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#あかね噺 8巻 評論(ネタバレ注意)

浅草の阿良川一門の落語家(二ツ目)阿良川志ん太の娘、小学生・朱音(あかね)は父親の落語を誇りに思い憧れていた。

朱音も応援する父親の真打昇進試験、しかしその顛末は予想だにしないものだった。

内密かつ非公認に、父に倣って一門ナンバー2の落語家・阿良川志ぐまに師事して6年、高校生となった朱音は父親の意志と夢を継ぐべく、正式に志ぐまに弟子入りし阿良川一門に入門。

父の叶わなかった夢、真打を目指す朱音の落語家人生が始まった!

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

という、落語をモチーフにした成長譚の青春譚のサクセスストーリー。

週刊少年ジャンプ本誌連載ながらモチーフが落語という変わり種ですが、まあ「なにやってもジャンプ」というか「落語やってもジャンプ」というか。

ジジババイメージが強い伝統芸能の世界の中心で元気で可愛いJKが主人公、というのもギャップがありつつ、いかにも今どきでキャッチーで、世代間コミュニケーションの楽しみや「男社会の中の女」という切り口にも派生できそうで、見た目の印象以上に拡張性が高い作品だな、と。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

当面の目標を「前座」から「二ツ目」への昇進に定め、阿良川一門の昇進ルールに則って、レベルの高い阿良川一門の「前座」たちがシノギを削る、実質「予選」の錬成会、そして「本戦」の選考会へ。目指すは若手の登竜門「四人会」の最後の一枠。

要するに今巻は「荒川一門前座ナンバーワン決定戦」、その決勝。

朱音とはタイプの異なるライバルたちのスタイルやポリシーを通じて、落語の正道・邪道の手管を見せて、その懐の広さと各キャラの生き様が描かれます。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

が。

必ずしも、もともと「バトル」ではない「落語」をジャンプらしいバトル展開に落とし込んだ結果、とは一概に言えません。

『ガラスの仮面』『アクタージュ』のような演劇ものでもそうでしたし、現在人気の『メダリスト』をはじめとする芸術系の採点競技も全部そうなんですけど、格闘技や球技のようにルール上、相手を直接妨害することがルールに組み込まれていない「競技」を漫画などのフィクションした際に「バトルもの」の形態を取ると、勝負の行方は得てして

「主人公が要求される成長をしてきたか/本領を発揮できたか/覚醒できたか/正解に辿り着けたか」

で八割がた決まってしまうんですよね。

ライバルではなく自分との戦いに収束するというか。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

なのでこうした「バトルもの」でライバルがどんなプレイをするかは、実は勝敗にはあんまり関係なかったりします。

主人公が成功したら超えられて、失敗したら超えられない、ライバルの役割は走り高跳びのバーです。

「八割がた」としたのは、残りの二割は「勝負に勝ってルールに負けた」が起こるからです。

ということで、その、朱音。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

ハタから見ても父親の落語へのこだわりは強力で、ややもすれば朱音の落語は「父親の落語の再生産」で終わりかねないことが暗に危惧されていましたが、志ぐま師匠のおっしゃるとおり、「志ん太のコピー」で終わるのか、「志ん太の落語」すら飲み込んでデカくなる器なのか、その分水嶺。

噺(演目)に関する朱音の選択は、「志ん太」の跡を追う「替り目」。

父が得意とした「替り目」を演じる中で、朱音は父の背中の残像に何を見るのか。

という気になるヒキで、次巻に続く。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

なんか「勝負に勝ってルールに負けた」が起こりそうな、予感もしますね。

 

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