#AQM

あ、今日読んだ漫画

#幼稚園WARS 3巻 評論(ネタバレ注意)

国によって極秘で運営され、収監された凄腕の元・犯罪者たちを釈放・減刑と引き換えにボディガード兼「幼稚園の先生」として有期雇用し、誘拐や暗殺の対象にされる良家の子女を預かって護衛する、「世界一安全な幼稚園」。

元・伝説の殺し屋、囚人番号999、リタも、幼稚園教諭として子どもたちを日々護衛しながら、1年間の年季が明けて自由の身になることを、そしてイケメンの彼氏を作ることを夢見ていた…

『幼稚園WARS』3巻より(千葉侑生/集英社)

という、「殺し屋×幼稚園の先生」なハードボイルド・アクション。名物編集「林士平」印。

昔、シュワルツェネッガー主演で凄腕刑事が潜入捜査で幼稚園の先生になる『キンダガートン・コップ』という映画がありましたが、あれに倣えば「キンダガートン・アサシン」という感じ。

同じ「林士平」印の『SPY×FAMILY』は言うに及ばず『子連れ狼』の昔から、「ハードボイルドと幼児」は意外と相性が良いですね。

『幼稚園WARS』3巻より(千葉侑生/集英社)

林編集作品らしく勢い・スピード・テンポ・ギャップ優先、無敵ヒロインでバトルというかガンアクションシーンもどこかコミカルに。

落書きみたいな抜いたギャグコメ絵の顔がなんとも可愛らしい。

ポリコレ的に漫画の主人公が人を殺すのはやりにくいご時世ですが、そのせいなのか、近年は「殺しが許される数少ない職業」、殺し屋をモチーフにした作品が目立つ気がします。

自分が殺し屋もの漫画が好きなせいの偏りもあるんでしょうけど。

『幼稚園WARS』3巻より(千葉侑生/集英社)

『るろうに剣心』とか『ファブル』とか、足を洗った殺し屋が不殺の誓いを立てつつも…という作品も多いですけど、本作は敵が子ども狙いの殺し屋たちなので返り討ちに殺しても倫理的にもOK!的にがっつり、たくさん殺します。

こうした「人を殺し続けることで生きている」人間をフィクション、特に少年漫画の主人公に据えた時、「人を殺してはいけない世界」に生きている読者との倫理観や人生観のズレを、どこかで擦り合わる作品が多いです。

大人向けの作品は必ずしもそうでもないんですけど。

『幼稚園WARS』3巻より(千葉侑生/集英社)

ということで、ヒロインのリタとまるで自問自答のような「陰と陽」の位置にいる、「リタになれなかった凄腕殺し屋」の話。

「殺し続ける人生」のマインド、インナースペース、「殺すこと」、「生きること」、「生命とは」の自問自答は、殺し屋もの作品のある種の究極の命題で、多くの作品では最終回近くのクライマックスに持って来られることが多いんですが、この重たく人生を問う風呂敷を3巻にしてサクッと畳んで実質的な「第一部 完」、同時に次の「世界の謎」のエンタメの風呂敷を拡げました。

『幼稚園WARS』3巻より(千葉侑生/集英社)

もしそうなら、その子の卒園と同時に廃園やな。

よくあるセカイ系作品だと、主人公のマインドと世界観の在り様が同時進行でリンクしていたんですけど、先に文学的なマインドの話に決着をつけてからエンタメとしての世界の話を始める、と言う構成はちょっと珍しい気がします。

リタや幼稚園教諭たちの、敵と殺し合いながらの自分たちの人生に対する、確固としてブレない肯定。

描写の多くがギャグコメというのもあるんでしょうけど、自身の未来の夢を持つと同時に子ども(未来)を守っている、というのも大きいんでしょうか。

「子どもたちのために戦う」って、理屈じゃねえもんな。

『幼稚園WARS』3巻より(千葉侑生/集英社)

過去のセカイ系作品の禅問答の帰結を既に自明の前提として持った上で、「何のために戦うのか」、「何のために殺すのか」、単純明快にハッキリしていて、なんだか「セカイ系からの脱却」というか、「サバイブの時間」というか。

 

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