AQM

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#正反対な君と僕 1巻 評論(ネタバレ注意)

自分、家族や彼女の影響で中学〜大学にかけて「りぼん」「別冊マーガレット」を自分で毎月購読していたんですけど、「200万乙女」にカウントされる以外にも実生活で2点メリットがありまして、

・若い頃、「恋愛の教科書」にはできないまでも「恋愛におけるNG集(彼女に言っちゃいけないセリフ集)」として参考になった

・若い頃、合コンで同世代の女の子と少女漫画の話で盛り上がれて話題に困らない

あれ若くなくなったらメリットなくなったわ。

 

陽キャでギャルノリで楽しく学校生活を送る女子高生・鈴木は、その実、空気読みで周りの目を繊細に気にしていた。

隣の席の、黒髪クールメガネで無口で塩対応な谷くんのことが好きだったが、素直に好意を表せるわけもなく、陽キャノリの無茶振りイジりでしか谷くんに接することができずにいた。

『正反対な君と僕』1巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

そんなある日、学校の帰り道が偶然一緒になったことをきっかけに、鈴木と谷をめぐる景色は一変する。

という、青春恋愛もの〜青春ラブコメの間のどこかに位置する作品。

記事のタグ付けにあたって、このヒロインを「ギャル」に分類したもんかどうか悩ましいんですけど、まあ便宜上。

 

「少女漫画の定義」は議論が始まると長い上に「これだ」という結論が出ませんが、一番シンプルなのは「少女漫画誌(自称)に載ってる漫画が少女漫画」というものでしょう。

『正反対な君と僕』1巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

その定義に則れば、少年漫画誌の実験場も兼ねたWEBブランドである「ジャンプ+」に掲載されているこの漫画は少女漫画とは言えませんが、私の直感が「いや少女漫画だろコレ」と主張して譲りません。

昔だったら「りぼん」や「別マ」に載ってた漫画だと思うんですよね。

「少女が主人公、女性主観中心の恋愛描写」「(男性向けの)読者サービスのない描写」「ポップでキュートな絵柄・ピンクを基調にした色彩感覚」など、理屈を後付けていかに少女漫画である理由を並べるか考えようとして、「そもそも作品の内容ではなくレッテリングにこだわるのは本質的ではなく不毛だな」と思ってやめました。

「ジャンプ+」というメディアをどう位置付けて理解するか、という長い話にもなりますし、ジャンルや業界の商業性の文脈に囚われ過ぎると個別の作品理解を妨げる気もします。

ただ、こうした作品を描く漫画家(初めて読む作家だったので背景を知ろうと略歴を探したんですが、Wikipediaがまだ立っていないようでした)

と、「りぼん」や「別冊マーガレット」などの少女漫画ブランドを持つ集英社が、だいぶ前からジャンルのボーダーレス化が著しいとは言え、この作品を「ジャンプ+」に載せることを選んじゃう時代なんだなあ、と。

自分は既に少女漫画ジャンルは門外漢ですが、もしかしたら今の「りぼん」にはこれはより面白い少女漫画が載ってんのかな、ってちょっとあっちも読みたくなりますね。

 

少女漫画に限らず恋愛〜ラブコメ漫画は基本的に「両想いの二人が障害や葛藤を乗り越えて結ばれる」「相手にふさわしい自分になる」が縦軸です。でした。

「障害や葛藤」は当初は「身分の差」「敵対関係」「白血病」「記憶喪失」「戦争」などをモチーフに耽美でドラマティックなものが中心だったのが、よりカジュアルな「三角関係」や、「素直に好きと言えない」「年の差/教師と生徒/社会人と学生」「人間と人外」「不倫」「同性」「兄妹・姉弟」に多様化しました。

また、「"未満恋愛"が甘酸っぱい一番美味しいとこ」というのもあってくっついたら(もしくは失恋・破局・死別したら)終わる作品や「未満恋愛」を引っ張る作品が多かったものが、「いやココも美味しいでしょ」と「つきあった後」を描かれる作品もずいぶん増えました。

というのが恋愛漫画のざっくりした「守破離」の歴史ですが、面白いのは「離」ほど面白かったり新しかったりするかというと、そうとも限らない点。サイクルでリバイバルするんですよね。

あーあと恋愛・ラブコメの一部でハーレム化・群像劇化による大人数化。

この作品もかつての恋愛ものの主要なモチーフの一つだった「社会階級差」が「スクールカースト」として要素が若干回帰しているところがあります。

 

『正反対な君と僕』は1話で主人公男女がくっついちゃうので「くっついた後」が中心の漫画なんですけど、「障害」と「葛藤」の在り方が「ここ20〜30年」的な意味で現代的だな、と思います。


