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#恋文と13歳の女優 3巻 評論(ネタバレ注意)

一色 文(いっしき ふみ)・27歳(♂)は中規模の芸能事務所で経理を担当していたが、人手不足により上司から営業への異動を命じられた。

営業の職務はタレントのマネージャー。

一色が担当するタレントは、子役でブレイクした後、中学受験期の休業を経て中学生になって芸能活動に復帰した、羽賀あやの・13歳(♀)だった。

『恋文と13歳の女優』3巻より(じゃが/芳文社)

自分のために働き細々と世話を焼いてくれる一色に、あやのはすぐ懐いた、というか、わかりやすく言うとグイグイくる清楚系小悪魔だった…

という、中学生女優とマネージャーの未満恋愛もの、今んとこまだ日常寄り。

作品タイトルにしろ表紙にしろ帯のコピーにしろ、ロリコンホイホイの妄想系。

故・ジャニー喜多川の未成年タレントに対する生前の性的悪行が墓から掘り起こされて話題になってることもあって、タイミング的には最悪。

『恋文と13歳の女優』3巻より(じゃが/芳文社)

主人公の一色はグイグイくる美少女にドキマギはしつつも、今のところ

「マネージャーとしてこの子に何をしてあげられるか」

という職業意識と、毒親ではないものの不在の父親・多忙な母親の家庭で父性にも母性にも飢えている子どもに同情的。

自制というよりはそもそも恋愛・性愛の対象としてあやのを見ていないながら、ビジネス&同情からくる優しさがティーンエイジャーを勘違いさせてしまう定番展開。

主人公2人、文とあやののインナースペースの描写の湿度が高く、どこかスキャンダラスで破滅的な結末を予感させはしつつも、出版社は芳文社で、レーベルはFUZで、あんまりそういう展開の作品が思い浮かびませんね。

イメージ的にはこれが講談社でマガポケあたりだと淫行一直線なんでしょうけど。

『恋文と13歳の女優』3巻より(じゃが/芳文社)

外見はタイトルや表紙のとおりロリコンホイホイで釣ってる作品ですけど、3巻にもなってくると主人公が読者と違ってロリコンではなくて、

・スキャンダルの対象ではあってもヒロインに性的魅力そのものは感じていないこと

・ヒロインを「商品」であり「子ども」である存在として扱っていること

・ヒロインの「特殊な環境(家庭と、仕事)」には同情的であること

・仕事と同情の間で後ろめたさを感じていること

・それらの上で、自分がヒロインに何を求めているのか判然とせずに主人公がモヤモヤしていること

が描かれていて、その主人公のヒロインに対する隔意と、その隔意が生み出しているヒロインの主人公に対する片想いが、作品のテーマになっているようです。

『恋文と13歳の女優』3巻より(じゃが/芳文社)

恋愛の障害が、主人公の「商品に手を出さない(スキャンダルを起こさない)」職業倫理と、「子どもに手を出さない」青少年保護に関わる良識なんですけど、それ以前に主人公が3巻に至ってもヒロインに恋愛・性愛の感情を持っていないように見えますね。

主人公の自分の人生に対する諦観や自己実現も、ヒロインの孤独も、人間関係で満たされるものではあっても、必ずしも恋愛で満たされる類のものにはあまり見えず、それが表面上「歳の差ラブコメ」っぽく進んでる展開を「健全側」に踏みとどまらせているのが、面白いバランスだなと思います。

『恋文と13歳の女優』3巻より(じゃが/芳文社)

「芸能界と子役タレント」の歪み(?)が生んだある種の異世代間コミュニケーションの話ではあっても、本質的にはラブコメ・恋愛ものではないのかな。

というエクスキューズの土台の上に、「ヒロイン可愛ぇ〜」な未満恋愛っぽさを乗っけてるというか。小難しいこと抜きにしても「ヒロインが可愛い」だけで作品が保っちゃってる感じはあります。

「映画はヒロインを魅力的に撮れれば成功なのよ!」

とでも言うか。

『恋文と13歳の女優』3巻より(じゃが/芳文社)

「一人の人間として見る」

って必ずしも恋愛とは限らないというか、「恋愛じゃない方が良い場合も少なくない」というか。

「最後どーすんだろな」

「数年後にくっついてめでたしめでたしな話じゃないよな」

と思うのは、まだちょっと気が早いでしょうか。

 

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