大戦を止め災厄を退けた7人の大魔術師のうちの1人が「過ちを繰り返さぬよう」と大陸の中心に図書館を建立した、中世ファンタジー世界。
それから100年近くの後。村の貧民窟で暮らし、エルフのような容貌で「耳長」と蔑まれ、本が大好きなのに村の図書館の利用も禁じられた幼い少年・シオ。ある日、本の都アフツァックの中央図書館の知識エリート・司書(カフナ)たちがある目的を持って村を訪れ、少年に出会う。ボーイ・ミーツ・ディスティニー、まるで1本の映画のような1巻から始まった超正統派・超本格派ファンタジー。書物を守るために魔法と技術を駆使して戦う司書たち。
それから7年、6歳だったシオも13歳になり、司書になる試験を受けるために本の都アフツァックへ。
1巻のプロローグ、2〜3巻の司書試験編が終わって、新章突入、3巻からシームレスに司書見習い編。
本格的な見習い研修期間が始まり、現実の差別や因習をモチーフに、フィクション世界で展開する濃密で重厚な情報量。
大作RPGの分厚い設定資料集を渡されたような気持ち。
でも重くなりすぎず、長い説明ゼリフがクドく感じないのは、ドキュメンタリーでなくエンタメを目指す漫画作品であると作者が1巻で既に示した信頼故か。
たぶん無意味に「置いてある」設定は一つもなくて、すべて物語の必然性と結びついてるんだろうなー、という信頼。
いやー、おんもしろいねこの漫画!
唯一の不満は刊行ペース、というより、読んでるこっちが早く続きを読みたくて仕方がない、という感じ。
今巻は、前巻までの展開が一旦落ち着いて、新エピソード。
前半の半分弱が「表現の解放と検閲」をテーマにした中編エピソード、残りが新キャラ登場や日常でのキャラの掘り下げをしつつ水面下で本編縦軸の陰謀が密かに進展していく展開に。
エピソードの塊として既刊や今後の巻と比較すると「幕間」と言っていい巻かもしれませんが、密度、濃っ! 伏線の重要度、重っ! という重要な巻。
一旦オチが付いた(エピソードが完結した)ということもあって、やっぱ前半の「表現の解放と検閲」にまつわるエピソードが、インパクトありましたね。
市中では『マリガド』と題された、アナーキズムとテロリズムをまとった主人公の物語が流行し、規制派と反規制派の間で激論が交わされていた。
本の検閲権と出版(印刷)権を独占管理する図書館が降す結論は。
過激表現と、それに対する規制運動、検閲の是非、善し悪しを判断するのは誰か。
割りと「東京都の不健全図書指定」を狙い撃ちにしてモチーフにしています。その他、統一教会問題にも若干。
自分はね、「人間は創作の影響を良くも悪くも受けるものだ」という前提のもと、それでも規制(発禁・禁書・焚書)には反対する立場です。レーティングとゾーニングについては必要、ディティールについては要相談。
最悪の事態を引き起こし作中世界で表現規制が誕生する原因となった、歴史上最悪の本『黒の書』の存在と内容を提示した上で、それでも
「読み手の側のリテラシーをこそ問題とするべきだろう」
「自らの無知を前提に、情報(本)に対して謙虚でありたい」
と読み手の自由と引き換えの責任にページを割いている点で、本作の今巻の作者が発したメッセージに共感します。
私は自分が不完全な人間であることを認めた上で、本から受ける影響を自らのあらま欲しい形であるよう自分でコントロールできる人間に、自分を育てたい。
他者に対しても、そうする自由と権利があなたに在ることを私は認めますが、あなたがそう在りながら「自分は●●しただけ」とその責任から逃げ回るのであれば、そんなあなたを少なくとも嫌悪し軽蔑する自由と権利もまた、私には在ります。
「発禁ではなくレーティングやゾーニングを決めているだけだ」と言い訳しつつも、「健全と不健全のなんたるかは我々が知っており、我々が決める」といわんばかりの「不健全図書指定」なる看板を臆面もなく掲げ続けるのもまた、「都の自由」なんでしょうか?
「リテラシーからも謙虚さからも、程遠いセンスを持っていらっしゃる」と、その傲慢と無神経に、私は呆れて嫌悪してしまいますが。
ところで、本巻では『マリガド』、『黒の書』の他に、「シオがセドナから預かり隠し持っている本」が後半の焦点になってますけど、これ何が書いてあるんでしたっけか?
そろそろ、キャラや伏線の「考察し甲斐」が本格的に芽生え始めたところ、次巻までの短くない時間を有効活用しながら待ちたいところ。
あー、この作品が完結するまで、死にたくねーな。
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