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さみだれや 読んだ漫画と ウマ娘

#あつまれ!ふしぎ研究部 10巻 評論(ネタバレ注意)

高校に入学した大佑。部活を悩んでたところに頼まれごとで倉庫だと思って荷物運んだ先の木造の掘っ建て小屋は、オカルト担当の鈴(1年)、マジック担当の千晶(2年)、催眠術担当のことね(3年)、の3人の美少女の寄り合い所帯、「ふしぎ研究部」の部室だった!的な1話8ページの学園コメディ。

イカ娘の作者のやることなので、女の子は可愛く、ラブ・エロ・ハーレム・ギャグ・オチ・設定、あらゆる要素がユルく、昭和というか戦前みたいセンスのほのぼのギャグ、という他が真似し難い膝から崩れ落ちそうになる独特の雰囲気、イイ味出してる。

最近ハーレムラブコメについて思うところがありまして。

可愛いヒロインがたくさんいれば読者は嬉しいし、たくさんいるヒロインの誰かを好きになってくれれば作者側も嬉しいんですけど、そこに真面目に恋愛感情を乗せるのは元々無理があって、三角関係ぐらいならともかく、普通にそれぞれのヒロインと恋愛をやったら男主人公は五股六股どんとこいの人間のクズです。

その「ハーレムラブコメのジレンマ」をなんとかするために、多くのハーレムラブコメでは朴念仁・恋愛音痴・難聴などの属性で男主人公の恋愛感情を裏返したカードのように場に伏せて、恋愛における「中立性」を保つわけなんですが、このデクノボーのような主人公のポーカーのカードのようにラスト近くに初めてオープンになる恋愛感情に、真面目に感情移入するのはだいぶ無理があるように思います。

リアリティというよりあくまで感情移入の問題です。

近年、「この作者こそは!」と2〜3の作品にこの「ハーレムラブコメのジレンマ」を打開してくれそうな期待をしていましたが、結果あまり成功しているようには感じられず、「このジャンルは真面目に読むもんじゃない」との思いがかえって強くなりました。

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「あつまれ!ふしぎ研究部」10巻より(安部真弘/秋田書店)

「可愛いヒロインがたくさんいれば嬉しい」というのは基本的にバカの発想で、バカな土台の上で真面目に恋愛感情を描こうというのはそもそも無理があるんじゃないかと。

「男が登場しない漫画」も一つの解ですが、それ以外に脱却しつつあると思っている一つが恋愛感情に発展しない、多くのヒロインが主人公との恋愛対象にならない作品で、

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「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」20巻より(赤坂アカ/集英社)

もう一つがこの作品のように徹底的にバカバカしい作品です。

褒め言葉と受け取ってもらえるかわかりませんが、この漫画の「誰とくっつくか」への興味の湧かなさ、すごい。「ヒロインを好きになるのは主人公ではなく読者」と言わんばかりに、主人公の恋愛感情、「特定のヒロインとくっつく期待」をぶん投げて捨てているように見えます。

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「あつまれ!ふしぎ研究部」10巻より(安部真弘/秋田書店)

暴論ですが、ハーレムラブコメは本来バカが描いて(自分のような)バカが読むものです。

「可愛いヒロインがたくさんいれば嬉しい」というバカな動機だけでドライブしているこの作品を歴史に残る大傑作だと思いこそしないものの、ヒロインが競走馬のように恋愛ポイント獲得レースを繰り広げるでもない、この潔くて平和でバカバカしいこの作品世界が、最近なんだかとても心地よく感じられてしまいます。

そんなん言ってこの作品も最後どうなるかわかんないんですけど、最後までこのバカバカしさを貫いて欲しいなーと思います。

なんだろ、自分は要するにただ単に「無理してくっつけんな」派なだけのような気もしますね。

 

 

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