
このサブタイトルにこの表紙、フラグにしか見えないのよ…
ラジオや映画、自動小銃はあるけど、TVやネットはなく、空軍はプロペラ機ぐらいの時代設定、島国アリストリアが舞台の架空戦記。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)
大陸政府の支配下で体制側である中央合議会とその正規軍の「島軍」、これに反旗を翻した「解放市民軍」による内戦。都市防衛を第一義とするも島軍に従属する「自警団」。
ヒロインは、島軍と解放市民軍の間で武器商の夫を殺され子を失い、復讐を誓う隻眼の未亡人。
秘蔵の狙撃銃で自警団に参加し開花した天才狙撃手。
民族間の断絶から終結が見えない内戦の中で、状況に流されながら生き残るために戦うヒロインたち。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)
見せ場はヒロインの狙撃シーン。局地戦を舞台に劣勢の戦局をチート気味にひっくり返すカタルシスとともに、高性能スナイパーの怖ろしさ、残酷さ、罪深さ、「人間に向けて銃を撃ったら人間が死ぬ」という当たり前のことをこれでもかと描写。
もともと自主制作だった作品を編集担当が見初めて、という経緯でブレイクした作品ですが、数巻前のあとがきによると、編集担当と折り合わず担当を外れてもらって、双葉社の場を借りての編集なしの自主制作のような制作体制になって、今巻も特に状況は変わっていないようです。
もともとのやり方に戻っただけとも言えますが、編集担当がついたり外れたりした経緯の結果、編集担当がいた方が面白いのか、いない方が面白いのか、図らずも作品に編集担当が関わるメリット・デメリットの試金石みたいな作品になっちゃったように思われました。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)
が。
一冊で中編エピソードのスタイルですが、編集担当が付いていた頃から、不躾な言い方をすると巻ごとの(私の感覚での)当たり外れが割りと極端に出る作品でしたが、編集担当がつかなくなっても、巻ごとの(私の感覚での)当たり外れが大きいのは相変わらずで、編集担当の居る居ないの問題ではないのか、とw
大手漫画誌の新人の投稿や持ち込みだったらNG喰らいまくるような、「売りたい漫画」だったら絶対やらないような表現手法がてんこ盛り。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)
大きな作戦に勝利し、各地を残党狩りで転戦するようなフェースに移行したダシア自警団。
長かった内戦も終結に向かい、ダシア自警団も解散の方向へ、平和が見えてきたかと思われたが…
長い内戦の中で島国・アリストリア政府は密かに新兵器を開発、これの実用化が目前となっていた。
アリストリアの新兵器のローンチを敏感に察知した島外の大国・スタインブルグ共和国は、アリストリアの兵器工廠になりふり構わず空挺部隊を電撃派遣。
友軍たる上陸部隊も補給部隊も持たない、「決死隊」であった。
かくして島国の小国と、島外の大国との、大きな戦争の、小さな局地戦が始まった…
今巻も激戦ですが、少数で浸透してきた単独の空挺部隊の撃滅という、先頭規模は小規模なものでした。
ただ冬山で、夜間戦闘で、敵の部隊には空挺戦車も。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)
あと雪山での夜間戦闘という劣悪な環境での激戦の緊迫感はありつつも描写としては局地戦ながら、展開としては「大国・スタインブルグとの開戦」の嚆矢、となりそうな、ストーリー上の重要な転換点。
島国・アリストリアの開発した「新兵器」が気になります。
大国・スタインブルグがこれだけなりふり構わず実戦配備を妨害してくるって、核兵器でも作っちゃったんかしら。
並行して、島国・アリストリア自体が140年前の敗戦国で在り、スタインブルグ主導の統治下で復興した国で在ることが語られます。
現実で喩えるのはたぶん不適切なんですが、架空戦記的に言えば内戦(架空)状態が治まりつつあるかつての敗戦国・日本に、かつての戦勝国・アメリカが軍事介入してくる感じでしょうか。
今巻はとても嫌な予感のする巻タイトルでしたが、想像していたよりは今巻自体の内容はだいぶマシでした。
重要ながら、「章と章の繋ぎエピソードの巻」という感じ。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)
「どうだ明るくなったろう」の人に似ているw
ただ、終戦かと思いきや政治の都合による新たな開戦、ダシア自警団が次巻以降、「使い捨て」にされる展開の始まり、という意味で、「よかった」とはとても言い難いですが。
aqm.hatenablog.jp