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#クマ撃ちの女 12巻 評論(ネタバレ注意)

熊狙いのライフル持ち*1女性猟師・チアキ(31)に密着取材を申し込むフリーライター・伊藤。2人は熊を求めて日々、北海道の山中に入る。

伊藤が取材を始めて2回目の猟期。伊藤も体を鍛え知識を蓄え、チアキの足を引っ張る事なくむしろアシストさえしながら同行取材できるように。

チアキにとっての因縁・宿命のヒグマ個体「牙欠け」との対峙を通じて、伊藤はチアキの「牙欠け」への妄執と狂気、人間性の欠如に疑問を持ち離れていく。

『クマ撃ちの女』12巻より(安島薮太/新潮社)

伊藤との別離をきっかけに「クマ撃ち疲れ」「自分嫌い」に陥ったチアキは、散々逡巡した上で、伊藤との「仲直り」を求めて東京へ。

しかし伊藤との待ち合わせ30分前、チアキのもとへ牙欠けが再び人を殺したとの一報が。

という今巻。

『クマ撃ちの女』12巻より(安島薮太/新潮社)

伊藤との待ち合わせをドタキャンしたチアキは北海道に舞い戻り、地元の猟友会・市職員・警官隊からなる捜索隊に加わり、ヒグマ「牙欠け」と2人の行方不明者を追う。しかし…

「三幕構成」でいうところの「第二幕」の終わりまで、というところ。

スリリングと言うよりは、単純にクマ、怖い。

エピソード的には、一昔前にサッカーで注目されたロール、「ファンタジスタ」を思い出すような流れ。

『クマ撃ちの女』12巻より(安島薮太/新潮社)

ファンタジスタと呼ばれたプレイヤーはチーム随一のサッカーの才能、発想とテクニックを持ち、誰も予想もしないような意外性のあるミラクルなプレーでゴールを決めて観客を魅了しましたが、チームの規律に収まらずに自由と自律と自らの才能を愛し、また得てして興味の低い守備で走り回って体力を減らすことを嫌い、敗戦の際の戦犯として批判もされました。

ja.wikipedia.org

サッカーが11人全員が攻守を問わず労を惜しまず走り回らなければ勝てない競技に徐々にシフトしていき、またサッカーチームがシステムとして高度化していく過程で、監督からその予想のつかなさ故に「使いにくい選手」としてしばしばベンチに、あるいはベンチ外に置かれるようになって、ファンタジスタは絶滅しました。

『クマ撃ちの女』12巻より(安島薮太/新潮社)

代表的な選手はロベルト・バッジオ、最後に「ファンタジスタ」として世界に認められたのはロナウジーニョでしょうか。

リオネル・メッシは攻撃的な選手としてサッカー史上最高の個人成績を残していて、また攻撃に備えた体力温存のための「守備免除」の特権を与えられて多くの時間フィールドを歩いて過ごすことで有名ですが、「ファンタジスタ」とは呼ばれません。

メッシは自分がサッカー史上最も好きな選手ですが、自分の目から見てもファンタジスタではなく、思うに彼の持ち味はファンタジーではなくプレイの精度・正確さ(それも「技術=テクニック」です)とスピード・アジリティとの驚異的な両立にあって、あくまでシステムを構成する高精度なパーツとしてのものです。

『クマ撃ちの女』12巻より(安島薮太/新潮社)

本作と関係ないサッカーの話が長くなりましたけど、今巻のチアキの扱われ方は正にサッカーにおける「ファンタジスタ」のようでした。良くも悪くも。

自分はサッカーは「観る専」の素人ですが、狩猟やクマ狩りはそれ以上に更に素人で、チアキのファンタジスタ的な振る舞いの良し悪しはわかりません。

けど、

「猟師全員がチアキのようであっては狩猟の営み自体が社会に認められない」

程度には、おそらくダメなんでしょう。

チアキのメンタルは今巻ラストで復調するきっかけが与えられ、作品メタ的にも三幕構成の第二幕が終わり、「地かたまる」前の「雨」が降り終わったところ。

作品のゴールの形がなんとなく見えてきました。

『クマ撃ちの女』12巻より(安島薮太/新潮社)

ただ、明らかに狩猟に一家言ある作者が、チアキの狩猟におけるファンタジスタ的な振る舞い、簡単に言うとチームのパーツになれない「天才」を、作品のクライマックスにおいてどう扱うのかなあ、というのは、だいぶ興味深いところです。

漫画を通じて狩猟の現場のリアルを知らしめたい(ように見える)作者ですけど、漫画作品を面白くするのは得てして「ひとつまみのファンタジー要素」であることも多く、創り手としては中々ジレンマでしょうね。

 

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*1:猟銃免許取得後、散弾銃所持10年以上が必要