#AQM

あ、今日読んだ漫画

#宝石の国 13巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

「平成の大合併」を眺めていて当時、冗談で

「そのうち全部『日本市(にほんし)』になるんじゃないのw」

と笑っていたことを思い出しました。

「平成の大合併」ご存知ないお若い方用にググっておきました。

www.google.com

「先生」と呼ばれるお坊さんと28人の宝石たちが暮らす地球。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

彼らは月から宝石を攫いにくる「月人」たちを撃退しながら数千年の時を過ごしていた。

宝石たちの中で最も若年のフォスフォフィライトは戦いで身体を欠損する度に、記憶と人格を少しずつ失い、別の宝石で補修したパーツの記憶や能力で、先生と月人、世界に対する疑いを強めていく…

そそのかした8人の宝石たちと一緒に月に移住したフォス、残された宝石たちに真実を語る先生。

願いの成就の為に硬軟あらゆる策で繰り返し月から地球へ出撃するフォス。

終末に向けてキャラ同士が傷つけ合う描写が延々と続く、複雑に類似するデザインとややこしい名前を持つキャラクターたちによる二転三転の複雑な展開の果て。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

今巻で完結。

終盤、キャラ同士だけでなく作者も読者も傷つけるような展開や描写が続き、もはや「見守る」すら通り越して「見届ける」心境。

自分が読み始めて好きになった頃の『宝石の国』ではなくなってしまっていますが、

「これは『宝石の国』か?」

と言えば、『宝石の国』以外のなにものでもありません。

冒頭の「登場人物紹介」が出オチというか、「出オチショッキング」というかw

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

最終巻刊行を記念して過去全巻読み放題的なキャンペーンもやっていたそうですが、初読なら良いと思いますが、

良くないかw

過去全編を一読した経験があって断片的にうっすらざっくり憶えていれば、この最終巻のためにあらためて過去巻を読み返す必要はないように思います。

フォスフォフィライトも今までを鮮明に憶えてはいる様子ですが、うっすらとしか思いださず、ざっくりとしか振り返りません。

悲しい歴史があった。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

それぞれキャラの個々の想い、それぞれの出来事やテーマは、すべてフォスに背負われ吸収され収斂していき、一つになっていく。

「傷つけ合い苦しみ続けずには居られない私たち」

「それを救う特殊な力と永遠に等しい孤独」

「その果て」

類似のテーマに取り組んだ過去の作家や漫画、アニメ、映画、あるいは宗教思想を思い起こさずにはいられませんが、自分は大して詳しくもない割りにキリがないので個別に名前を挙げません。

ただ、地球が滅びるときに、人間だけカウントしても70億人だかが悲しんで苦しんで死んでいくのと、独りが死ねば済むのと、どっちがマシなんだろうか、とは思いました。

ましてやその独りが滅びを望んでいるのであれば。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

前述のとおり、自分が読み始めて好きになった頃の『宝石の国』ではなくなってしまっていますが、まごうことなき『宝石の国』の最終巻で、しかも自分は単品で見てこの巻が割りと好きみたいです。

終息に向かってシンプルになっていった世界、童話やお伽話のように深くはあっても理解を拒むものではなく、それでいて、くらむぼんがかぷかぷ笑いそうな詩情、80年代〜90年代の思春期に触れた作品群に培われた、真っ暗闇の宇宙や惑星表面に独り取り残された原初的な永遠の孤独感、なんだか子どもだった頃の感覚を思い出しました。

こんなに「等身大」という形容からかけ離れた漫画も滅多にないですが、奇妙に懐かしくどこか個人的な親近感。

正面切って

「面白かったか」

「他人に勧めるか」

と訊かれると、件の「後輩ちゃん」の反応も「さもありなん」で正直微妙なんですけど、自分は読んでよかった、見届けられてよかった、美しかった、と思います。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

こんな漫画描いちゃって、次どんな漫画を描くんでしょうね。

 

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