年末年始で新刊が発売されないので、過去に発表された名作を読み返します。
今日は「エリア88」です。
「ここは中東(ミドルイースト)…作戦地区名エリア88…
最前線中の最前線!地獄の激戦区エリア88!!
生きて滑走路を踏める運はすべてアラーの神まかせ!!
おれたちゃ、神さまと手をきって、地獄の悪魔の手をとった…
命知らずの外人部隊(エトランジェ)!!」
とても好きな作家なのでどの作品の記事を書こうか迷ったんだけど、まあちょっとやっぱりね、ということで。7年間に渡って描かれた重たくカロリー高めな大作で、こういう長期休暇の時期ぐらいしかなかなかイッキ読みもできないし。
作者・新谷かおるについて
新谷かおるは学生時代は航空機のパイロットを目指していましたが色覚異常のため断念し、漫画家の道に進んだとされます。
投稿作が1972年に少女漫画誌「りぼん」 で入選し、同年に「りぼん」でプロ漫画家デビューします。'72年は「ベルサイユのばら」の連載が開始された年で、また新谷自身は「ガラスの仮面」の美内すずえと同い年。アシスタント時代に「はいからさんが通る」で知られる大和和紀のアシスタントを務め、その後松本零士のアシスタントも務めたとされます。
キャリア前半の作品は戦争やモータースポーツなど武骨なテーマが選定され、また少女漫画の影響を受けたロマンチックな恋愛描写と融合した作風で知られます。
本作で漫画家としてブレイクし、同時並行で「ふたり鷹」を連載、その後も「クレオパトラD.C.」、「砂の薔薇」、「クリスティ・ハイテンション シリーズ」などで知られ、ちなみに自分は打ち切りっぽい「ガッデム」「ジェントル萬」も大好き。
キャリアの後期に行くに従い女性が主人公の作品が増えていきますが、2017年、自身の66歳の誕生日にTwitterで休筆を宣言しました。
「エリア88」について
日本国内大手「大和航空」のパイロット候補生のシン(風間 真)はパリでの研修の最終日、孤児院以来の親友で同僚の神崎に泥酔させられ外人部隊の契約書にサインさせられてしまう。
契約内容は中東・アスラン王国軍の外人部隊にパイロットとして所属し、3年間の任期を生き延びて全うするか、戦果換算で150万ドル(3億円)の違約金を納めるまで、戦闘機パイロットとして敵と戦うこと。
シンが配属されたのは砂漠の王国の地獄の一丁目、政府軍の最前線基地「エリア88」だった…
「エリア88」は小学館の「少年ビッグコミック」(ヤングサンデーの前身)で1979年に連載が開始され1986年に完結した、 主に中東の架空の王国「アスラン王国」の内戦、及び地中海沿岸諸国を巻き込んだ戦役を舞台にした戦記もの。
'79年は「機動戦士ガンダム」が、'86年はその続編の「機動戦士Zガンダム」が放映された年でもあります。
序盤は戦場に生きる傭兵の死生観や孤独をテーマに単話完結のハードボイルドなエピソードが続きますが、徐々に戦記ものとしてのストーリーが立ち上がり、アスラン王国をめぐる内戦や戦争を陰で操る武器商人連合との戦いがダイナミックに展開し、アスラン王国を第二の故郷とする男たちの尊厳や戦場での友情、戦乱で泣かされる女たちの戦いがドラマチックに描かれます。
(「エリア88」9巻より)
「愛は鉄の翼を持って」って最近の漫画作品ではこんなドラマチックなタイトルなかなかお目にかかれませんが、タイトル負けしない熱いドラマが展開されます。
ハリウッド映画「トップガン」(1986)と並んで戦闘機バトルものの中興の祖として、その後の戦闘機を扱ったコンテンツに多大な影響を与え、今日でも「エース・コンバット」シリーズなどのフライト・シューティング・ゲームにその影響が見られる他、戦争もののジャンルで「AとBの戦争を陰で操るCとの戦い」という展開の類型の一つになりました。
「エリア88」の時代背景
Wikipediaによると東西冷戦は1945年から1989年、この作品の時代背景としてがっつり相当。主要登場人物の米軍出身のミッキー・サイモンと南ベトナム軍出身のグエン・ヴァン・チョムはベトナム戦争上がりで、ベトナムの空では敵味方に分かれて戦った間柄。
本作の舞台、アスラン王国も作品前半は「中東のベトナム」として政府軍と反政府軍がそれぞれ東西陣営の支援を受けているのか、主人公たちは西側陣営諸国の戦闘機、敵側はMigなどのロシア…じゃなかったソ連製の戦闘機で戦います。
