#AQM

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#藤本タツキ短編集 17-21 評論(ネタバレ注意)

なぜこのようなことを話すのかというと、僕は短編集を出す事に反対していたからです。
理由は表紙や、こういうコメントを書くのがめんどくさかったからです。

「藤本タツキ短編集 17-21」より(藤本タツキ/集英社)

「ファイアパンチ」、「チェンソーマン」でブレイクした藤本タツキの初期短編集。

先日、最近描かれた中編「ルックバック」も発表され、単行本も出版されましたが、まだ感想記事を書いていません。

書こうとすると「書きたいこと」「書かねばならないこと」「書いてはいけないこと」がグルグル回ってしまって文章が書けなくなってしまうので。

気を楽にして、そのうち書こう。

短編読み切りというのは、冗長な無駄を削いてコンパクトに、ワンイシューでわかりやすく、構想・推敲に時間もかけられ、編集を通った時点で作品としてのある程度以上のクオリティも担保されるので、ジャンプラやSQに載ってる時点で完成度高く面白く見えるもんで、連載漫画とは全然違うんじゃないかと自分は思うんですが、その読み切り短編集です。


「庭には二羽ニワトリがいた。」

人類を食糧とする宇宙人の侵略により人類は滅亡寸前。宇宙人たちが通う高校では着ぐるみでニワトリに偽装した人類の生き残りの男女が、それとは知られずニワトリとして飼育されていた。

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「藤本タツキ短編集 17-21」より(藤本タツキ/集英社)

 

「佐々木くんが銃弾止めた」

佐々木くんが憧れの女教師・川口先生にうっとりしていた授業中、不審な男が教室に乱入し、拳銃を乱射した。男は川口先生への復讐を口にし始めた。

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「藤本タツキ短編集 17-21」より(藤本タツキ/集英社)

 

「恋は盲目」

卒業を控えた生徒会長は、同じ生徒会の後輩・ユリに今日こそは告白しようと、断固とした決意でユリに一緒に帰宅しようと誘う。何が起こっても告白するぞという、断固たる決意を持って。

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「藤本タツキ短編集 17-21」より(藤本タツキ/集英社)


「シカク」

サイコパス気味の美少女で世界一の殺し屋・シカクへの奇妙な依頼。それは依頼人自身を殺してくれ、という依頼だった。

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「藤本タツキ短編集 17-21」より(藤本タツキ/集英社)


ぶっ飛んだキャラや超展開、生命に対する淡白な描写など、後の作品の片鱗が…って同じ作者が描いているので当たり前なんですが。

シュールリアリズム、ナンセンスと形容したくなる描写を、ギャグになる手前で踏みとどまって展開していくというか。

荒削りながら「連載に発展させにくそう」な佳作ではありますが、「いま現在の藤本タツキならこうは描かないだろう」というもどかしさというか、描写や行間を読ませる技量においては「ルックバック」と引き比べると雲泥の差は感じます。同じ作者でも描かれた時期が全然違うので当たり前なんですが。

なにかこう、当時無名の17歳〜21歳が描いた漫画であっても「(後の)藤本タツキが描いた」というメタ情報が良くも悪くも読者のハードルを上げて(もしくは下げて)いる感はありますね。

この作品が「天才によるもの」であるのはある面で確かでしょうが、ではなぜ当時世間がそれ相応の評価を与えて(バズって)いなかったのか、ワンオブゼムとして扱われたのか、藤本タツキが相応の評価をされるまでなぜこれだけ時間がかかったのか、と言うことを考えると、「見つかること・見つけること」の難しさ、「評価」というもののいい加減さ、ということを考えさせられます。

この単行本の作者がたとえば「山田たつき」だった時に、自分は同じ評価をしたでしょうかね?

ただ、救いのないちょっと切ない展開からどこか救いと清涼感を感じる読後感への抜け加減が共通していて、これが「藤本タツキっぽさ」なんかしらね。

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「藤本タツキ短編集 17-21」より(藤本タツキ/集英社)

 

どの作品にも、呼吸をするように装置として特に脈絡もなくやたら拳銃や刃物を持った凶悪な不審人物や殺人宇宙人や殺し屋が出てくる作風の漫画家で、「ルックバック」の犯人像に関してネットでケンケンガクガクの議論がされたのは一体なんだったのか、というのが、自分は地味に一番面白かったです。

 

 

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