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#ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~ 4巻 評論(ネタバレ注意)

師事する異種言語学の教授が腰をやっちゃったので仕事を引き継いだ人間の青年・ハカバ。調査のために気球で魔界へ。まずはワーウルフの集落へ。ワーウルフと人間のハーフの女の子・ススキをガイドに魔界調査旅行。

モンスターたちのおおらかでいい加減でのほほんとした社会。

見てたら実は魔界の中でも種族が違うと言葉あんまり通じてないんだけど、「まあ、なんとなくでいいか」的なテキトーなコミュニケーションが異文化交流の初期っぽくて全体的になんか可愛い。

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「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

冬の村にススキと共に滞在したハカバは村に住む様々な種族とのコミュニケーションに悪戦苦闘しつつ、教授の残した手記から、無意識に目を逸らしていたある事実に気がついてしまう。

気づいた事実と将来起こるであろう事態を重ね合わせて、ハカバは暗澹たる気持ちを抱くが…

言語が概念を規定した結果、昔はなくても生きていけたはずの言葉や概念に人間の思考や感情が振り回される、というのは現実の人間社会にも見られ(日本人にとっての「愛」の概念、とかよく言われますが)、昨今、自分が特に強く感じる一例は「オタク」という言葉が規定し損なっている概念です。

自分の主観から見た「オタク」という言葉が規定する概念は、もはや広さ・深さともに誰も収拾がつけられないほど広範に拡大したように見えます。

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「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

結果、昨今ネットの一部では「オタク」という言葉が便利に悪魔化されてオタクでいるだけで自動的に糾弾の対象になったり、あるいはあるべき「真のオタク」の姿を巡って論争やマウント合戦が繰り返されるなどしています。

自分は一応オタクを自認する一人ではあるんですが、昨今はネットを見ていると割りと精神的に流れ弾に被弾することが多く、「オタクという言葉と付随する物語(アイデンティティ)の誕生は、総合してオタク達自身を幸福にしただろうか、不幸にしただろうか」などと考えてしまいます。

「言葉が豊かであること」は一見それこそ豊かで美しいことのように見えますけど、何事も無謬ということはなく「毒にも薬にもなる」というように、醜い言葉・生まれなかった方が良かった物語、というのはあるんじゃないかと、自分は少し思っています。

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「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

作中、ハカバは魔界の住人達が物語を共有する術を持たないことに将来を危惧し暗澹たる思いに陥っていますが、彼が真に心配するべきは魔界ではなく彼が住む人間界の方なんじゃないかと、「オタク」という言葉に振り回される昨今のネット界隈を見ていると考えてしまいます。

「戦争」という概念を持たず理解できない魔界の住人は、一面では脆弱かもしれませんが、それも含めてそれは果たして不幸なことなんだろうか。

魔界の住人たちの営みを見ていると、なんだかハカバたち人間が持つ言語と概念の豊かさが、ただの虚しいバズワードの繰り言でしかないような気が。

冷笑的、無責任、かっこつけ、あるいはフリーライド的な間違った態度なのかもしれませんが、自分は「オタク論」の消耗から少し距離を置きたくて、自分は「真のオタク」じゃない「ただの漫画好き」でいいし、なんだったら「漫画好き」などとアイデンティフィケーションされなくても漫画は読めるし、「オタク」という言葉がまだなかった頃みたいにただ好きな漫画の話がしたい、とか思ってしまうんですが。

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「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」4巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

魔界の住人にも自分達に名前をつける種族とつけない種族がいるなど、なんだか示唆に富んでいて面白いですね。

なんの予告もされていませんが、この作品の完結はそんなに遠くないような気もするんですが、どうオチをつけるんでしょうか。

次巻で教授の至った境地がおそらく描かれることになるんだと思いますが、とても興味深く、楽しみです。

 

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