#AQM

I oppose and protest the Russian invasion of Ukraine.

#スクールバック 1巻 評論(ネタバレ注意)

電車で痴漢を自力で捕まえた後、警察、教師、両親から悪気なく、でも心無い言葉をかけられて密かに傷ついた女子高生。

カジュアルに「死ね」という言葉が飛び交うことに耐えられない男子高生。

母親から「アンタはがんばってない」と繰り返し呪いをかけられる女子高生。

天才肌の美術部長、彼女を英才教育したい美術部顧問教師、そんな彼女たちについていけない部員たちと、板挟みでストレスを溜める副部長。

『スクールバック』1巻より(小野寺こころ/小学館)

という、人間関係で生きづらさを感じる高校生たちと、クソバイスするでもなく彼女ら彼らにさりげなく寄り添う用務員のお姉さんの、単話完結のエピソード群。

「原義の意味でのカタルシス」漫画、になるんでしょうか。

「無自覚に人を傷つける無神経人間」に、思春期の純粋無垢な高校生が傷つけられ、立ち上がる話。

という説明でおおよそ説明がついてしまうところがあり、

「ステロタイプな擬似悪役を中心に回す作品」

との評も目にします。

『スクールバック』1巻より(小野寺こころ/小学館)

なんですけど、「無自覚に無神経に人を傷つけるステロタイプな擬似悪役」が「あるある」というか生々しいというか、まあよく描けていて、その分読んでて重く、イライラモヤモヤし、なかなか読んでて愉快な漫画でもありません。

スカッとする「広義の意味でのカタルシス」展開もありません。

他の読者がこの作品をどういう読み方をしているのか自分はイマイチよくわかっていないんですけど、自分は擬似悪役たちについて

『スクールバック』1巻より(小野寺こころ/小学館)

「無自覚に無神経に人を傷つけるダメな人間の見本」

「反面教師として他山の石として参考になるなあ」

「こんな人間になりたくないなあ」

と思いながら読みました。

『スクールバック』1巻より(小野寺こころ/小学館)

身も蓋も無い言い方をすると、エピソード主人公の高校生の「気の持ちよう」でオチをつける、

「優しく繊細な人が、イヤな人にイヤなことを言われたけど、仕返しするでもなく負けずに明日もがんばる」

な作風で、尖ってた頃の『Papa told me』をちょっと思い出すなあ、

aqm.hatenablog.jp

と思えば、

「生きづらさをテーマにした」

「愉快な漫画ではない」

と言いながら、意外と自分はこういう漫画好きなのかもしれないな、と思います。

ちょっと重たいんですけど、重たく暗く終わらずに「明日」とか「いつか」とかに希望が持てるオチの付け方なのが良いですよね。

『スクールバック』1巻より(小野寺こころ/小学館)

ヒロインというか、狂言回しは用務員のお姉さんなんですが、一昔前の漫画だったら「保健室の先生」が占めていたポジションで、

「学校という空間の中、かつ、教室という空間の外、に位置する大人」

という点で共通しています。

「教室内のカーストや権力」に対するアウトサイダー。

作者がこの作品の狂言回しを伝統的な「保健室の先生」ではなく「用務員」に置いたのは、

『スクールバック』1巻より(小野寺こころ/小学館)

「敢えて」なのか「必然」なのか、などと、あまり本質的でなさそうなところも気になったりw

 

aqm.hatenablog.jp

blog.livedoor.jp