「8月15日」
「『今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾
臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趣ク所
堪エ難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ヒ
以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス』」
「昭和天皇の詔勅」
「玉音放送は 無条件降伏を伝えた」
徴兵・動員されたと思しき若者・田丸は昭和19年夏、南太平洋パラオ諸島のサンゴ礁に囲まれたわずか13平方kmの小さな島・ペリリュー島で一等兵として軍役についていた。
飛行場を備えたこの小さな島は戦略的要衝として、日本軍守備隊1万と米軍上陸隊4万が相争う地獄と化していく。
漫画を描くことが趣味な田丸は小隊長から「功績係」として、戦死した戦友たちの記録と、遺族への手紙のゴーストライターを任される。
圧倒的なアメリカ軍の物量。島をすっ飛ばしてフィリピンが攻略されたことにより、もはやなんの戦略的価値もなくなったペリリュー島。
海上封鎖され補給すら絶たれた彼らが正規の指揮系統を通じて受領したのは、11回の御嘉賞と「持久に徹せよ」を最期に途絶した作戦指示だった。
司令部も既に壊滅したわずかな生き残りの日本軍は兵士たちは、反攻に転じた皇軍の艦隊と敵を挟撃する日を信じて決死の抵抗を続ける。
そうする間にも沖縄戦、本土空襲、広島と長崎への原爆投下を経て、昭和20年8月15日、戦争が終わったことすら知らず…
太平洋戦争をテーマに史料と証言をベースにした一応フィクション作品ですが、内容はもうポストアポカリプスのサバイバルものに近いです。
描写のほとんどは戦闘行為ではなく、死体の所持品を漁り、米軍の居留地から物資を盗み、洞窟に身を潜めるシーンに淡々とページの大部分の割かれます。
戦記もの、サバイバルものの作品も数多く読んできましたが、ここまで酷い状況が描写される作品はなかなかお目にかかれません。史実に存在してしまっているだけに、ちょっとエンタメのフィクションとしておいそれと触っていい描写ではないです。
金歯を目当てに顔面が切り裂かれ損壊している戦友の遺体、一部は戦友の屍肉すら食らって生き伸び、最後の作戦指示を堅持して既に終わった戦争の大反抗を信じる兵士たち。
地球の歴史を知らない宇宙人が読んだら「こんな残酷な話を空想するなんて地球人の頭はイカれている」と思うに違いないエピソード群が、史実をベースに語られます。
米軍居留地に忍び込んでゴミ捨て場を漁る彼らは、捨てられたアメリカの雑誌で「それらの写真」を見てしまいます。いや、これは…
作者は史料に当たる他、複数回現地を訪れたり、慰霊式に参列したり、存命だった当事者たちの一次証言を得たり、史実に対して真摯で敬虔な態度で臨んでいます。一次情報を咀嚼して作品の登場人物が見たもの、行動、心象に再構築するその精神的労力たるや…
にも関わらず、主人公の目を通じてあくまで淡々と「あったかもしれない事実」を追うだけで、なんらかの主張、イデオロギー、メッセージを、ここまでまったくと言って良いほど作品に乗せようとしていません。語るまでもない、見れば伝わる、読者を信じている、と言わんばかりに。
ペリリュー島の滑稽で悲惨なこの事態に対して責任を負うべき存在が一切登場しない、怒りのぶつけどころすらない前線の異常性の描写が、そのまま戦争状況の異常性を見事に炙り出しています。
「幼き頃より覚悟ある武人の死は美しいものだと思っていた
だが 今 間近に来て知る
死というものは実に汚らしくおぞましく無残な悪臭を放つ──
ならば言葉だけは美しく──」
『サクラ サクラ』
本日8月15日は終戦記念日とされていますが、Wikipediaによると彼らの生き残りが投降したのは終戦の1年半後の1947年4月22日。
生き残りの最後の一人が2019年11月4日に亡くなった、とのことです。
ja.wikipedia.org
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