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#ジーニアース 2巻 評論(ネタバレ注意)

「ハイスコアガール」などで著名な押切蓮介のミュータント・バイオレンスもの。

現代日本。千人の1人の割合で突然変異遺伝子を持つ子どもが生まれ、彼らの一部は力に覚醒した。

ある者は国家権力に喧嘩を売り、ある者はいじめの常習者を粛清し、ある者は変異種を連帯させる組織を設立した。

社会の脅威として認知された彼らは、畏敬を込めて「ジーニアス」と呼ばれた。

という。

「少数の超能力者の存在」「それに対する人類社会の差別・弾圧」「それに対する超能力者たちの復讐」、そういう感じです。

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「ジーニアース」2巻より(押切蓮介/秋田書店)

自分は「X-MEN」とか観てないですけど、基礎設定はああいうミュータント・バトルもの。「FSS」の騎士にも似ているし、似ている設定の作品はたくさんあると思います。

この作者の特徴として、「ハイスコアガール」のようなコメディ調の青春ラブコメを描く反面、「ミスミソウ」に代表される、まるでそれ自体が目的のような残酷で凄惨ないじめ・虐待が描写される暴力的な作品も描く、二面性を持つ作家。

魅せ場は能力バイオレンス・作劇は小は復讐カタルシス・大はジーニアス(ミュータント)が生まれた意味、が魅力の作品として紹介して差し支えないと思います。

能力バトル自体は「X-MEN」、「ハンター」、「ジョジョ」あたりで見たような能力が多いですが、作劇が復讐寄りで表現がよりえげつない感じ。「ハンター」で言うアルカ(ナニカ)っぽい。

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「ジーニアース」2巻より(押切蓮介/秋田書店)

「虐げられるターン」と「復讐するターン」の落差が激しく、見ようによってはターン制バトルのような。「バトル」というよりも「虐待と過剰防衛」に近い描写。

主人公格のキャラが複数いますけど、前巻後半で政府の弾圧組織に囚われ、今巻で拷問を受けたり復讐しつつ脱出を図ったり、一方ジーニアスの解放レジスタンス組織が救出に向かったり、という今巻。

前述のとおり復讐劇と基調にした作劇で、今のところほぼ勧善懲悪みたいな進行なんですけど、この作家の特徴として悪役の描写が非常に陳腐で安っぽいです。

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「ジーニアース」2巻より(押切蓮介/秋田書店)

「悪役=悪い」以上の人間性を持たされていなくて、キャラとして大変薄っぺらい。

感情移入する余地がないので作中で心置きなくぶん殴ってブチ殺せるというメリットもあることは置いておいても、この悪役の陳腐で薄っぺらくて安っぽい感じ、今巻は特に妙になんか生々しく感じました。

このなんの深みもない、差別心を自己正当化し短絡的で自分の正義と無謬を盲信して他者を攻撃して傷つけることを微塵も躊躇わない感じ、悪役の描かれ方として非常に戯画的なんですけど、すんごい既視感とリアリティを感じてしまうんですが。

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「ジーニアース」2巻より(押切蓮介/秋田書店)

平たく言うと、SNSでよく見ますよね、こういう人ら。

物理的なバイオレンス描写に目が行きがちなんですけど、この作品が「問題作」であるとしたら、人間社会が持つ精神的な暴力性に対するこの作家の根源的な不信かもしれないな、と思ったりしました。

振り返れば過去作、SNSが隆盛して現実の人間の陳腐さ・薄っぺらさ・安っぽさをより身近によりわかりやすく暴く以前から、この作家の描く悪役は基本的にこうだったんですけど、昔から「この作者には人間がこう見えていた」ということなのか。

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「ジーニアース」2巻より(押切蓮介/秋田書店)

何が困るって、現実にジーニアス(ミュータント、暴力に特化した異能力者)が本当に存在したら、十中八九人類社会はこの漫画の悪役と同じ台詞を吐いて同じことをするであろうこと、自分も条件付きでそれに賛成するであろうと思ってしまうぐらいには、現実も自分も陳腐で薄っぺらくて安っぽいことが暴かれてしまっているようで、心がざわつくんですよね。

 

 

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