
65歳にして連れ添った夫を亡くした、うみ子。
夫とデートで行った映画館の記憶に触発されて20年ぐらいぶりに映画館を訪れる。上映中に昔からの癖で客席を振り返って見回すと、先ほどロビーで肩が当たって挨拶した美しい若者と目が合ってしまう。その若者は名を「海(かい)」という実は男性で、話すうちにうみ子に「あなたは映画を作る側では?」と指摘する。

『海が走るエンドロール』5巻より(たらちねジョン/秋田書店)
海の言葉で「映画を撮りたい」気持ちに火がついたうみ子は、海が学ぶ美大の映像科を受験して入学。かくして齢65のうみ子の、映画人生が始まった…
という、老境のご婦人を主人公に置いた青春もの。
主人公に老境のご婦人を置いていて必ずしも読者層ターゲットが少女なのかどうかはわからないものの、ヒロインが「王子」と「自分の運命」とに同時に運命的・衝動的に出会う導入、多用されるヒロインのモノローグ、ガワは違っても骨格自体は純然たる少女漫画であるように、自分には見えます。

『海が走るエンドロール』5巻より(たらちねジョン/秋田書店)
「『65歳で映画監督を志して美大入学』で起こりそうなこと」を奇を衒わずに丁寧に描写。
高尚そうなテーマ、俗っぽいキャラ萌え、擬似恋愛的にも見える人間関係を織り交ぜつつ、地に足のついた丁寧な展開と描写で、いろんな切り口で楽しめそうな作品。
前巻のラストで、順風満帆とまではいかなくとも、気力充実して映画制作に取り組んでいたうみ子が倒れました。

『海が走るエンドロール』5巻より(たらちねジョン/秋田書店)
ネタバレですが、幸い大病の類ではなく過労によるもので終わりましたが、うみ子のモチベーションががっくり下がり、そこから再起する展開。
40代の自分にはまだ未知のゾーンですが、モチベーションの高い人が大病を患って、回復しても心が折れるというか、人生観が変わる話はたまに聞きますね。
死を具体的に意識し始めるせいでしょうか。

『海が走るエンドロール』5巻より(たらちねジョン/秋田書店)
気力が回復しても、沼のような創作の孤独の海は相変わらずですが、モノローグを主体として心情が描写される少女漫画のフォーマットがよく似合います。
それでいて、創作の源泉に、一般論的な意味では少女漫画に似つかわしくない「リビドー」を肯定的に置いてくれたのが、なぜか自分のことのように嬉しく思いました。

『海が走るエンドロール』5巻より(たらちねジョン/秋田書店)
思うに、リビドーは生と死の狭間を揺蕩っていて、形が変わっても「創る」ということを司っていますからね。
うみ子と海の関係性も例外ではないだろう、とも。
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