#AQM

I oppose and protest the Russian invasion of Ukraine.

#亜人ちゃんは語りたい 11巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

人類社会に低確率で誕生する、バンパイア、雪女、デュラハン、サキュバス、座敷童子などの「亜人(デミ)」がそれぞれの個性を人間社会と折り合い付けながら平和に暮らす世界観の日本。亜人の良き理解者たらんとする高校教師の主人公と、亜人の生徒たちとの語らいを描く青春日常コメディ。

差別問題を想起させるテーマでありながら、重たくなりすぎないように婉曲に、優しく、コメディタッチに、ポジティブに。

『亜人ちゃんは語りたい』11巻より(ペトス/講談社)

今巻で完結。

もともと1巻の時点で彼女たち亜人は、人権意識的にも制度的にも前進し改善された社会から公然と差別される存在ではなくなっていて、それぞれの身体的特徴に応じて支援すら受けられる立場でした。

なのでダイレクトに「差別と戦う」物語とはならず、それは最終巻も共通しています。

『亜人ちゃんは語りたい』11巻より(ペトス/講談社)

表面上、ドラマティックでドラスティックな事件が起こったり、それを解決したりする最終回ではありません。

ただ、登場当初は「他人と違う特徴を持つことで、傷つけられるのではないか」と黙してひっそりと暮らしていた彼女たちが、自分について語り合う場を見つけて、語り合う仲間を得て、そして最終的に場の外に向かって語りかけるに至った、というそれだけの話です。

『亜人ちゃんは語りたい』11巻より(ペトス/講談社)

それだけの話なんですけど、その「たったそれだけ」を求めて、亜人なわけでもない現実の我々にも、友達を作ったり家族を作ったりする以外に、ネットにはYOUTUBEライブだったりニコ生だったりTwitterスペースだったりClubhouse(あれどうなったんですか)だったりDiscordのボイチャだったり、「自分は最近こんな感じだよ」「こんなことを考えてるよ」「こういうのが好きだよ」「こういうのが嫌いだよ」と語るための場は枚挙にいとまがありません。

『亜人ちゃんは語りたい』11巻より(ペトス/講談社)

「喋る」ことだけじゃなくて、映画にしたり歌にしたり絵を描いたり漫画に描いたり、なんだったらブログに書いたりTwitterに書いたり匿名掲示板に書いたり。

同時に「場」の数が多様化しすぎて、自分に合う「場」を見つけることがかえって難しくなったり、本来「第一義的な場」であった家庭や学校よりも自分に合う「場」を見つけてしまったりしているのが今なのかな、と思ったりしました。

『亜人ちゃんは語りたい』11巻より(ペトス/講談社)

本作の高橋先生と亜人の生徒たちの関係は、「マジョリティとマイノリティ」、「大人と子ども」、「教師と生徒」と二重三重の意味で非対称なものでしたが、生徒たちと一緒に思い悩みながら自分をチューニングし続ける、高橋先生の繊細で責任感に満ちた教師としての立ち居振る舞いは、作品を通じて見事なものでした。

自分に合った場を見つけること、誰かにとっての場を作ること、誰かの「語り」に耳を傾けること、などなど色んなことを考えた漫画。

『亜人ちゃんは語りたい』11巻より(ペトス/講談社)

テーマが繊細で、それに対して作者自身が高橋先生のように誠実であった分、派手にも刺激的にもしにくかった作品だったろうなと思いますし、最終回も表面上はカタルシスに満ちたものではありませんでしたが、楽しく読みました。

特に、押し付けがましくならないギリギリを、針の穴を通すように貫き通す繊細なハンドリングw

最終回のWebラジオ、「たったそれだけ」のことなんですけど、彼女たちの今後の人生において大きな財産になるんだろうなと思います。

彼と彼女たちの今後の人生に幸多からんことを祈りつつ、次回作を楽しみにしています。

『亜人ちゃんは語りたい』11巻より(ペトス/講談社)

お疲れ様でした。

 

aqm.hatenablog.jp