迷宮の主"狂乱の魔術師"によって竜にされた妹・ファリンを追って、冒険者ライオス一行が途中で倒したモンスターを美味しく調理して食べながら下層を目指してダンジョンを進んでいく、RPG世界観の空想グルメ・ファンタジー。
変わり種ファンタジーの中興の祖?「モンスターを料理して食う」というインパクトが強く、またそれが話題になって1巻出オチみたいなブレイクの仕方をした作品ですけど、もともとこの作者の持ち味はストーリーテラーなとこだったよな、といつの間にかストーリーも佳境に。
激闘の果てに迷宮の主"狂乱の魔術師"を倒したライオスたち。しかしそれはカタストロフの始まりだった。
流れで新たな迷宮の主となってしまったマルシルの、"狂乱の魔術師"を遥かに凌ぐスケールの夢・野望・欲望。
「マルシルの夢」+「有翼の獅子の習性」が、エヴァを手に入れた碇ゲンドウもかくやという、ザ・セカイ系。
この13巻と、最終14巻が同日発売。
俺は可愛いと思うし、結構好きだから元気出せ…
連載追っかけてる漫画もそうなんですが、「この先」を知ってるとごっちゃになったり、13巻単品の感想が14巻を読んだ記憶や脳内の感想に引っ張られてしまうので、13巻を読み終わったところで一旦読む手を止めて、これを書いています。
12巻を読み終わった時点では
「あと一冊(13巻)で完結だろう」
と思っていたんですが、予想に反して「あと二冊」でした。
今巻で完結しなかった13巻ですが、ラストが近いからこそ「ダンジョン飯」らしく、というか、シリアスなカタストロフとクライマックスが近づいた今こそ、と言わんばかりにギャグ要素・コメディ要素がこれでもかとぶっ込まれて、凄惨な描写のショックと「セカイ系クライマックスの禅問答の冗長さ」を緩和されて、とても楽しく読めました。
作品のクライマックスが暗く重たいシリアス展開や自分探しの禅問答の一辺倒で、読み返すのが気が重くなる作品、結構ありますもんね。
悪魔たる「有翼の獅子」と契約し、魔王に等しい「迷宮の主」と成ったマルシルだったが、ライオスたちパーティメンバーの決死の説得で改心。
しかし、マルシルの欲望を触媒にダンジョンの外への影響力を強めた悪魔によるカタストロフ、世界崩壊のカウントダウンは始まってしまっていた。
マルシルを「迷宮の主」の座と変な服から解放し世界を救うため、ライオスは自らが新しい「迷宮の主」として悪魔と契約し、悪魔と対峙し、悪魔を退治することを決意する。
しかし…
作劇上は悪魔との対峙ですが、もちろんこれは自分の内なる欲望の限りなさとの対峙でした。
もともと、「竜に食われて死んで消化までされたファリンを蘇生したい」というライオスの欲望から始まった物語。
道中、永い寿命を保つエルフ族のマルシルの、「短命種のライオスたちヒトと共に永遠を生きたい」という欲望も描かれました。
それを「欲望」と呼ぶか、「願い」と呼ぶか、「野望」と呼ぶか、「望み」と呼ぶか、「夢」と呼ぶか。
結構むずかしいというか、漫画などのフィクション、特に「セカイ系」のラベルが貼られた作品群が、度々擦ってきたテーマ。
曰く、「摂理」に従うべきだ。
曰く、「人倫」や「道徳」に従うべきだ。
曰く、「神の教え」に従うべきだ。
曰く、「足るを知る」べきだ。
曰く、なるように成り、結果として世界が滅びてもやむを得ない。
「欲望を自制できない人類には大きすぎる力」
が、しばしば現実のメタファーとして描かれ、多くは「大きすぎる力」が封印され、稀に世界が滅びてきました。
雰囲気エンドで終わる作品も正直多いですし、アカシックレコードを手に取る資格を持たない自分には、知らない誰かが決めたであろう「摂理」が、ぼんやりとしか理解できません。
『カリオストロの城』ではルパンが「俺のポケットには大きすぎらぁ」と韜晦しましたが、ルパンの「ポケット」をこの作品に当てはめれば、ライオスの「胃袋」であろうかと思います。
が、それ以上にこの作品に通底するテーマ、「食」について考えてしまいます。
殺して食べる、食物連鎖。
複数の作品の結末を並べて共通部分から普遍性を取り出そうとすると、物語における「摂理」などにまつわるコアの部分はおそらく、
「人間の個体・群体としての欲望と、他者への慈しみや敬意や感謝との、バランスの天秤」
なんだろう、と当たりをつけています。
それを描くにあたって、最初から「殺して食べる食物連鎖」を伴う「食」をメインテーマに据えたこの作品は、思っていた以上にとんでもなく慧眼だったのではないかと、今更ながら思っています。
「傷つけ(殺して食べ)たくないけど、傷つけないと私たちは生きていけない」
「傷つけ(殺して食べ)ないと生きていけないけど、同時に私たちには傷つけたくないと思う心がある」
この二律背反の矛盾と葛藤の天秤、めちゃくちゃダイレクトに「セカイ系」クライマックスとの相性よくね?これ。
「大切なもの」、「大切にしてくれるもの」が多いほど、「欲望」とのバランスの天秤が「他者への慈しみや敬意や感謝」に傾くのであれば、13冊を通じて「大切なもの」、「大切にしてくれるもの」を既にたくさん手に入れているはずの、ライオスにとってのファリンの蘇生、マルシルにとっての「ずっと一緒に」、の「摂理に反する欲望」あるいは「願い」「夢」の二律背反の天秤は、どう描かれるでしょうか。
ライオスとマルシルの「欲望」「願い」「夢」も、気持ちはすごくわかります。
(そもそも「ファリンの蘇生」はアウトで、「普通の蘇生」はセーフなのか?)
さあ残すは最終巻!
ここに至って待たずに次巻を読めることは、実にありがたい話です。
aqm.hatenablog.jp
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