19世紀の中央アジアを舞台に、エピソードごとに主人公が移り変わる「夫婦」「嫁入り」をキーワードにした群像劇として続いて15年目ぐらいの15巻。
見てきたかのように当時の文化の活き活きとした描写し、衣類やタペストリーの刺繍類の変態的なまでに美しい精緻な書き込みが特徴。
いい絵。
『ドラクエ3』リメイクをクリアしたばかりなので、ドラクエの船のBGMが脳内に流れてしまうw
3巻以降、まとまった物語というよりは中央アジアを舞台にしたいろんな夫婦の群像劇な作品ですが、イギリス人・スミスがそれらの人々と出会う旅が、紀行ものとして一応作品の縦軸っぽい感じに。
その後、スミスの中央アジアの旅は折り返して帰路に差し掛かり、旅の途上で出会った未亡人・タラスを伴侶に迎えた彼は、アミルとカルルクと夫婦に再会することをすごく楽しみにいたんですが、ロシアの中央アジア侵攻で情勢が急激に悪化したことで、案内役兼ボディガードの強い勧めもあり、再会を断念して海路でイギリスに帰らざるを得なくなりました。
ロシアの版図拡大を意図した侵攻によりきな臭くなった中央アジアの情勢は一旦置いておいて、今巻はイギリスに帰国したスミスと、彼と結ばれついて行ったタラスにスポット。
ワロタ。
船旅での猫と馬のエピソードや、新居で飼い始めた羊のエピソードなど、動物ネタに癒されつつも、中央アジアから乙嫁を連れ帰ったスミスが家族の反対に遭う、曇らせ展開の巻。
一定の理解を示しつつも渋い顔の父親や兄、激烈な拒否反応を見せる母親。
自分は子どもがおらず、子どもが意に沿わない恋人や婚約者を連れ帰ってきた経験もない、無責任な物語読者なので、割りと簡単に
「親、捨てればよくない?」
と思いがちですが、まあ親の情って、一般論的な知識で語ると、そういうものでしょう。
母親の言動が割りとダイレクトで差別的ですけど、植民地が生み出す富にしか興味がない19世紀のイギリス本国人も、こういうものでしょう。
逆に一族にタラスが両手をあげて大歓迎される展開だったら嘘くさすぎるし、「約束された曇らせ展開」というか、描かざるを得ない展開というか。
優しい作品なので母親をはじめ結婚に反対している家族にもなんらか救済が入るでしょうけど、なによりスミスとタラス、本人たちが家族の反対に遭ってもまったくブレておらず、スミスが無職?なおかげで家を空けることもなくタラスが孤独でもないので、曇らせ展開の割りに安心感あります。
あんまタラスがつらい目に遭う展開みたくないので、正直
「スミスが中央アジアに土着した方がよくね?」
とは、15巻の読前も読後も思ってしまいますけどw
自分は「親じゃない」以上に「女じゃない」ので、
「恋人以外まったく未知のアウェイの土地・環境に嫁に行く」
女の勇気や強さや逞しさを信じられない思いで見てしまいます。
自分は転勤多くて割りと日本語さえ通じれば「住めば都」ですけど
「仕事以外まったく未知のアウェイの土地・環境に転勤する」
とは、違いますよねw
それとも、「女の勇気・強さ・逞しさ」ではなく、「恋する人間の勇気・強さ・逞しさ」なんでしょうか。
何はともあれ、スミスはタラスより1日でも長生きしなきゃあかんね。
スミスとタラスの前途多難な「ハネムーン」は次巻に続きつつ、今巻の途中では舞台が少しだけ中央アジアに戻って、スミスの案内人も務めたアリの結婚、もう一人新たな乙嫁のエピソード。
人生で初めて彼女が出来た時、「好きな人と恋人同士になれたんだ」というフワフワした気持ちの記憶を、少し思い出してしまいます。
可愛いな。羨ましいな。
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