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あ、今日読んだ漫画

#ヴィンランド・サガ 26巻 評論(ネタバレ注意)

面白い漫画読みたきゃこれ読んどけば鉄板、11世紀前半の北海・ノルウェー海を舞台にした時代漫画。まだ人権とかない時代の話なので戦争・海賊・虐殺・略奪・奴隷などが苦手な人は回れ右。

狂戦士だった若い頃から解脱して不戦・無剣・非暴力って「バガボンド」と似てんだけど、畑耕してるうちに作者が帰ってこなくなったあっちと違って続きが出るって素晴らしい。

『ヴィンランド・サガ』26巻より(幸村誠/講談社)

故郷の村でグズリと所帯を持ち、子をもうけたトルフィン。毎晩、戦士時代に殺した亡霊たちの悪夢にうなされながらも、現実では仲間を募っていよいよヴィンランド開拓計画を具体化させていた。入植にあたり参加希望者にトルフィンがつけた条件は一つだけ。それは…

大雑把に分けると戦争編、奴隷編、を経て開拓編ですが、権謀渦巻き戦乱を舞台にしたアクション活劇だった戦争編の頃と比べると、求められる強さが「暴力の力量や技巧」から「あきらめないこと」「忍耐」「他助」にシフトした感があります。

『ヴィンランド・サガ』26巻より(幸村誠/講談社)

無事ヴィンランドに辿り着き、現地住民とのファーストコンタクトも良好、と開拓が順調な様子が描かれますが、懸案・不穏を複数抱えていて

・トルフィンが禁じた剣(暴力)を手放せないメンバーがいる

・開拓した土地を巡って結局メンバー内で(言い)争いが起こっている

・現地住民が友好から敵対にシフトする予兆がある

・史実で開拓が持続しなかった(数年で撤退した)とされる

今後、「物語」としてこの辺どう描かれていくのか、まだ不透明です。トルフィンの没年もWikipediaでは「?」となってるしね。

『ヴィンランド・サガ』26巻より(幸村誠/講談社)

「武器よ、さらば」もテーマの一つですが、そもそもこの開拓そのものというか「欧州人が新大陸にコンタクトすること自体がどうなんだ」とも取れる描写もあって、なかなか難しいです。

ファーストコンタクトする現地住民がいる時点で、「(誰にも迷惑をかけない)未踏の地」ではなく、程度の差はあれど現地住民からしたら「侵略者」とまではいかなくても「侵入者」ではあるわけで。

なんというか、土地の面積に対する人口の閾値を超えると、というか、地域や種族を問わず「人間が増えすぎ」て自然に対する慎ましさを失ってしまうことが、諸悪の根源のような気もしてしまいますね。

『ヴィンランド・サガ』26巻より(幸村誠/講談社)

欧州の文明が新大陸に接触せずに現地住民による穏やかな発展で数百年が経って現在に至ったらどうだったか、という「IF」も、じゃあ理想郷になっていたかとそうとも限らないんですけど。

歴史上、多勢による迫害が多かった反省などから、少数部族は足るを知り敬虔に自然と共存する描写がされることが、漫画だけを読んでいると多いんですけど、マイノリティを無謬として絶対化するのもまた違うだろ、とは思うんですが。

まあそれはそれとして、

『ヴィンランド・サガ』26巻より(幸村誠/講談社)

これはちょっと泣く。

トルフィンの「強さ」もさることながら、赦す側もまた「強さ」なんですよね。

 

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