ルネサンス期、15世紀末のミラノ公国。
当時の医療従事者「理髪外科医」を営む父親の助手・見習いを務める少年・サルヴァトーレ(通称・トト)は、しかし1000年前の医術書による旧態依然の医療知識体系や技術に疑問を持っていたところ、同じく人体の構造に強い執着を示す男と出会う。
画家を名乗るその男は、芸術と医療、目的こそ異とするものの、「人体についてもっと知りたい」という同じ強い情動を示すトトに興味を抱き、
「俺と一緒に死体とか盗んで解剖しまくろうぜ!」
と誘う。その男こそルネサンス期の超人として歴史に名を残す、レオナルド・ダ・ヴィンチその人だった。
という、少年トトをワトソン役にしたレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記フィクション。
BL匂わせ風味というか、ダ・ヴィンチ青年がトト少年に壁ドンしたりとか、サービスシーンは基本的に女性向けかなと思います。
世界の原理が神から科学に移行しつつある時代、人間主観の知と好奇心の対象の最大単位が「宇宙」であるのに対し、最小単位である「人間(自分)の身体」をテーマに据え、『チ。―地球の運動について―』と対になるような位置付けの作品。
好奇心の超人レオナルド・ダ・ヴィンチと、医療の進化を模索する少年トトの、医療&解剖&芸術&死体泥棒ドラマを通じて、ルネサンス期の個人の「真理と真実を知りたい」という好奇心の渇望と希求、「変えたい」という情熱のドラマが、人類の進歩の歴史に繋がっていく野心的なテーマ。
舞台を解剖医学の黎明期に置いたこと、それをレオナルド・ダ・ヴィンチという超人を通じて芸術と連動させて、医療と芸術の両面から解剖学を攻めてるところが目新しい。
ダ・ヴィンチがメディチ家の仕事を請け負うため、今巻から舞台をフィレンツェに移した、「フィレンツェ編」。
ですが、やってることは相変わらず、ダ・ヴィンチは絵を描き、そして二人でどこかから見繕ってきた死体を解剖する日々。
フィレンツェに来て変わったことというと、メディチ家の本邸があるので肖像画の仕事で通勤しやすいのと、大都市で処刑も多いので解剖用の死体が調達しやすいというw
それだけだったら現フィレンツェ市長から怒られそうですが、その他、芸術・文化の都だけあって画材屋が充実していたりメディチ家の図書館で貴重な文献に当たれるなど。
今巻も作中で当時の医学で常識とされていた知識が描かれますが、医者でもなんでもない自分からみてもトンデモなところが多々あって、
「この医学書を書いた著者は検証・実証をやったわけでもないだろうに
どういうつもりで本を書いたんだろうか?」
とちょっと可笑しくなります。お前の想像かよ!
その他、外科医療の実践編としてダ・ヴィンチが「あの病気」に罹るの巻き、「ウィトルウィウス的人体図」を描くの巻き、などなど。
いよいよ本格的にダ・ヴィンチらしくなってきた、と思ったらあとがきで、ん…?
おっと、この書き方は…
aqm.hatenablog.jp