#AQM

あ、今日読んだ漫画

#らーめん再遊記 12巻 評論(ネタバレ注意)

「ジャンルのお作法」

というものがあります。

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「推理小説」というカテゴリーほどの歴史(更にその後発展し派生しているんだそうです)はないので明文化されていませんが、「グルメもの」というカテゴリーにもある種の定型・お作法がなんとなーく存在します。

名料理店の後継者問題、後継をめぐって家族が骨肉の罵り合い、「調停者」たる主人公が、ある時はたまたま通りがかり、ある時は依頼され、美味しい料理のアイデアのウルトラCでダイナミックにドラマティックに解決。

美味しい料理はあるいはわだかまりを解消し、あるいは私欲を抑制し、あるいはピュアだった頃のノスタルジーを刺激して、人と人とを繋ぐパワーを持ち、家族は再び絆を取り戻し、力を合わせて再出発する…

「後継者争い」以外でも、

「バラバラになりかけた家族や仲間の絆を、美味しい料理が再生させる」

は定番パターンです。

まあ美談ですね。

おそらく始祖ではないんでしょうが、この美談パターンを確立し敷衍させた影響力を持つ作品として、自分は『美味しんぼ』が思い浮かびます。

『らーめん再遊記』12巻より(久部緑郎/河合単/小学館)

「脱構築」

という言葉があります。

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少々抜粋引用しましょう。

広義の意味

脱構築という概念は、いうまでもなくポストモダンかつポストモダニズムと強く結びついている。デリダが提唱する形而上学においての脱構築、あるいはその影響を受けアメリカで発展した文学批評理論に留まらず、あらゆる分野に広く用いられており、次の両方の意味に当てはまる。

・ある対象を解体し、それらのうち有用な要素を用いて、新たな、別の何かを建設的に再構築すること。フランス語のdéconstructionには、たんに「解体」という意味が付されており、しばしばその場合のみに使用されることもある。だが「脱構築」というときには、積極的に意義を見出すために行われる作業とみなされる。

・ある対象に隠された、矛盾する(あるいは倒錯している)、無意識下の形而上学を暴き出すための手法。この場合、脱構築された対象は、我々が一般的に認識している観念・概念を揺るがし、覆すものとして現れる。

今巻を読んで、自分は

「グルメものの『ジャンルのお作法』に対する『脱構築』ってこういうことかなあ」

と思いました。

キャラのネーミングからして作者自身が一番、この展開をバカにしてますよねw

ひどいなコレw

『らーめん再遊記』12巻より(久部緑郎/河合単/小学館)

『ラーメン発見伝』の続編の『らーめん才遊記』の更に続編の現作。

シリーズ未読の方にものすごく雑に説明すると「ラーメン版『美味しんぼ』」みたいな作品群。

脱サラして開業したラーメン店が苦節を乗り越えて成功し事業を拡張、ラーメン店向けに始めたコンサル業も順調、メディアにも露出しラーメン産業を盛り上げてきた立役者の一人と認められ、職人・経営者としてラーメン業界を代表する第一人者となった芹沢。

ラーメン業界の世代交代と新たな時代の到来を前に、なぜか芹沢はやる気が出なかった…

雑に説明すると、自らの原点に立ち返った王が、自ら育てた天才児にその玉座を禅譲し、自らは放浪の旅に出る、的なそういう話です。

そういう話をラーメン業界で。

職人・経営者のトップとしてラーメン業界の頂点に立ちそこから降りた主人公が、身分(?)を隠して大手チェーンのラーメン屋にバイトとして潜り込んで店舗内の若手のいざこざに首を突っ込んでみたり、山の頂上から見下ろしていたラーメン業界の裾野を歩いて回る話。

『らーめん再遊記』12巻より(久部緑郎/河合単/小学館)