自分は大概おじさんですけど、それでも中高生の頃に既に、まだそう名付けられはいなかったですけど「スクールカースト」はありました。

『正反対な君と僕』1巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

ヒロイン・鈴木や脇役・平の「他者評価に基づくスクールカースト内の空気読み」というスキルは当時から重要で、「コミュニティの空気としてのカーストを跨ぐ恋愛感情」って、実際の学生生活の恋愛において実は一番多い「障害」なんじゃないかなと思ったり。

ラブコメ作品でも「異カースト(便宜上の造語です)の男女が別場で再ボーイ・ミーツ・ガールする」パターンの作品は割りと多いです。ギャルもの多めな気もするな。

aqm.hatenablog.jp

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こう、漫画における「ギャル」には「既存の因習(ほとんどがスクールカースト)の打破」が期待・仮託されている節がありますね。

なぜギャルが出てくるマンガは魅力的なのか

エロ可愛い美少女からの承認とリビドー充足、破天荒な言動で既存の価値観を破壊し閉塞的な日常・人間関係から連れ出してくれるヒーロー性、「実は初心で処女で動物とオタクに優しい」という聖母のようなファンタジー

2019/06/04 13:45

b.hatena.ne.jp

60〜70年代の生死に関わる「障害」と比べると「スクールカースト」は劇的度でも深刻度でも(その分カタルシスでも)劣るようでいて、「障害」としての「学校の狭さ」、反動としての迫害(いじめ)への恐れ、それを超克する勇気は、

『正反対な君と僕』1巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

より読者の当事者性・共感性が高いように思います。

大人になった今に考えたら「さっさと告白しとけばよかった」話でも、当時の学校生活の中では失う(かもしれない)ものが大きくて深刻だったんだよ。

 

「葛藤」なんですけど、この作品では第一話で早々に主人公二人がつきあっちゃうので、「両想いの関係を維持する」ことが主眼になります。

昔の恋愛もの・ラブコメでは「障害」が未解決のまま作品全体にストレスとして横たわり続けたり、そうでない「障害」に対する「葛藤」も文字通りもつれにもつれて、解決するのにエピソード10話〜20話かかることも珍しくなかったんですが、

『めぞん一刻』11巻より(高橋留美子/小学館)

近年ヒットするラブコメは「葛藤」がスピーディで、もつれる前にほどいてしまって単話〜三話ぐらいで解決しますね。

『僕の心のヤバイやつ』5巻より(桜井のりお/秋田書店)
僕の心のヤバイやつ Karte.58 僕は頼りたい

「いやダメだ!! ダメな気がするなんとなく」 昔のラブコメならココ回避し損ねてきたんですけど、ナイス回避w

2020/11/17 10:16

b.hatena.ne.jp

大事件・大問題が発生してそれを解決するカタルシスより、大事件・大問題が発生する前にキビキビ予防するバランス感覚とスピード感。

ドラマティックに「いざとなったら、やるときゃやる」主人公というのは、逆に「いざとなるまでは愚鈍」であることもしばしばあって、両想いのパートナーを傷つけたり不安にさせたりするフェーズを(ドラマ性のために)放置しちゃうケースが多く、読者がそういうもんだとわかっていても読んでてキャラのその愚鈍さにイライラしちゃうっていう。

簡単に言うと、最近の恋愛漫画はストレス要因を排除してスピードを上げる過程で「主人公のライバル」ポジションがいなくなったのと並行して、キャラの頭が良くなってんですよね。

恋愛関係(というより人間関係)をより日常レベルで小まめにメンテし続ける、

『先生!』(MCオリジナル)19巻より(河原和音/集英社)

『先生!』(MCオリジナル)19巻より(河原和音/集英社)

「(いつか)相手にふさわしい自分になる」ではなく「相手にふさわしい自分で居続ける」こと、そのために自分をバージョンアップし続けること、「これでヨシ終わり」ではなく「相手のことをリアルタイムで考え続ける」こと、というのは劇的でなくいかにも地味ですんげー面倒でとても困難である反面ある意味「極意」で、

『正反対な君と僕』1巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

それができないからこそ、自分も含めて現実の世の中にはありふれた別れ話がたくさんあるんですけど。

そういう、飛び道具に頼らずにありふれて面倒臭いはずの禅問答を丁寧に面白く描く、「自分にできなかったこと」をキャラが体験を通して学んで成長していく過程の小気味よさの快感、みたいなところがこの作品の魅力かな、と思ったりしました。

ストレートに禅問答すぎるせいで展開が地味で退屈になってしまう恋愛漫画は結構あるんですけど、この漫画はギャル要素のおかげなのか細かい日常コメディ描写に「異カースト間コミュニケーション」というより「カーストなんか実はないんだよ」みたいな勢いと、恋愛感情のポジティブで等身大のキラキラ感の表現に華があって、良いですよね。