米軍のベトナム戦争撤退が1973年、イラン・イラク戦争が1980年から1988年。
冷戦下で世界各地で紛争が起こっていた背景と世界の火薬庫である中東の情勢が、架空の王国アスランの内戦にリアリティを与えていました。
「エリア88 ナンバーワン」シン・カザマ
語りたい切り口がたくさんある漫画で、何から語ったものやらという感じ。とりとめもなく思いつくままに、主人公の話から。
凄腕揃いのエリア88でもグレッグやミッキーを抑えてナンバーワン・パイロットとして評価されてるけど、作者がいろんな戦闘機を描きたい欲求の代償なのか、結構しょっちゅう撃墜されて愛機を乗り換えている。
契約形態が傭兵というか業務委託される個人事業主に近く、多くの機体が個人所有の私物なのも特徴。
F8Eクルセイダー(1巻1話〜3話)
私物 敵機の機銃により撃墜
F-15イーグル(1巻4話のみ)
サキの機体を一時借り受け 無傷で返却
F5EタイガーⅡ(1巻5話〜10話)
マッコイから購入 着陸装置の被弾で着陸に失敗し大破
クフィール(2巻1話〜3巻3話)
司令の指名特務のための軍からの支給機 不時着・大破
サーブ35ドラケン(3巻4話〜12話)
マッコイから購入 地上空母のミサイル(奇襲)により撃墜
F-18(4巻1話〜11話)
敵から鹵獲 整備中に自爆装置が暴発
F-4ファントム(4巻12話〜5巻2話)
特務のための軍からの支給機 グランドスラム破壊のため機体のみ特攻
T-38(5巻3話)
司令の指名特務のための軍からの支給機 無傷で返却
F-5タイガー(5巻6話〜9話)
地上空母との決戦からギリシャでの訓練まで 入手経路不明
A-4スカイホーク(5巻10話)
ギリシャでの訓練で使用 訓練機?
F−20タイガーシャーク(5巻11話〜8巻11話)
マッコイから購入? 除隊に伴いキムに譲渡
タイガーⅡ(8巻10話〜11話 臨時)
司令の指名特務のための軍からの支給機 フランス空軍が接収?
ジャギュア(8巻14話)
フランス空軍基地で体験試乗
グラマンX−29(12巻10話〜13巻9話)
マッコイから購入 燃料切れで王宮上空で乗り捨て
F-20タイガーシャーク(13巻最終話)
キムに譲渡した機体が保管されてた? 基地に生還
その他、ミッキーのF-14トムキャット、グレッグのA-10サンダーボルトⅡ、アスラン空軍汎用機のクフィールなども有名。
エアフォース・オタクへの影響は大きく、いくつかの機体は旧型機ながら「エースコンバット」の近作にも未だに登場。サキ専用機のイーグルとかどこ行っちゃったんだろう…
シンは物語当初はとにかく生き延びて傭兵契約の年季が明けるのを切望してるだけの人だったけど、除隊後にミッキーと同じくPTSDから戦場ジャンキー化。これを克服したものの、アスラン王国と戦友たちへの使命感から、恋人・涼子との平和な生活を捨て再び戦場へ。
(「エリア88」12巻より)
艱難辛苦の末にようやく手に入れた恋人との平和な生活を捨てて、「使命か、女か」の選択で使命を選ぶのはヤンサンの後輩の「Bバージン」とも共通するけど、そこまで珍しいプロットというわけではない。
主人公としての役割を全うしたけど、戦場で戦争の虚しさとたくさんの死に触れて飽和して壊れて女に保護される主人公というのは、なんかTV版「Zガンダム」のカミーユに通じるものがある。「エリア88」の完結と「Zガンダム」の放映は同時期なのでどちらが影響を受けたというより、時代の空気だったんだろうか。ソ連の崩壊と冷戦の終結は3年後の1989年。
あとモノローグでよく戦場ポエムを詠む。
戦場の「男の世界」
報酬目当て、戦場でしか生きられない他の傭兵たちと違い、シンの当初の目的は生き延びて日本に帰ることだけで、脱走すら試みたことがあったけど、展開に従って物語の動機が徐々に変容する。
主人公のシンも、ミッキーを始めとする他の傭兵たちも、当初の目的からすれば何の利得にもならないアスラン王国回復のための戦いに自ら身を投じる。
「男の尊厳」「戦友との友情」「第二の故郷アスランのために」が大きな動機になっていく。
(「エリア88」9巻より)
極めてホモソーシャルな世界。
