浅草の阿良川一門の落語家(二ツ目)阿良川志ん太の娘、小学生・朱音(あかね)は父親の落語を誇りに思い憧れていた。
朱音も応援する父親の真打昇進試験、しかしその顛末は予想だにしないものだった。
内密かつ非公認に、父に倣って一門ナンバー2の落語家・阿良川志ぐまに師事して6年、高校生となった朱音は父親の意志と夢を継ぐべく、正式に志ぐまに弟子入りし阿良川一門に入門。
父の叶わなかった夢、真打を目指す朱音の落語家人生が始まった!
という、落語をモチーフにした成長譚の青春譚のサクセスストーリー。
週刊少年ジャンプ本誌連載ながらモチーフが落語という変わり種ですが、まあ「なにやってもジャンプ」というか「落語やってもジャンプ」というか。
ジジババイメージが強い伝統芸能の世界の中心で元気で可愛いJKが主人公、というのもギャップがありつつ、いかにも今どきでキャッチーで、世代間コミュニケーションの楽しみや「男社会の中の女」という切り口にも派生できそうで、見た目の印象以上に拡張性が高い作品だな、と。
当面の目標を「前座」から「二ツ目」への昇進に定め、阿良川一門の昇進ルールに則って、レベルの高い阿良川一門の「前座」たちがシノギを削る、実質「予選」の錬成会、そして「本戦」の選考会へ。目指すは若手の登竜門「四人会」の最後の一枠。
要するに今巻は「荒川一門前座ナンバーワン決定戦」、その決勝。
朱音とはタイプの異なるライバルたちのスタイルやポリシーを通じて、落語の正道・邪道の手管を見せて、その懐の広さと各キャラの生き様が描かれます。
が。
必ずしも、もともと「バトル」ではない「落語」をジャンプらしいバトル展開に落とし込んだ結果、とは一概に言えません。
『ガラスの仮面』『アクタージュ』のような演劇ものでもそうでしたし、現在人気の『メダリスト』をはじめとする芸術系の採点競技も全部そうなんですけど、格闘技や球技のようにルール上、相手を直接妨害することがルールに組み込まれていない「競技」を漫画などのフィクションした際に「バトルもの」の形態を取ると、勝負の行方は得てして
「主人公が要求される成長をしてきたか/本領を発揮できたか/覚醒できたか/正解に辿り着けたか」
で八割がた決まってしまうんですよね。
ライバルではなく自分との戦いに収束するというか。
なのでこうした「バトルもの」でライバルがどんなプレイをするかは、実は勝敗にはあんまり関係なかったりします。
主人公が成功したら超えられて、失敗したら超えられない、ライバルの役割は走り高跳びのバーです。
「八割がた」としたのは、残りの二割は「勝負に勝ってルールに負けた」が起こるからです。
ということで、その、朱音。
ハタから見ても父親の落語へのこだわりは強力で、ややもすれば朱音の落語は「父親の落語の再生産」で終わりかねないことが暗に危惧されていましたが、志ぐま師匠のおっしゃるとおり、「志ん太のコピー」で終わるのか、「志ん太の落語」すら飲み込んでデカくなる器なのか、その分水嶺。
噺(演目)に関する朱音の選択は、「志ん太」の跡を追う「替り目」。
父が得意とした「替り目」を演じる中で、朱音は父の背中の残像に何を見るのか。
という気になるヒキで、次巻に続く。
なんか「勝負に勝ってルールに負けた」が起こりそうな、予感もしますね。
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