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#とらドラ! 11巻 評論(ネタバレ注意)

まだ、やってます。

ラノベブーム初期の名作・映像化の成功事例として語られるラノベのコミカライズ。

自分、最初にこの作品に出会ったのがコミカライズの1巻だったこともあって、原作もアニメも観てないんですよね。今だったらSVODでたぶんアニメ全話観れちゃうんですけど。

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

コミカライズの前巻は2021年11月、その前は2019年6月、1巻は2008年、アニメ化されたのも2008年、原作ラノベの1巻は2006年の刊行とのことです。

「なんでこんなに続きが出るの遅いんだろう」とか「1つの作品のコミカライズに1人の漫画家をこんなに長期に拘束するのどうなの」とか思ってた時期もあったんですけど、ぶっちゃけ事情とか全然知らねんですけど、途中で行方不明になるコミカライズも多い中、年1冊以下のペースでも待ってさえいればコツコツ着実に続きを描いてくれて、今はもう応援しかしてねッス。

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

両片想いなのに、互いに相手の当初の恋愛成就にこだわり、当初の恋愛相手は友情優先で、と主要登場人物のほぼ全員が自分より誰かの恋愛感情を優先した結果、こじれにこじれたところに、更に進路の悩みも重なって、という展開。

「闇は夜明け前が最も深くなる」というか、高校3年生の進路を悩む時期と恋愛と友情の人間関係のもつれに加えて、今巻ではとうとう「生まれと育ち」(親)にも遡って、作品クライマックス前の曇らせ展開が大噴火、という巻。

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

未成年の高校生の無力感と、経済的にも精神的にも良かれ悪しかれまだ親の影響下、というのもそうなんですけど、ガキのくせに「自分を置いといて他人の幸福をプロデュースしよう」という各キャラの魂胆が、自分が思春期だった頃を顧みてもこう、虫唾が走りますねw

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

「テメエを幸せにできねえガキが10年早えよ」っていう。特に他人の恋愛プロデュースしようとするガキ。そら、みのりんじゃなくてもブチ切れるわっていう。

「子に自分が叶わなかった夢や人生を仮託する親」ってのもまあ代償行為みたいなのが透けて見える瞬間がウザいってのはあるんですけど、親には多かれ少なかれあることだっていうのと、ガキ同士の幸福プロデュースごっこと違って「産んだ責任」とか「産んだ時に感じた祈り」みたいなものでドライブしてるとこがあるので、ガキの衝動とは言え、

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

これはさすがにやっちゃんが可哀想すぎるなーと思います。

やっちゃんの半生に唾を吐きかけるような言葉。毒親に向けるセリフなんだけど、やっちゃん毒親じゃねえし。

竜児テメーやっちゃん泣かしてんじゃねえよ。ちゃんと謝れよ。ぶっ殺すぞ。

って、ぶん殴る大人がいない話なんですけど。

前述のとおり原作とアニメを未体験ですが、アニメ全25話の24話あたりの話なのかな、作品の谷で、ここを越えればもうエンディングまで一直線かな、と思います。

あと一冊か、二冊か。

 

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