現代的な価値観からすれば「みんなでせーので傭兵辞めればよくね?」「ただのストックホルム症候群では?」にも見え、時代が許していたというか、謎の熱さと説得力がある反面、戦争の狂気に主人公たちも読者も巻き込まれているとも言える。
ジェンダーの対立を描く目的の作品ではないが、振り回される女たちには結構いい迷惑。
(「エリア88」12巻より)
女たちの戦い
ジェンダーの話に手を突っ込むのは苦手なんですけど、言及しないわけにもいかないので。
国連総会で女子差別撤廃条約が採択されたのは本作品開始の1979年。1986年放送の「Zガンダム」でも富野が悪役シロッコに「これからは女の時代だ」と言わせるなど、戦争もののフィクションを創るクリエイターたちも巧拙はともかく「戦争の物語の中の女の扱い」を強く意識し始める。
(「ファイブスター物語 リブート」2巻より)
新谷はその女たちを、トロフィーとしての存在や、泣いて男の帰りを待っているだけの存在として描かず、彼女たちなりのやり方、もしくは新谷なりのやり方で戦わせる。
ジェンダーの描かれ方は現代的なフェミニズムの観点からは満足されないとは思うけど、'70〜'80年代の少年漫画としては意欲的で、ある意味では作者の独りよがりでさえあった。出身が少女漫画で、「はいからさんが通る」で知られる大和和紀のアシを務めた経験にも所以するのかもしれない。新谷のその後の作品にも戦うヒロインの物語は増えていく。
ソリア
おそらく結末のプロットが変更されたせいで、何のために登場したのかよくわからないキャラに終わった。記憶喪失だったはずが最終話で突如、新アスランの王家に復帰して1コマだけ登場。
サキとアブダエルの和解の仲介をさせるなど、本当はもっと重要な役割を負う予定だったのかもしれない。
安田秘書
新谷作品にスターシステムで同じ名前・同じ容姿・同じ人格で度々登場する名物キャラ。本作ではヒロイン・涼子の秘書、親友として彼女を支える。序盤で大和航空を乗っ取ろうとする神崎と暗闘を繰り広げ、ジュリオラによって暗殺されかける。後半では主要な女性キャラを繋ぐハブの役割を果たす。
20代後半で結婚を焦る'80〜'90年代のお約束的な属性も付与されている。
ジュリオラ
悪役・神崎の愛人で秘書として暗躍するが、彼の子を身篭ってからは距離を置き、安田秘書を頼って身を隠す。特に何の思い入れもなくただの脇役として「何のためにこの人いるんだろう」ぐらいの感じで読んでいたけど、ラストシーンで突然その存在が効いてくる。このシーンのためだけに細々ながら描かれてきたのか!
男たちが始めた長く苦しい戦争でたくさんの人が死んだけど最後は女が新しい生命を生んでくれて謎の感動、という展開は前述の「FSS」のコーラス-ハグーダ戦後のエルメラ王妃の他、「逆シャア」原作の初稿「ベルトーチカ・チルドレン」でも見られ、いずれも'80年代後半に男性作家によって描かれていて時代性を感じさせる。女性賛美・女性への感謝への第一歩ともとれるけど、女性性からの解放には至らず、まあ後始末を押し付けて勝手な話よね、という側面も。
セラ
「寝返りくノ一」 的な妖艶なエロ美女と登場し、男所帯のエリア88の紅一点となった。ヒロインの涼子と違い戦場で戦闘機を駆って主人公たちの戦友になれる物理的な「戦う女」。一騎当千のエリア88パイロットたちの中でも、エースのミッキー・サイモンが選ぶ「背中を任せられる6人」の1人に挙げられる。
ハスッパな性格で登場したが巻を重ねるごとに性格も容姿も可愛らしくなっていき、少年兵キムとのコンビは癒しコメディ枠、ある意味マスコットキャラ的になっていった側面もある。
(「エリア88」13巻より)
新谷美人。なんというか「戦場で愛を探す女」というかね。メインヒロインとして期待されない分キャラ造型に制約が少なく、自由で活き活きしてて好きだったわー。
女の身でありながら男たちと価値観を共有し、男に対してアンチテーゼを提示しないキャラクターは、現代では「名誉男性」と揶揄されるかもしれず、また昨今隆盛を誇る「オタクなヒロイン」にも通じるものがあって、オタクな自分が彼女を好むのも、むべなるかな。
涼子
作品序盤ではシンが帰国して再会したい恋人で、物語に求められる役割は優美なお嬢様でしかなく、ある意味トロフィー的な存在でしかなかった。
