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#怪獣8号 7巻 評論(ネタバレ注意)

現代、ただし頻繁に怪獣に襲来され「怪獣大国」となった日本。「防衛隊」が組織され、襲来の都度、怪獣を討伐することで社会が保たれていた。

かつての防衛隊志望に挫折した怪獣死体処理清掃業者・日比野カフカ(33♂)は、防衛隊志望の後輩に触発され再び入隊試験受験を決意するものの、いろいろあって人間サイズの怪獣に変身する体質となってしまう。

目撃情報から防衛隊に「怪獣8号」として指名手配されたまま、怪獣変身体質を隠したカフカの防衛隊入隊受験が始まった。

という、「SF」でいんだよねこれ。「バトル」もつけていいんかしら。という王道変身ヒーローもの。

作品コンセプトとして他とは毛色の違う「ディザスター(災害)もの」として期待した向きには、結局「普通のジャンプバトルもの」に落ち着いちゃったな、ってのはあります。

そこ掘ってみましょうか。

『怪獣8号』7巻より(松本直也/集英社)

怪獣ものの転換点の一つとして近年の『シンゴジラ』があって、現実社会に怪獣という「嘘」を放り込まれた時のリアリティの快感、超人ならざる群体としての人間がいかに現実的な手段で怪獣に対抗・奮闘するか、という展開・描写がなされました。

警察もの(刑事もの)において、それまでの『太陽に吼えろ』などのヒロイック刑事の活躍を描かれる路線から、「普通の人」の延長の警察官像が示された『踊る大捜査線』が転換点になったのと少し似ています。

『怪獣8号』7巻より(松本直也/集英社)

怪獣は巨大で黙して語らない、まさに「ディザスター(災害)もの」としての期待がこの作品にも1巻当初はあったんですが、ご存知の通りその後怪獣は人間サイズの人型になり日本語を喋り出し、ということで気が付いたらジャンプによくあるバトル漫画になってしまい、当初の読者の期待からドンドン外れていきました。

「怪獣もの」に対する解釈違いとでもいうか。

『怪獣8号』7巻より(松本直也/集英社)

特に怪獣9号は何回も引き分け前後で撤退し再登場するしつこさで、延々と同じ展開を繰り返しているように見えなくもありません。

防衛隊も少数の精鋭が怪獣の力を取り込んで超人化し怪獣に対抗していくのも、「悪魔の力 身につけた」という『デビルマン』の焼き直し、先祖返りと言ってよく、『シンゴジラ』で上がったハードルの、「上下」ではなく「以前」に見えるものになりました。

『怪獣8号』7巻より(松本直也/集英社)

というのが、この漫画の作者と読者のボタンの掛け違いのあらまし。これが尾を引いて、またネットで無料で読めちゃうこともあって、この作品はある時点からずっと評価の面で損というか、不遇とも言える状況に。

で。

ただ、『デビルマン』の延長線上の。またジャンプ伝統の「超人バトルもの」として見た時に、ジャンプ本誌に載ってても遜色ないぐらいには結構面白いんだけどな、という。

序盤に登場した敵役が主人公の成長に同期するように前に立ち塞がり続けラスボスの地位に駆け上がっていく、というのもある種のジャンプバトル漫画の定番展開で、特にこの作品に限った欠点というわけでもありません。

『怪獣8号』7巻より(松本直也/集英社)

それだけ、当初の「いつものジャンプバトル漫画とは一風違った『シンゴジラ』のような漫画が始まった」という期待が大きかったということかもしれません。

この漫画に必要なのは「ディザスターもの、"大人の漫画"として期待するのはもうやめてくれ、群像劇的な超人(変身ヒーロー)バトル少年漫画として楽しんでくれ」という、読者に対する決定的な宣言・メッセージなのかもしれないな、と思ったりもします。

「大人な読者」にはもう飽きられて食傷気味のジャンルかもしれませんが、少子化とはいえ「少年」はいつの時代も居るもんですし、彼らのために過去のテーマを再生した作品があってもいいと思うんですが。

『シンゴジラ』と同じスタジオカラーの新作が『シンウルトラマン』でそれこそ60年代〜70年代ヒーロー、少数の超人が怪獣やっつけてくれるヒロイックな展開への回帰と再生産で、ちょっと風向きが変わったりするのかしら、しないのかしら。

正直、自分はこの作品の続き、結構ワクワク楽しみにしてます。

 

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