
ボロアパートで暮らすヤニねこは猫耳で美少女だったが、ぐーたらでだらしなくて下品で臭くて汚いヤニカスだった。

『ヤニねこ』7巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)
そんな彼女の、ぐうたらでだらしなくて下品で臭くて汚くて可愛くてちょっとエロい日常。
という、Twitter発のショート漫画。
かつて自虐・他虐のための蔑称だった「おたく」や「腐女子」がそうなったように、「クズ」という自虐・他虐のための蔑称が
「(愛称としての)自称・他称」
として特にネット界隈でカジュアルになりつつあるような気がするんですが、それを象徴するような漫画。

『ヤニねこ』7巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)
ルックスがおっさんだったらたぶん売り物になりませんが、ちょいエロ猫耳美少女であることで商品になったというか、
「見た目さえ美少女であれば、どこまで許されるか」
という「おっさんの美少女(※ケモナー)擬人化」の実験みたいな。
受け入れられているのは、ルックスの愛らしさ故なのか、自分の内なるクズ性の共感なのか。
「マイルドなノワール」というか、ある種のクズ文学というか、原義の意味での「カタルシス」というか。

『ヤニねこ』7巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)
クズと文学は昔から相性良いですしね。
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自分の怠惰や意志の弱さと向き合って、そして負けて、共感を誘う「ダメ人間漫画」がヒットする事例、近年静かに増えてる気もします。
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一般論的に長続きしやすい日常ものであるにも関わらず、作品として初期に「出オチ漫画かな」と思ったんですが、早や7巻。
出オチ漫画と思った理由は、
「普通、クズネタばっかりそんなに続かない」
と思ったからです。

『ヤニねこ』7巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)
「刹那的」という言葉があります。
あんまり「刹那的」について真面目に考えたことがなかったんですけど。
過去を反省したり、未来に備えて我慢したり、努力したり、人間、記憶と想像力のおかげで「過去」「現在」「未来」が連続して関連してるんですけど、「刹那的」って文字どおり「現在」「今」しかないんだな、と。
過去も反省しないし、未来に備えて我慢も努力もしないし、「今」やりたいこと、「今」やりたくないこと。
「一瞬一瞬の『いま』を大切に生きよう」
的に、たまに美点として語られます。
たぶん、「反省も我慢も努力もするな」という意味ではないとは思うんですが。
品行方正に真面目に生きても事故に遭ったり病気に罹ったりする人もいる一方で、反省も計画性もないヤニねこが楽しく暮らしてたり。
まあヤニねこは漫画ですけど。

『ヤニねこ』7巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)
ヤニねこは「自分は幸福か、不幸か」なんて考えないし、孤独ではないし、たぶん幸福なんだろう。
人生や世の中の理不尽に対する予防策や対抗策や反抗の手段が、「刹那的」ということなんかなあ。
こう、救済の在り方が半周回って「ええじゃないか」的というか、どこか宗教的な気すらしてきますよねw
などということを、今巻を読みながらあてどもなく考えてました。

『ヤニねこ』7巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)
まあそんなん言っても、別にヤニねこが羨ましいわけではない…んだよな、コレ?
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