中盤ではパリで事業を立ち上げ自立するもの、何度かのニアミスの末にシンから電話で別れを告げられ自殺を謀る豆腐メンタルだった。
最終盤、シンが涼子との生活を捨て再び戦場に去って行くと、周囲から再度の自殺を心配をされる中、突如覚醒。経済力と人脈をフル活用してシンの敵であるP4と思想と政治を武器に戦い、悪い意味での男性性の象徴である神崎と世界を挟んで対峙する。
(「エリア88」13巻より)
女性の本質を母性に限定する思想は現代のフェミニズムからは批判の対象となるかもしれないけど、戦争に明け暮れる男社会に対峙する立場としてわかりやすいメッセージを発した。
(「エリア88」13巻より)
体力的に劣ることから戦場で活躍できない女性キャラを、戦争ものの中で平和的な思想のリーダーとして活躍させる事例の、オリジナルではないかもしれないけど嚆矢の一つになったキャラクターで、以降、漫画やアニメで類似のキャラクターが大量生産される。スパロボやってるといっぱい出てくる。
日本におけるいわゆる「マドンナ旋風」は本作品完結の3年後の1989年とされる。女性リーダーに「マドンナ」言うのも、現在だと怒られるかもしれない。
12巻13話でいかにも病死しそうな咳をする謎の伏線があったが、その後この伏線はスルーされ、この時期まだラストのプロットが固まっていなかったことが伺える。
ちなみに「ベルサイユのばら」でも終盤オスカルが度々喀血する、病死を予感させる伏線があったが、同じく発動しないまま終わった。
サキ・ヴァシュタール
額に傷を負い、常にサングラスで表情を隠したクールでニヒルな戦闘指揮官で、かつ自身も優れた戦士で、その正体は王子様。
「またガンダムの話ですか」と呆れられそうだけど、シャア・アズナブル(クワトロ・バジーナ)と共通点の多いキャラクター。
(「エリア88」8巻より)
指導者として主人公たちを指揮して、たくさんの部下を死なせてたどり着いた果ての、あの決断。
読み返すと作中で一度も、王になりたいとも、戦争が終わった後のアスラン王国をこうしたいとも語ることなく退場し、アンチ反乱軍、アンチ・アブダエル、アンチP4で終わってしまった。
ベルトーチカから「平和的なインテリジェンスを感じない」と評され、アンチ連邦、アンチ・ザビ家、アンチ・アムロに終始して新時代のビジョンを示せなかったシャアと非常に重なる。
殴りかかってくる者に対して誰かが殴り返さなきゃいけなかったってのはあるんだけどね。
彼のためにたくさんの人間が死んでいき、その想いを背負うべきポジションだったが、何を為すこともなく、親子喧嘩の和解に満足してあまりにもナイーブに退場してしまった。この戦争は一体なんだったのか。
ある意味、戦争の虚しさを体現したキャラクター。
(「エリア88」13巻より)
いや、ホントにね。
エンディング
文句ばっかり書いたような気がするけど、自分は戦記ものの醍醐味を体現したようなこの作品がとても好きで、読む度にとても感動している。ただ、文句ならスラスラ出てくる割りに、どこをどう感動したのか言語化するのがとても難しい。
人がたくさん死ねば感動するだけなんじゃないか、最後に新しい生命が生まれれば感動するだけなんじゃないか、戦争が終わって平和になればただ単にそれだけで感動しますよね、長期作品が終わって寂しいだけなんじゃないか、軍事的ロマンティシズムに倒錯して感動してるだけなんじゃないか、安易なダンディズムに浸ってるだけなんじゃないか、と言われると、いずれも完全に否定できないものの、でもそれだけじゃないんだよ、という気持ちがあって、なんてんだろうね。
サキ、ミッキー、セラ、キム、ラウンデル、グレッグ、ケン、ウォーレン、グエン、フーバー、ベンディッツと、必死に生きて死んでいったエリア88のメンバーの名前を挙げるだけで色々思い出してなんかもうそれだけで泣けてくるものがあるんだよですよ。
ちなみに「うる星やつら」の最終回は1987年。
(「うる星やつら」34巻より)
「エリア88」の完結はそれより1年早い1986年。
最終話の最後のページは映画のスタッフロール風の演出で、アシスタントを務めたゆうきまさみの名前も見られる。このスタッフロール風のエンディング演出を密かに企んでいた高橋留美子は、新谷に一歩先を越されて大変悔しがったとされている。
(「エリア88」13巻より)