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#ダイヤモンドの功罪 3巻 評論(ネタバレ注意)

小学5年生の少年・綾瀬川次郎は、人格はただのスポーツ好きの遊びたい盛りの子どもだったが、体格と運動神経に優れる素質が災いし、スポーツ競技を習い始める度に、先に始めた子ども達を一瞬で抜き去って傷つけて逆恨みを買い、コーチたちからはより上位のクラブへの転籍を勧められ、漠然と罪悪感と疎外感を感じていた。

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

弱小ながらコーチと子どもたちが和気藹々と野球を楽しんでいる小学生の硬式野球チーム「足立バンビーズ」に入団を決意。

初めての団体競技で「チームメイト=友人」との関係を楽しみ、

「今度こそ、野球をこそを一生のスポーツにしよう」

と決意していたものの、次郎の才能に目が眩んだコーチが本人の意向を無視してU-12日本代表チームに勝手に応募したことで、次郎のゆるふわ野球人生計画は壊されていく…

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

「どう描くか」がエグく少年たちの心を抉って傷つけ、そして「何を描くか」はこれまでスポーツ漫画が目を逸らしてきた負の側面を描いています。

ちょっと『タッチ』の原口のこのセリフを思い出しますね。

『タッチ』5巻より(あだち充/小学館)

2巻にして人生初の野球の試合がU-12日本代表エースとしての登板、初試合にしてノーヒットノーラン、そして1巻に続いて大問題だった2巻、の後始末。

エースに起用した次郎に試合経験がないことをわかっていたとはいえ、U-12日本代表の監督が相当の出来物で、超初心者の次郎に欠けているもの、それを補って余りある才能をかなり客観的に見えていて、かつコーチ陣と役割分担して文字通り「指し導く」ことで、未熟な次郎のマインドセット、次郎の存在に動揺するチームメンバー、空中分解寸前だったチーム、「雨降って地固まる」を地で行くいい雰囲気に。

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

大問題作として始まった漫画とは思えない、小学生のスポーツチームらしい友情・ライバル・切磋琢磨で、かつ仲良きことは美しき、読んでて微笑ましい「普通のスポーツ漫画」な巻。

「フォア・ザ・チーム」と「エゴイスト」のバランスは、まあ天才の出現で定期的に「一人の王様と十人の労働者」が起こりがちなサッカーに、限った話ではないよね、という。

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

昨年のサッカーW杯のアルゼンチン代表チームなんて

「フォア・ザ・メッシ」=「フォア・ザ・チーム」

で団結して優勝しちゃったんですけど、あれが理想のバランスなんかなあ、と思ったりします。

『タッチ』の21巻でも、ラストバトルを前に主人公が準決勝の大舞台で狙ってノーヒットノーランを達成する展開があったんですけど、同じく圧倒的な才能のピッチャーの「ノーノー」ながら、本作とはまた全然異質な動機や経緯、なのに落とし所としてのチームメイトの反応がどこか似ているのも面白いです。

『タッチ』21巻より(あだち充/小学館)

「フォア・ザ・和也」=「フォア・ザ・チーム」

で天才と凡人のバランスが取れてるという。

野球漫画で主要キャラが死んで退場(ネタバレ)ってのも、いま考えても『タッチ』もスポーツ漫画としてたいがい大問題作だなw

さて本作は、この漫画が普通に青春スポーツものやってると読んでるこっちが却って不安になるというか、

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

現状「日本代表専用機」の次郎が、居場所を求めてまた一悶着起こしそうな匂いをプンプンさせつつ、次巻に続く。

監督にマインドセットされて多少「健全化」したとはいえ、次郎にとって対戦相手が

「負けて怒られて可哀想な人たち」

であるのは実は変わってないもんな…

 

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