6歳ぐらいの少女・カナカは他人の心が読めるテレパス持ちで、幼少期以来『家族八景』の七瀬のようにその能力に苦しんできた。
唯一の理解者だった祖母が亡くなり、親戚をたらい回しにされた挙句にその能力を金儲けに利用しようとする男に引き取られかけたカナカは裸足で逃げ出し、公園で元ヤンの経歴と恐ろしい外見に反して単純バカだが裏表のない綺麗な心を持った男・マサと遭遇する。
マサもまたカナカの遠縁で、またヤンキー体質で頼られたら捨て置けない性格だったこと、カナカ自身が強く望んだことから、カナカはマサに引き取られ、マサが営む居酒屋で暮らすことになった…
という、西森博之の現作は「テレパス少女もの」+「血の繋がらない父娘もの」。
コメディ進行の日常回を中心に散文的というか行き当たりばったりに見える展開ですけど、もともと作劇のプロセスがなかなか読めない作者で、過去作でも行き当たりばったりのようでいて後になって結構計算高く伏線を張っていたことがわかることが多いので、先々の予想がつきません。
近作では散文的な描写の積み重ねによって独特な情緒を込める作風が特徴で、いつどこでどんな終わり方をするのか全然予想がつかない、メタなスリルがある作家。
「悪役が引っ張って主人公がリアクションする」作劇パターンも特徴で、本作も序盤は「悪役に頼った」ストーリーで、およそ「子育てもの」として似つかわしいものではありませんでした。
が、徐々に日常ものとして「子どもの面白さ」「テレパスコメディの面白さ」「マサの面白さ」にフォーカスした、作品の「素材の味」を活かした展開に。
今巻も一冊丸ごと日常コメディエピソード。特に「子どもの面白さ」の描写が出色。
大人から見ると子どもは時にキテレツで奇想天外ですが、今巻読んでると子どもをドライブしているのは「憧れ」と「罪悪感」で、それを想像力というか「空想力」が増幅しているんだな、と思います。
テレパスなせいで幼齢の割りに大人びた結果、子どもと大人の両面を持つカナが、良いガイド役・兼・ツッコミ役になって、とてもわかりやすく楽しく読めます。
子どものキテレツで奇想天外な発想や言動、大人から見たら他愛のない出来事に対する幸福感や切迫感が、大人の自分が読んでも「身に覚えがあるもの」として迫ってきます。
「よく憶えている」「よく思い出せる」なのか、ご自身のお子さんなどを観察した結果なのか。
受け止める側の大人のマサも、子どもを侮ることなく小細工なしで真正面から向き合って、ブレずにどっしりと、それでいてどこか珍妙で面白く。
今巻で「第一部 完」とのことです。もともと「来週も連載してそう」な作品の終わらせ方を多用する作家ですし、第二部ありきの「第一部 完」ということもあって、いつにも増して最終回っぽさが微塵もありませんw
一旦、別の作品を描くのか、引き続き本作の続きの第二部を描くのか、自分は存じ上げないですが、どちらにしても楽しみです。
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