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#GROUNDLESS 11巻 -勝利の女神- 評論(ネタバレ注意)

ラジオや映画、自動小銃はあるけど、TVやネットはなく、空軍はプロペラ機ぐらいの時代設定、島国アリストリアが舞台の架空戦記。

『GROUNDLESS : 11-勝利の女神-』より(影待蛍太/双葉社)

大陸政府の支配下で体制側である中央合議会とその正規軍の「島軍」、これに反旗を翻した「解放市民軍」による内戦。都市防衛を第一義とするも島軍に従属する「自警団」。

ヒロインは、島軍と解放市民軍の間で武器商の夫を殺され子を失い、復讐を誓う隻眼の未亡人。

秘蔵の狙撃銃で自警団に参加し開花した天才狙撃手。

民族間の断絶から終結が見えない内戦の中で、状況に流されながら生き残るために戦うヒロインたち。

『GROUNDLESS : 11-勝利の女神-』より(影待蛍太/双葉社)

見せ場はヒロインの狙撃シーン。局地戦を舞台に劣勢の戦局をチート気味にひっくり返すカタルシスとともに、高性能スナイパーの怖ろしさ、残酷さ、罪深さ、「人間に向けて銃を撃ったら人間が死ぬ」という当たり前のことをこれでもかと描写。

もともと自主制作だった作品を編集担当が見初めて、という経緯でブレイクした作品ですが、数巻前のあとがきによると、編集担当と折り合わず担当を外れてもらって、双葉社の場を借りての編集なしの自主制作のような制作体制になって、今巻も特に状況は変わっていないようです。

『GROUNDLESS : 11-勝利の女神-』より(影待蛍太/双葉社)

もともとのやり方に戻っただけとも言えますが、編集担当がついたり外れたりした経緯の結果、編集担当がいた方が面白いのか、いない方が面白いのか、図らずも作品に編集担当が関わるメリット・デメリットの試金石みたいな作品になっちゃったように思われました。

が。

一冊で中編エピソードのスタイルですが、編集担当が付いていた頃から、不躾な言い方をすると巻ごとの(私の感覚での)当たり外れが割りと極端に出る作品でしたが、編集担当がつかなくなっても、巻ごとの(私の感覚での)当たり外れが大きいのは相変わらずで、編集担当の居る居ないの問題ではないのか、とw

大手漫画誌の新人の投稿や持ち込みだったらNG喰らいまくるような、「売りたい漫画」だったら絶対やらないような表現手法がてんこ盛りですが、にも関わらず、今巻は「当たり」でした。

『GROUNDLESS : 11-勝利の女神-』より(影待蛍太/双葉社)

大きな作戦に勝利し、各地を残党狩りで転戦するようなフェースに移行したダシア自警団。

今巻は、カミモリ連山に篭ってたった数人で島軍1,000人の部隊を撃退した、敵の凄腕スナイパーチームの掃討。

位置を掴めないプロフェッショナルなスナイパーとの対峙に当たって、隊長のアッサムが採った作戦は、

「新兵を囮として敵に撃たさせて位置を割り出し、ソフィアが逆狙撃する」

というものだった…

ということで、今巻はストーリーも教訓もクソもありません。

両軍のトップレベルのスナイパーチーム同士の、

「後の先」、

「迂闊に先に撃った方が負け」、

の狙撃戦を、メタで単行本一冊、劇中で2週間かけてじっくりと。

『GROUNDLESS : 11-勝利の女神-』より(影待蛍太/双葉社)

なんか「告白した方の負け〜恋愛頭脳戦〜」みたいですが、そんな華やかさとは無縁の、ひもじく、寒く、汚く、長い、スナイパー同士の対峙。

終盤の決着からエピローグまでの、ラリってるというか、同じ漫画の同じ巻のたった数ページ差の誌面とは思えないテンションの乱高下、情緒不安定なメンタルの落差、画面の陰陽。

「今巻はストーリーも教訓もクソもありません」

と書いたのは少し極端だったかもしれません。

もともと時間稼ぎの遅滞戦術で全体の戦況にも大きな影響を与えない決着でしたが、作戦で敗れたスナイパーが背負っていた生き様と死に様が丁寧に描かれていました。

スポットが当たると魅力的なキャラで、狂気に染まっていく心理描写の絵の表現も真に迫った見事なものでしたが、いずれにせよ死んで、もう登場しません。

『GROUNDLESS : 11-勝利の女神-』より(影待蛍太/双葉社)

最後のページがとても綺麗でした。

夜空に浮かぶ月と星と、舞い降る雪だけが描かれていて、一人も人間が出てこなかったので。

 

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