なんか知らん間に電子書籍も売ってんですね、コレ。調べたら2019年に既刊を全部、電子書籍化とのこと。
言わずと知れた『スラムダンク』作者・井上雄彦の不定期連載継続中の2作のうちの1作。もう1作は講談社の『バガボンド』。
自ら監督した『スラムダンク』の映画のヒットも記憶に新しい。
なにかこう、描かないことで存在感が示され、またそのことで責められてもいた作家ですが、監督作映画のヒットと出来で、もはや
「あなた程の人が描かないのであれば…」
と許される漫画家になってしまった感もありますねw
自ら起こした交通事故に伴い高校中退でバスケから一度は離れた野宮。
彼が出会った、車椅子バスケに情熱を注ぐ戸川、
野宮のバスケ部時代のチームメイトで、トラックに轢かれ歩けなくなった高橋。
バスケにまつわる、3人の青年の人生。
勝負に負けること、「敗北」はスポーツ漫画では通常「挫折」と扱われることが多いですし、自分もそれが普通だと思いますが、この作品で彼らが負った挫折を思うと、『スラムダンク』の桜木や流川が喫した「敗北」は、挫折と呼ぶに値しないような気さえしてきます。
負けたぐらいで、「次は負けねえ」と燃えることはあっても、めげねえしな、あいつら。
むしろチームメイトに恵まれなかった赤木が挫折しなかった精神力すげえな、っていう。
そんな『スラムダンク』でも明らかに挫折してバスケから離れ、再起して戻ってきたキャラがいました。
素行不良でバスケ部出禁になっていた陵南の福ちゃんと、怪我をきっかけに拗ねてバスケを離れ不良になった「諦めの悪い男」三井です。
本作は、福ちゃんや三井が「怪我」「周囲に馴染めない」などの理由で背負っていた挫折と再起のプロットを、より膨らませた作品と言って良いかもしれません。
才能に恵まれ研鑽を怠らないひたむきな情熱、試合で繰り広げられるスーパープレイの応酬と不屈の精神。
『スラムダンク』で日本に一大バスケブームを起こした井上雄彦が、しかし選んだのは「車椅子バスケ」という題材と、『リアル』というタイトルでした。
読者みんなが桜木や流川に憧れ羨ましかった本当の理由は、彼らが強豪の有力選手だからじゃなくて、そうなれるだけの情熱をひたむきに注げる「何か」に出会えたことと、そしてそれを諦めることがなかったことなんじゃないかと思っています。
でも現実は、なかなかそうはいかない。
「試合に勝てない」
「チームメイトに恵まれない」
挫折は、赤木や小暮の不屈が乗り越えて見せてくれた。
でも現実は、家庭環境・経済事情・怪我・人間関係・イジメなどのコートの外の出来事が原因で、復帰を諦めることを余儀なくされることが多い。
もっというと、
「馴染めない」
「なんとなく」
「思ってたよりキツくて地味でつまらない」
「プロがない(当時)」
「一生をかける気になれなかった」
「才能のなさを思い知った」
なども。
現実の彼らには、必ずしも安西先生はいなかった。
一大バスケブームを起こして、競技人口が爆発的に増加して一部は定着し、ブームそのものは去った陰で、井上雄彦は、
「俺だって花道や流川みたいに成長したかったし」
「赤木や三井みたいに諦めない奴になりたかったけど」
「人生、漫画みたいに上手くはいかねーよな」
と、バスケに限らず「好き」を諦めていく、あるいは「好き」に出会えず、あるいは出会ってもそれに気づかずに大人になっていく、そんな少年たちをジッと観ていたんじゃないか。
だからこその『リアル』なのかな、と。
この作品の主人公たちは、流川のような才能はなく、桜木の「さすが(俺)天才!」のような高い自己肯定感もありません。
主人公3人のうち2人は障害を負っていて歩くことができず、残りの1人も自分が凡人であることを思い知らされています。
そしてその後も、大小の挫折が彼らを悩ませ続けます。
それでもバスケにしがみつき、バスケを杖に再び立ち上がる。
少年ジャンプらしいヒーロー像が求められた『スラムダンク』では描ききれなかった、三井だけでは、赤木だけでは、メガネくんだけでは、山王戦だけでは描き足りなかった、天才じゃなくても挫折をしても、安西先生に出会えなくても
「逆境であっても、自分の『好き』に従って不屈であることの価値」
「自分の『好き』を背負って生きることの価値」
をもう一度示すことが、この作品のテーマで、『スラムダンク』を生んだ者の責任だと、井上雄彦は感じているんじゃないか。
などということを考えました。
今巻も、試合シーンはほとんどなく、耳目を引くスーパープレイも描かれず、相変わらず静かで地味でした。
でも『スラムダンク』の主人公たちにも劣らない、内心の炎が見えるようですね。
aqm.hatenablog.jp