#AQM

あ、今日読んだ漫画

#幼稚園WARS 8巻 評論(ネタバレ注意)

国によって極秘で運営され、収監された凄腕の元・犯罪者たちを釈放・減刑と引き換えにボディガード兼「幼稚園の先生」として有期雇用し、誘拐や暗殺の対象にされる良家の子女を預かって護衛する、「世界一安全な幼稚園」。

元・伝説の殺し屋、囚人番号999・リタも、幼稚園教諭として子どもたちを日々護衛しながら、1年間の年季が明けて自由の身になることを、そしてイケメンの彼氏を作ることを夢見ていた…

『幼稚園WARS』8巻より(千葉侑生/集英社)

という、「殺し屋×幼稚園の先生」なハードボイルド・アクション。名物編集「林士平」印。

昔、シュワルツェネッガー主演で凄腕刑事が潜入捜査で幼稚園の先生になる『キンダガートン・コップ』という映画がありましたが、あれに倣えば「キンダガートン・アサシン」という感じ。

同じ「林士平」印の『SPY×FAMILY』は言うに及ばず『子連れ狼』の昔から、「ハードボイルドと幼児」は意外と相性が良いですね。

この作品に限りませんが、

『幼稚園WARS』8巻より(千葉侑生/集英社)

「弱者(子ども)を守る」

というエクスキューズで人殺しの倫理的な罪悪感を中和しているというか。

林編集作品らしく勢い・スピード・テンポ・ギャップ優先、無敵ヒロインでバトルというかガンアクションシーンもどこかコミカルに。

戦闘の優劣の描写は、割りとストーリー展開に応じた作者の匙加減次第、という感じ。

前巻から幼稚園の大イベント、VIPだらけの保護者を招待しての「お遊戯会」編。

展開的にはタワーディフェンスバトルよろしく次から次へと殺し屋がやってくるのを返り討ちするだけのストーリーで、あまり語ることがないんですが、そのバトルの過程で殺し屋それぞれの生き様がクローズアップされます。

『幼稚園WARS』8巻より(千葉侑生/集英社)

徐々に、殺し屋の死生観・人生観、「それでも人を殺し続ける理由」。

多くの「(元)殺し屋もの」漫画作品で

「殺し屋も人の子であり、人の心が在り、日常生活が在る」

というギャップをコメディモチーフにしていますが、この作品はそのギャップの一番重いところと一番軽いところを同時に踏み抜きに行ってるように見えます。

ギャップがキレに繋がって成功しているようにも、二要素が相殺されてただ中途半端になっているようにも、ややもすれば、「殺し屋ギャグ」としては重過ぎて「殺し屋の死生観」を語るには軽すぎる、支離滅裂になる寸前のバランスのようにも。

『幼稚園WARS』8巻より(千葉侑生/集英社)

作品のシリアス要素が重くなってきているというか、クローズアップされる「殺し屋の死生観・人生観」にバランスの天秤が傾いてきて、頻度が下がったギャグで中和しきれなくなってきてる感じもします。

数多くある現役の殺し屋漫画の中でも、だいぶ「重苦しい方の漫画」になってきました。1巻の頃の印象とだいぶ変わった気がしますね。

殺し屋漫画が非常にたくさんあって、その影響で作風が変わって行ってるのか、「描きたいテーマや展開が他の作品で先に描かれてしまう」と展開を急いでいるのか。

『幼稚園WARS』8巻より(千葉侑生/集英社)

もしかしたらこの漫画自体は実はブレていなくて、変わってしまっているのは読んでいる自分の方かもしれないですね。

他の殺し屋漫画のテーマやキャラの生き様・死に様に引っ張られて

「殺し屋漫画は"こう"あらねばならない」

みたいな固定観念が形成されつつあるのかもしれない、みたいな。

いずれにせよ、もうこの漫画を「殺し屋コント」としてただただ笑って楽しむのはもう無理だなあ。

あとは作品全体のキーとなるキャラ・園児のライラの謎なんですけど、

『幼稚園WARS』8巻より(千葉侑生/集英社)

引っ張るなぁ、とw

前述のとおり「子どもを守る」という目的が主人公たちの正当性を担保している作品なので、

「果たしてそうだろうか?」

という問いかけに繋がるのかな。

 

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