絵面が狂気w

非常に戯画的ですけど、でもこれ「ラーメン対決なんか」を喜んで読んできた読者のメタファーですよね。

前巻で芹沢と同世代のラーメンチェーン経営者が急逝。

葬儀の席でその未亡人からチェーン再建のサポートを頼まれ、柄にもなく泥酔した芹沢は、柄にもなく意気に感じてこれを快諾。

酔いが覚めた芹沢は「テイのいいタダ働きで結果責任まで負わされる状況」に慄然とし後悔したが、業界の関係者や重鎮の前で快諾した手前、引くに引けず。

あまつさえ未亡人は、仲が悪く出来も悪い3人の息子たちから後継者を選ぶことまで芹沢に押し付けてくる。

ラーメンチェーンをリサーチし一計を案じた芹沢の出した答えは、「三兄弟による公開ラーメン対決」、また「ラーメン対決」だった…。

という、ベッタベタの「グルメものお作法」展開。

『美味しんぼ』に責を帰すまでもなく、この作者の『ラーメン』シリーズでも散々使い尽くしてきた定番パターン。

ああ、またラーメン対決か…茶番だな…

『らーめん再遊記』12巻より(久部緑郎/河合単/小学館)

そこで「脱構築」です。

芹沢というキャラはもともとシリーズ第1作の主人公のライバルキャラ・ツンデレ悪役キャラで、有能だけどシニカル、サバサバ系・冷笑系の発展系、人情噺も大嫌い、基本的に狡猾で尊大で銭ゲバで自己中心的なクズ気質の「アンチヒーロー」出身です。

「熱血」「根性」「人情」「絆」を重視しがちなテンプレ主人公キャラに対して、キャラの成り立ちからして「脱構築」的な、「アンチ主人公」キャラでした。

更に言うと、そんなキャラ付けをされシリーズを通じて、「ラーメン界のカリスマ」「第一人者」「権威」となり仰た芹沢自身が「脱構築」するための作品が、本作『再遊記』です。

平たく言うと、バカみたいに「ラーメン対決からの美談オチ」を繰り返すことに疲れた芹沢と作者が、違うことをやるための作品。

というわけで、そういう話です。

『らーめん再遊記』12巻より(久部緑郎/河合単/小学館)

「究極のラーメン vs 至高のラーメンの対決!! 家族の絆ゲットだぜ!」

みたいな王道定型パターンを脱しようとしてきた「グルメもの」作品は過去に多々ありましたが、自らも演じてきたその王道定型パターンの美談が持つ欺瞞や茶番性を、ここまでバカにし、侮辱し、軽蔑している作品もそうそうないでしょうw

もはやアンチ「グルメもの」になってます。

また、「ツンデレ悪役→師匠→業界第一人者→半隠居」という経歴を経ても未だ冷笑的でクズ性を保ったままの芹沢のラディカルなキャラが、いかにもそれに似合い、いかにも現代的に感じます。

『美味しんぼ』の海原雄山が同じく尊大で傲慢ながらも、料理とその歴史・本質に対して求道的で、業界内で権威主義・保守的なリーダーや規範として振る舞おうとした、文字通り「家父長」的だったのに対して、芹沢の自己中心的クズ性は最初から「脱構築」「アンチ雄山」だったんだなあ、とあらためて。

そんな芹沢に実子がいないものとして描かれているのも、色んな意味で象徴的です。

かつての「改革の若き旗手」が業界トップに立って「反抗する相手」がいなくなった悲哀も少し感じつつも、その芹沢自身もやがて飽きられ読者を含めた周りから「脱構築」されていくのか、それに抗うように自ら「脱構築」を遂げるのか、それとも更に今いる場所から降りていくのみなのか。

職人として、経営者として、そして漫画のキャラとしての芹沢の「終活」の行方が引き続き楽しみです。

冷笑的でラディカルで自己中心的な芹沢のパーソナリティは、「脱構築」「ポストモダン」「脱 熱血」「脱 美談」という意味ではむしろ、作中で90年代にニューウェーブラーメンブームの旗手だったとされる芹沢が青春時代を過ごしたであろう、80年代的ですよね。

今回のラーメンチェーンの一族はまあ、ある種の装置なのでどうでもいいっちゃどうでもいいんですけど、与えられた舞台と手札での主人公の「大岡裁き」が見せ場であるはずの「グルメもの」のお作法に反して、後から出てきた便利キャラに美味しいところを全部持っていかれ、「絆を取り戻す」どころか「手切れ金もらってバラバラに追い払われる」、主人公は賑やかした後は傍観してるだけ、というのがまたw

『らーめん再遊記』12巻より(久部緑郎/河合単/小学館)

まあ、そういう漫画だったら、そうなるでしょうw

ラーメン対決の果てに涙の和解をするような、この家族のような連中に対するアンチで在り続けたことこそ、芹沢の人生だったでしょうから。

 

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