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#世界の終わりに柴犬と 4巻 評論(ネタバレ注意)

オールカラーを活かして柴犬が可愛く描かれます。

何かの理由で人類が滅びた後の日本?をウロウロする、女子高生のご主人と喋る柴犬・ハルのギャグコメディ4コマ。ギャグ漫画なので人類が滅びてても特に困ってない。

『世界の終わりに柴犬と』4巻より(石原雄/KADOKAWA)

他の人類は出てこないものの、他の犬、たぬき、女神、サンタ、アヌビス神、オウム、河童、八百比丘尼、雪女、クマ、お稲荷さん、宇宙人などが脈絡なく登場し理由なく普通に日本語を話すのであまり寂しくない。

理不尽なキャラや設定を説明する気のなさ、理屈くさい長セリフ、身も蓋もないオチ、往年の「×(ペケ)」(新井理恵)を彷彿とさせる会話芸コメディ。

『世界の終わりに柴犬と』4巻より(石原雄/KADOKAWA)

今巻から全都道府県をご当地ネタを織り込みながら巡ることになったようで、「北海道編」から始まって東北地方を南下していく構成が採られています。

今巻は「北海道編」「青森編」「秋田編」「岩手編」「宮城編」「山形編」「福島編」「新潟編」、あと番外編の「ラブレター」。

本来もの言わぬはずの動物に哲学を語らせる作品というのは、この作品以外にも意外とあるもので、

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漫画を離れてもこんな感じで、

動物の沈黙がその主を知的に、もしくは哲学的に見せるのは、ある程度普遍的なことのようです。

沈黙ゆえに哲学的に見える(そうか?)柴犬が、ではこの漫画のように哲学を言葉で語り出したら、それは哲学的であると言えるのでしょうかね。

『世界の終わりに柴犬と』4巻より(石原雄/KADOKAWA)

沈黙していることと、哲学を語ること、外から見てどちらがより哲学的に見えるのか。

ポストアポカリプス設定もSF設定もファンタジー設定も、割りと無視して柴犬(その他犬種)あるあるネタだったりするんですけど、あるあるネタが「なぜそうなのか?」を深掘りして「私という実存」みたいにスムーズに哲学ネタ・考えオチに接続します。

『世界の終わりに柴犬と』4巻より(石原雄/KADOKAWA)

俯瞰・客観で屁理屈を捏ねている会話芸なんですけど、評論家的な机上の空論ではなくどこか当事者性が通底しているとでもいうか、

「それでもあなたを愛しています」

「死が避けがたいものであっても、それでもあなたとずっと一緒にいたい」

という、人と犬との腐れ縁のような愛情が、屁理屈捏ねてるのが面白いだけじゃなくて、暗くないのにどこか物哀しく。

『世界の終わりに柴犬と』4巻より(石原雄/KADOKAWA)

タイトルの延長上で、自分たちもいつか死に別れることを予見した上でその線上でひらひら遊んでいるというか、日常ものなのにどこか常に生き死にを背負っているというか。

まるで昔に亡くした柴犬を思い出しながら描かれているかのよう、というか。

 

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