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#くノ一ツバキの胸の内 9巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

外界から隔離された人里離れた山奥の里でくノ一として養成される少女たち。

隔離されているが故に、彼女たちは「男」という存在を「先生が危険だという生き物」として断片的にしか知らず、ある者は倒すべき怪物として、ある者は幻の生き物として憧れを抱いていた。

『くノ一ツバキの胸の内』9巻より(山本崇一朗/小学館)

あかね組の年長の優等生の少女・ツバキも、自制しつつも男が気になるお年頃だった…

くノ一学校を舞台にした耳年増 日常コメディ。

可愛い女の子をバリエーション豊かに描けるという多くの漫画家にとって垂涎のスキルを持つ作者が、そのスキルをフル活用するためだけに選んだような設定。というか可愛い女の子だけをひたすらたくさん描きたいだけの漫画。

Amazonの商品概要によると、くノ一少女が38人いるそうです。

『くノ一ツバキの胸の内』9巻より(山本崇一朗/小学館)

別作の2作がメインヒロインにフォーカスした未満ラブコメということもあってか、とにかくいろんな「可愛い女の子」を髪型・髪色だけではなく顔の造りから描き分けるための練習というか習作のような漫画で、作話は良くも悪くもバニラというか、あってもなくてもいいような他愛のない日常話が中心。『サザエさん』などに近い感じ。

作品当初に提示されたテーマ、未知の存在「男」について、ほぼ全員がもう忘れてどうでも良くなっている中、メインヒロインのツバキだけが「男」を追求し続けてるの、健気で可愛いやら、執念深くてしつっこいやらw

というわけで、今巻で完結。

ツバキと、彼女が好奇心を消せない未知の存在、「男」にまつわる一冊。

『くノ一ツバキの胸の内』9巻より(山本崇一朗/小学館)

ストーリーなんかあってないような漫画作品だと思ってて、ラストもせいぜい

「男への好奇心を選ぶか、美少女動物園の日常を選ぶか」

の選択を迫られる的な、ふんわりした終わり方だろうとタカをくくっていたんですけど、思った以上にたくさんの切り口と持っていて、見る角度によって色や光が変わる、含蓄があって奥深いエピソードで終わりました。

最初、もしくは途中から決まってたラストだとは思うんですけど、たいしたことない話を見せ方でこれだけ盛り上げて謎の感動、そして「たいしたことない話」は実は「たいしたことある話」だった、という感じ。

「ストーリーなんかあってないような漫画」だと思わされていたのは、要するにこの漫画は「ボーイ・ミーツ・ガールが封じられた世界」の「物語が始まる前の物語」だったから。

『くノ一ツバキの胸の内』9巻より(山本崇一朗/小学館)

だってよく考えたら、隔離され異性の存在が秘匿されてる閉鎖環境って、たとえそれがコメディで和気藹々の美少女動物園であっても、「自由を知らない故の幸福」にすぎない以上、ある種のディストピアとして描かれていたんですよね。

好奇心、憧れ、消せない情熱、一歩踏み出す勇気、シスターフッド、リーダーであること、師の教え、「掟」という概念が持つ「因習」の側面、守破離、物語の始まりとしての「ボーイ・ミーツ・ガール」、見たことのない景色。

見ようによって、いろいろ考えさせられる。

『くノ一ツバキの胸の内』9巻より(山本崇一朗/小学館)

描かれなかったこと、語られなかったこともたくさんありますが、何も語られなくてもただ「ツバキが困ってるから」というだけで集まった仲間たちとはまた違う意味で、描くことも語ることも野暮というもの、という気がします。

ちょっと軽くて、ちょっとご都合、ではありましたけど、

「超えていくのは常に若者の憧れや情熱」

という少年漫画の普遍のテーマを、こんなに面白くコンパクトに読ませるラストになるとは思っていませんで、お見それしました。

『くノ一ツバキの胸の内』9巻より(山本崇一朗/小学館)

それに加えて、その「檻の外」に憧れて手を伸ばし続けたヒロインの顛末、「美少女しかいない世界の終焉」を描く試みは、近年「美少女動物園」と度々揶揄される自ジャンルに対して、期せずして強烈なメタ風刺にもなっています。やっぱわざとやってんのかな?

やー、良かったし、面白かったし、いろいろ謎?が残ったままなのにも関わらず、自分は納得のラストだった。可愛かったしね。

 

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