#AQM

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#BEASTARS 21巻 評論(ネタバレ注意)

「そうだ…いつも目の前にはこいつがいた

 俺が草食と肉食の関わりについて
 ウジウジと…本当にずーっとウジウジと悩んでいる時も
 いつだって俺の目の前には…
 この爪の生えたデカい両手が視界に入っていた

 どんな命でも奪えてしまうようなこの手を持っていながら
 俺が思い悩んでいたことなんて… 奪われる側の恐怖の前では
 どんなにちっぽけだったんだ?」

動物たちが直立歩行し服を着て暮らす社会を舞台にした何かと示唆に富む青春もの。

主人公はハイイロオオカミのオス。学園内の食殺事件の犯人を決闘で倒し、その過程で友人の足を食った罪に耐えかねて学園を去った、強く不器用で心優しいレゴシ。彼と恋に落ちた魔性の美少女先輩・ドワーフウサギのハル。

肉食と草食が共生する一見理想的な社会の「そう簡単に上手くいかない」部分にスポットを当て、その社会の矛盾に嵌り落ちて苦悩する肉食動物の少年の葛藤、放浪、恋愛観、人生観。

裏市を扇動し社会の空気を変えつつある凶悪犯・メロンとの決闘。厳戒態勢の裏市で迎えた決闘当日。

連載が今週で完結、1月の次巻で完結とのことです。

肉食獣と草食獣の混血で凶悪犯のメロンは、キャラクターの形をしたこの作中社会のメタファーで、主人公の少年レゴシがメロンを、ひいては矛盾した社会を超克することが作品のテーマと完結に繋がるように一見見えるんですけど、あと1巻で風呂敷たためるんですかねコレw

元はと言えば、舞台設定として食物連鎖の対である草食動物と肉食動物が共同で社会を形成するほどの知恵を身につけ進化してしまったこと自体が歪で、悲劇の元で、同じく知恵をつけてしまった人間が社会を形成している現実社会のなんらかのメタファーであろうとずっと思われてきた作品。

そこを舞台にレゴシが何をやりたいのか、作者が何を描きたいのか、ずっとわかりづらいまま、そのわかりづらさ故というか、答えを知りたさに読まれてきた漫画のように思います。

社会が抱える矛盾はあまりにも巨大で、相対するレゴシは強靭な肉体を持ちながらもあまりにも無力で、また彼の決断は常にエキセントリックで、決して読者の望む方向に安易に転がってきた漫画とは言えません。

この漫画のラストに何を望むかと言えば、自分なんかは「レゴシとハルが幸福に結ばれて欲しい」ぐらいの単純で卑小なことしか思い浮かばないんですけど、作者の視座は高く示唆は多岐に渡るように見え、「レゴシとハルがくっついた」「レゴシがビースターになった」でめでたしめでたしの作品とも思えないし、メロンを打倒するとか、レゴシがじゃあ自らの両腕を切り落とすとかで、作中社会の矛盾が解消するともとても思えません。

なんというか、矛盾を解消し勝利する物語ではなく、矛盾の中で悩み苦しんで七転八倒する若者の姿を描きたかっただけで、作者の目的はこの巻までの21冊でほぼ達成されていて、多くの青春がそうであるように、わかりやすい最終回にあんまり意味はなく、それ故にわかりにくい、もしくは拍子抜けの、一見カタルシスに欠ける形式的な最終回になるんじゃないかなと思います。

誰しも矛盾は早く解消しておさらばしたいわけなんですが、どうにもならない矛盾をそれと認めて、矛盾に悩み苦しみながら毎日ベストを尽くしながら一生付き合っていく決意をすることが最も困難で、でも実はそれは我々が多かれ少なかれ日々やっていることなんではないかとか、そういうことを考えました。

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「BEASTARS」21巻より(板垣巴留/秋田書店)

リズ編で終わっても良かったはずの作品が終わらずに続いた意義というか、リズ編で描ききれなかったことというのは、そういうことだったんじゃないかなと。

最終22巻は年明け1月とのことです。

 

BEASTARS 21 (少年チャンピオン・コミックス)

BEASTARS 21 (少年チャンピオン・コミックス)

  • 作者:板垣巴留
  • 発売日: 2020/10/08
  • メディア: Kindle版

 

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