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#からかい上手の高木さん 20巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

中学校の同級生同士の恋愛未満を描いた隣の席ラブコメ。単純な西片くんをいつもからかってくる高木さん。

「××さんがなんとかかんとか」系の、元祖ではないが中興の祖ではあって、同級生純愛ラブコメのジャンルが息を吹き返し、スピンオフも複数抱えてちょっとした産業に。

2021年に小学館漫画賞受賞、アニメが3期、昨年で連載開始10周年、今巻で20巻に到達、そして完結。

『からかい上手の高木さん』20巻より(山本崇一朗/小学館)

「10年、二人を見守ってきた」

と言ったらちょっとおこがましいでしょうw

自分は娯楽として漫画を読んでいただけです。

でも、は〜。ちょっと今、読み終わって感無量です。

「このド日常系の漫画が終わる時ってどんな最終回なのかな」

と想像を巡らしたことがある読者は少なくないと思います。

自分もあれこれ想像を巡らせていたパターンの中で、実際描かれた最終回は想定内の最も平凡なパターンのものでした。

『からかい上手の高木さん』20巻より(山本崇一朗/小学館)

思うに、この「平凡さ」こそがこの作品の真骨頂であり、多くの読者の思春期の思い出・後悔・妄想とシンクロして共感され支持された理由だったのだろうと思います。

逃げ場のない狭い中学校の教室、告白してもしフラれたら、もう前の関係にもは戻れないかもしれない。

こんな風に仲良く会話したりじゃれあったり、できなくなるかもしれない。

大変なリスクです。

なので私たちは高木さんのように、あるいは西片のように振る舞いました。

『からかい上手の高木さん』20巻より(山本崇一朗/小学館)

19巻かけて描かれた、「相手が自分が好きかもしれない証拠」を少しずつ拾い集めながら、同時に「自分が相手を好きな証拠」を少しずつばら撒いて、気づいて欲しい感じ。

「これ、この子絶対俺のこと好きだろ」

と確信した瞬間。

20巻で描かれた、自分が恋をしていることを自覚した後の心の動き。

「あ、俺この子のこと好きなんだ」

と気づいた瞬間。

そして「勇気を出さなければ、時間の流れによってそれは失われてしまうかもしれない」という怖さ。

告白するのも怖いですが、告白しないのもまた、怖い。

『からかい上手の高木さん』20巻より(山本崇一朗/小学館)

平凡な私たち一人一人が個別にバラバラに経験したはずの「未満恋愛」の体験を、受け皿として、まるで集団幻覚のように、最大公約数のように、そして平凡なままに。

花火大会な。私服でな。「もしかしたら会えるかも」って期待したりな。そいで告白とかな。

中学生の二人を主人公にしたラブコメで、相応にプラトニックで健全で、法律的にも教育的にも業界コンプラ的にも、性的描写について何の瑕疵もなく完結しました。

20巻通して一度もパンチラも描かれず、スキンシップとしてはキスシーンも描かれませんでした。

でもこの作者ドエロですよ、やっぱり。

中学生の男女が手を繋いだだけ、その手が描かれているだけです。

『からかい上手の高木さん』20巻より(山本崇一朗/小学館)

10年19巻読んできた二人の関係性の積み重ねもあってか、それをこんなに官能的に感じさせる表現ができるんですね、漫画って。

エッロいなあコレ…

はあ。終わってしまいました。

作者の山本崇一朗は2023年に抱えていた3本の連載をすべて終了させ、3作とも完結巻も出揃ってしまいました。

自分は、山本崇一朗をもって「漫画界の頂点」だとは思いませんが、「漫画界における唯一無二」の、替えの効かない紛れのない天才の一人なんだと、今巻を読んで思いました。

今後のご予定は存じ上げないです。

新作の構想に期するものがあるのかもしれないですし、正直ちょっと読んでるこっちがドン引きするぐらい働きすぎだったので、ゆっくりされるのかもしれません。

いつかまた新作を読めることを楽しみにお待ちしています。ありがとうございました。

『からかい上手の高木さん』20巻より(山本崇一朗/小学館)

はあ。『高木さん』が終わってしまった。

ちょっと寂しいけど、でも満足だ。

 

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