理変身ものの日常もの。
「ある朝、目覚めると…」の不条理ジャンルで有名なカフカの『変身』では、巨大な毒虫に変身してしまったグレゴールが社会にも家族にも受け入れられない様が描かれましたが、本作ではグレゴールに起こらなかった「異物に対する、社会や家族からの受容」が、緩くて優しい日常もの風味で描かれました。1巻が。
近年の漫画でも『亜人ちゃんは語りたい』などで描かれたテーマ。
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『変身』が人間の本質を描いた作品だったとしたら、こっちは知性が人間社会を進化させることの希望を描く作品群、とでもいうか。
意図してゆるい雰囲気で描かれ、ツノが生え火を吐くルリを不気味がって怖がるクラスメイトも一部に描かれるものの、未知への怖れよりも子どもらしい好奇心で未知を埋めていくクラスメイトたちの方に概ねフォーカスされる、「優しい世界」中心の話。
ルリ本人も母親もそれぞれにしなやかに強い精神性を持っていて、「人間社会に紛れ込んだドラゴンとのハーフ」の日常がポジティブに描かれました。1巻が。
作者の体調不良もあり、長期の休載を経て連載再開、その間も投票系の漫画賞などで上位にランクインするなど、読者からのラブコールで待たれながらの、2年ぶりの新刊の2巻。
まずは「おかえりなさい」でしょうね。
作者の健康と人生と、『ルリドラゴン』の続巻を秤にかけて考えたら、もう続きを読めないことを覚悟していたので、作者先生が健康を取り戻した上で続きが読めることがとても嬉しいです。
おかえりなさい。
で。
母親とスポッチャ行ってバスケ、テニス、バッティング、卓球、サッカー、ボウリングと各種運動をしたの、絵面が地味な会話劇を飽きさせないために動きを入れたっぽいですけど、動きに体重乗ってて「スポーツ漫画もいけそうだな」と思いましたw
間が空いて、2巻になって、特に「路線変更した」という感じでもなくスムーズにシームレスに続きが描かれているんですが、「異物に対する周囲の受容」が印象に残った1巻とは違ったことが描かれているな、と思いました。
「ツノとドラゴン体質」を際立たせるためにソレ以外を徹底的に「地味」に「普通」に描こうとしている、というよりは、そのままでは商品としてエッジが立たない「地味」で「普通」な思春期の日常を、「ツノとドラゴン体質」というファンタジーを免罪符に描いている、というかw
「ツノとドラゴン体質」は、鈍感というより過敏すぎて狭い人間関係に篭りがちなルリに、もっと他人と関わるきっかけを与えてくれてはいるんですけど、描かれてる日常ドラマのメインのテーマに対して必ずしも必要じゃないというか、他の何かでも代替が効く気がするんですよね、別に。
ルリの母親、担任教師などの事情を知る大人が「ルリをどうしたいのか」不透明にマスクされてるところがあって、それがそのまま作者が「この漫画をどうしたいのか」を未だ不透明にしています。
けど不透明なマスクの裏側は、母親と遊びに行って体を動かす、体育祭の実行委員になる、クラスメイトと喧嘩して口論する、和解する、放課後の勉強会で待っててくれる友達のところに走る、そういう「地味」で「普通」な日常を丁寧に描写することを通じて、
「ルリってこんな子どもだよ」
「周りの友達はこんな子どもたちだよ」
「葛藤したりちょっと傷ついたりしながらも、毎日ちょっとずつ勇気をだして、健やかに育って欲しいよ」
ってだけなんじゃないかな、この漫画。
という気がします。という2巻。
いい表紙絵、いい表情。
まるで読者に向けているかのようなエピソードタイトルと合わせて、この一枚絵だけでなんかちょっとなんか泣きそうになる。
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