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#1日2回 4巻 評論(ネタバレ注意)

園田れみ(39♀)は夫と死別して実家の一軒家で母と中学生の娘と3人暮らし。

仲の良いお隣の、同い年の幼馴染・松宮季(とき)(39♂)が離婚で婿養子先から出戻ってくる。

不本意な離婚で傷心の季。そんな彼を、再開したご近所づきあいと昔からの腐れ縁で見守るれみ。回想される幼少期から青春期の思い出。

『1日2回』4巻より(いくえみ綾/集英社)

表紙のルックスはマーガレットコミックスですが連載は「ココハナ」とのことで、アラフォーな主人公二人の少女漫画とも恋愛漫画ともつかぬ作品。

最近になるまで近作をあんまり読んでいなかったんですが、別マに連載していた頃に愛読していた経験から言うと、ほとんどの作品で思春期の恋愛を描き、ほとんどの作品で猫を描き、ほとんどの作品で思春期の主人公の家庭を描き、ほとんどの作品で思春期の主人公の家庭は片親だったような印象が強いです。

恋と家族と猫を執拗に描く少女漫画家、というイメージ。

数年ぶりに著作を読んだら、思春期に代わって中年の、思春期の子を持つ親を主人公に描くようになっていました。

が。

『1日2回』4巻より(いくえみ綾/集英社)

今巻は一冊通して、狂言回しというのかな、れみの中学生の娘・るりの視点で。

娘・るりの目から見た、母親・れみ、という人間について。

過去だけではなく、現在を生きる一人の女、一人の人間として。

母娘関係において、

「友達のような母娘」

が理想だったり憧れである、というような話は漫画を読んでいるだけでも何度か目にした覚えがあります。

『1日2回』4巻より(いくえみ綾/集英社)

母親・れみにとって娘のるりは、守るべき存在であり、教育するべき存在であり、躾けるべき存在でありながら、接し方がどこか「独立した対等の人間」として扱っているんですよね。

娘は親の道具でもアクセサリーでも何かを仮託する対象でもなく、「自分と別の人生を歩む一人の人間」として、どこかリスペクトを込めて。

『1日2回』4巻より(いくえみ綾/集英社)

るりの察しが良いこと(と季が間抜けなこと)もあって、早くに夫を亡くした母親・れみの未満恋愛模様も割りと丸見えに。

るりがどこか冷静に、「女同士」のれみの現在の人生を見つめつつも、ちょっとマザコンも入ってて、可愛らしいですねw

その結果としての、そこを目指していたわけでもないのに、ハタから見るとまるで「友達のような母娘」。

『1日2回』4巻より(いくえみ綾/集英社)

同じく夫を早くに亡くした母親と娘二人の母子家庭を描いた、岡崎京子の20代前半の作『セカンドバージン』を思い出します。

『セカンドバージン』より(岡崎京子/双葉社)

「恋バナをする母娘」

って、もちろん自分は一生当事者になることのない関係性ですけど、いいなあ。

 

Wikipediaによると岡崎京子といくえみ綾は一学年しか違わない同世代なんですが、

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

円熟の域に達したいくえみ綾とどこか共通する構図と読み味の母娘ものを若干22歳で既に描いていた岡崎京子、22歳の頃の岡崎京子とどこか共通する感性を円熟の域に達してなお保ち続けているいくえみ綾、

『1日2回』4巻より(いくえみ綾/集英社)

双方、尋常じゃないな、と思います。

なにが、ってわけでもないのに、美しくて無性に泣けてきてしまう。

 

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