玉置勉強の新作。
アニメ化されるまでには至らずとも、マンション購入できるぐらいには過去にラノベで一発当てた作家・井上。
45歳、バツイチ、子どもなし。
知り合いが大ヒット作家になったり業界から姿を消したりしていく中、井上自身は近年はヒットに恵まれず、雑多なライター仕事で糊口を凌いでいた。
いつものように飲んだくれて路上で座り込んでいるところに同じく飲んだくれてゲロを吐いてきた女と、ラブホテルにしけ込んで一夜が明け翌朝そのまま自宅に誘われ「すわ2回戦か」と思ったら、そこには彼女の高1の息子・鷹斗がいた。
女は「後はよろしく」とそのまま蒸発。
葛藤はあったものの、井上は目の前で親に捨てられた鷹斗の衣食住の面倒を見てやることにした。
かくして、45歳の売れない小説家と、15歳のイラストレーター志望の少年の、奇妙な二人暮らしが始まった。
という建て付けは、同居日常もの。BLではないですが、まあBL要素や百合要素は消費者の側が勝手に見出す面もありますし。
血のつながらないおっさんと少年の擬似親子もので知ってる作品で有名どころだと、『銀河英雄伝説』のヤンとユリアンの関係が近いですかね。あと徒弟制の弟子入りものとか。
兄貴以上・親父未満、みたいな。
売れ筋の「擬似父娘もの」ではなく美少女ではなく、鷹斗のポジションを敢えて少年にしたのは、コンプラというよりも、将来を含めた性愛の結びつきの予兆や期待が、描きたい作品テーマのノイズになる、という判断かもしれないし、あるいは「少年だった自分」に宛てた作品だからかもしれません。
漫画家って、小説家とイラストレーターの、両取りというか、真ん中というか。作者自身が二人の主人公に分裂してる節がありますよね。
という、建て付けは同居日常ものですが、実態はクリエイター論であり、世代論であり、時代論であり。
過去のスマッシュヒットの余韻で燻りながら業界にしがみついている作家の中年主人公、大ヒット作家になったり逆に業界から消えていったりした戦友・ライバルたち、人生を搾取され身を持ち崩した(?)かつてのシンガー、素養と希望と不安を抱えるイラストレーターの卵の少年。
表現者の抱える夢と現実と葛藤を、いろんな視点の対比から語る作品。
関係性がちょうど、ユリアンを聞き手にヤンが「社会と政治(思想)と軍事と自分」を語ったのに似ていて、代わりに語られるのは「社会とアート(文学)とエンタメと自分」です。
普通、漫画家を学歴で語ることほど馬鹿馬鹿しいことはないですが、漫画において「美大もの」が一大ジャンルであるように、こと「美大」に関しては漫画家を輩出する大きな供給源の一つであり、また作品・作品性と強く結びついていることが多いです。
「学閥」というと語弊があるかもしれませんが、美大の漫研を通じた先輩後輩・師匠弟子(元アシスタント)の関係・コミュニティも散見されます。
玉置勉強は多摩美の漫研出身ですが、多摩美は漫画家の出身校として名門で、今巻でも先輩の沙村広明が巻末に寄稿していたり。
ja.wikipedia.org
狭き門の美大受験を潜り抜け、教養としてアートを学び、社会の中での「アートと自分」について考え、その上で「読む漫研」じゃなく「描く漫研」だった多摩美の漫研では、描きながらこういう話をたくさんしてたんだろうな、と。
あるいはまったくできなかったんだろうな、と。
社会の中のアート、アートとエンタメ、アートと漫画、社会とアートとエンタメと漫画と自分。
「成功する」「売れる」ということ。
美大出身漫画家のこの葛藤を、玉置勉強はもっとも色濃く体現している作家かもしれないな、と思うことがあります。
玉置勉強自身1973年生まれの50歳(私と同世代だ)で、本作の45歳の小説家への投影度合いが高く見え私小説めいていますが、同時に作品自体は肩の力が抜けた同居日常ものとして、非常に読みやすいクリエイター論。
自分のような消費者に徹した読者よりも、クリエイターを志す若い人や、かつてクリエイターだった経験を持つ人に読んでほしい、と余計なお世話ながら感じさせる作品。
エロは描くのに鷹斗のポジションを敢えて美少女にしなかったのも、舞台を敢えて美大にせずに「おっさんと未来ある少年の生活」にしたのも、玉置勉強らしい屈折というか変化球というか反骨心というか、この作家らしくて自分はとても好きです。
井上と鷹斗を依代にした2巻以降で、玉置勉強自身が「表現者という生き様」について本格的に何を語るのか、とても楽しみ。
「もっと言いたいことあんだろ、もっとロックに"漫画"で言っちまえ、ぶち撒けちまえ、玉置」
と、呼び捨てで無責任なことを。
「俺たちの」というかね、自らの憂鬱や苦悩や葛藤を曝け出す、清志郎やヒロトや尾崎や富野や庵野と同じく、なんか呼び捨てで応援したくなる作家ですよねw
aqm.hatenablog.jp
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