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#正反対な君と僕 2巻 評論(ネタバレ注意)

陽キャでギャルノリで楽しく学校生活を送る女子高生・鈴木は、その実、空気読みで周りの目を繊細に気にしていた。

隣の席の、黒髪クールメガネで無口で塩対応な谷くんのことが好きだったが、素直に好意を表せるわけもなく、陽キャノリの無茶振りイジりでしか谷くんに接することができずにいた。

そんなある日、学校の帰り道が偶然一緒になったことをきっかけに、鈴木と谷をめぐる景色は一変する。

『正反対な君と僕』2巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

という、青春恋愛もの〜青春ラブコメの間のどこかに位置する作品。

第一話で早々に主人公二人がつきあっちゃうので「両想いの関係を維持する」ことが主眼、+クラスメイトたちの群像劇、というテイ。

作品全体を通じて「(誰もが持つ)内なる陰キャ要素を超克する」ことがテーマであるように、そしてそれ故に多くの人の共感を得ている漫画のように思います。

『正反対な君と僕』2巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

ニッシ可愛い。

そしてここで描かれる「内なる陰キャ要素の超克」は従来漫画で描かれてきた「勇気」だけの問題ではないっぽいです。

 

漫画において「勇気を出すこと」というのは長い間メインに置かれ続けてきたテーマで、冒険もの・バトルもの・スポーツものに限らず、恋愛ものであっても例外ではありませんでした。

反面、実際問題として恋愛において勇気で解決できることはけっこう最初の方などの一部分だけで、勇気を出した後に始まる長くて短い「恋愛の日常」「一緒に過ごす時間」においては、勇気だけでは解決できないことが山ほど起こります。

「思いやり・気遣い」「いたわり・労い」「感謝・敬意」など、人間関係の機微、というやつ。恋愛も、人間関係であることに例外ではありません。

『正反対な君と僕』2巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

ここで描かれるのは従来の勇気に加えて、恋愛で生じる各種のモヤモヤを

「正直に虚心に客観(相手の主観)的に」

「自分の頭で分析して言語化し」

「誤解されないようにストレートに相手に伝える」

ことです。

彼らは昔の恋愛漫画のキャラよりも頭が良く、相手に甘えず、そのおかげで昔の恋愛漫画、例えば『めぞん一刻』のように「人間関係がこじれて消火活動に10話ぐらいかかる」こともなく、大火事になる前に小火のうちに消火したり火がつく前に予防したりと、大変スピーディで小気味良い。

『正反対な君と僕』2巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

人間関係の「モヤモヤ」を相手に甘えずに、自分を自分で分析して言語化して齟齬のないようにリスペクトと勇気をもって相手に伝える、というのは、若い頃にやるのはとても難しく、というより歳をとっても今になっても相変わらず難しいです。

まず自分の心と向き合うことが、いくつになっても難しい。

それ故に人間関係において自分が「できなかったこと」「今でもできないこと」、人間関係がこじれる前に修復し続けられる、作中の彼らの自立と自律、自己理解と相互理解を羨ましく痛快に感じるんだろうな、と。

空気読み陽キャ擬態のヒロイン・鈴木にしろ、無口で塩対応な谷くんにしろ、「自分を分析して言語化して齟齬のないように相手に伝える」ことがいかにも苦手そうな属性のキャラが、それをがんばってるのがまた良いですよね。

 

ちなみにそんな中、脇役の平は、反応を見てると出番の少ない脇役の割りに読者からの共感性が高いようです。

『正反対な君と僕』2巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

人間関係において「失敗しないため」の消極的なマニュアルとマナーに染まり、カースト空気読みでネガティブに屈折した、リアリティの高いキャラですが、勇気があることはある程度もう前提条件になっている本作のキャラたちの中で一人だけ、失敗を恐れて「勇気が出ない」段階に置いていかれていて、かつそれにコンプレックスを伴って自覚的。

一番「内なる陰キャ要素をまだ乗り越えらない」「周りの彼らが羨しい」、読者目線に近い「傍観者」故かな、と思ったり。

誰もが山田みたいにブルーハーツの歌詞みたいに、直球勝負できるわけじゃないよねっていう。山田のあれは勇気なのか、怖さを知らないただ天然の性格なのか、ってのはありますけどw

ちなみに自分は同じく読者ポジションで傍観者キャラの、

『正反対な君と僕』2巻より(阿賀沢紅茶/集英社)

アズが好きです。めっちゃ共感するわ〜。

総じて最近の良ラブコメは、「読者の代弁キャラ」の置き方・使い方が上手いですね。

 

 

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