大丈夫かなこの表紙。アドセンスのポリシー的にw
美大生の男2、女3の男女5人が部屋にタムロして就職活動から目をそらしつつ酒飲んでバカ話しながらゲームしてだらしないカッコで雑魚寝したりする、全体的に暇すぎるモラトリアム日常漫画。
踏んでる、雑すぎてカカトで乳踏んでる!
色々だらしなさすぎてヤッてても不思議じゃないけど、度胸もないのでヤッてないという無駄な青春。全然嬉しくないエロ満載。
7割方セックスの話してんですけど登場人物が誰もセックスしないという、登場人物も読者も含めて誰も得してないという。作者の一人勝ちやな。
最終巻。
モラトリアム漫画の描かれ方というのは、吸い物の作り方に似てると思います。
作品の主題や魅力は「モラトリアム描写」そのものなんですけど、「物語」にするために多かれ少なかれサブのテーマが終盤、特に最終巻に近くなると描かれることが多いです。
サブのテーマは、恋愛だったり、青春だったり、卒業だったり、別離だったり、将来だったり、懐古だったり、作品によっていろいろです。
「終わらない日常の夢」だったりする作品もあります。
昆布の出汁の味だけだとぼんやりして舌の印象に残らないので、塩で味を仕上げて「料理」になる、みたいなことかなと思います。
ダラダラ他愛なくくだらない日常モラトリアムを描くことが目的の作品でも、だからこそ終わる時に「ちょっとした事件」「ちょっと切ない」を塩代わりに入れたくなるのが人情とでもいうか、例外はとても少ないです。
モラトリアム描写だけだと印象に残らないので、サブテーマで成長や恋愛や追憶を入れることで、オチがついて印象をキリッとさせて「作品」「商品」になる、「この漫画、面白かったな」と印象に残らせる、的な。
自分もモラトリアム日常ものの「ちょっとした事件、ちょっと切ない最終回」が大好きです。
さて。
「美大・芸大もの」というのは、地味に漫画の一大ジャンルです。
才能・研鑽・切磋琢磨・情熱・将来・モラトリアムなど、青春要素を盛り込みやすいモチーフだということもありますが、なにより単純に美大・芸大出身の漫画家が非常に多いです。
前段階の受験も含めてあらためて取材する必要が少ないですし、クリエイターでなくてすら、誰しも自分の青春時代の写し絵をストーリーにして作品として残したいものです。
作中、その要素がほとんど描かれませんでしたが、実はこの作品も「美大・芸大もの」でした。本作の舞台のモデルは作者の出身校の東京造形大とされますが、出身の有名人はこんな感じ。
www.minkou.jp
他、
(美大名・芸大名) 漫画家
でググると、大抵どこの大学も見覚えのある作家がゴロゴロ並んでます。
やっぱり情念が籠もるのか、「美大・芸大もの」の漫画には私小説的な青春漫画の名作が多いです。「美大・芸大出身の漫画家の作家キャリアで一度だけ許される、自分語り(私小説)の切り札」みたいなとこがあります。
んで。
前述のとおり、美味しい「塩」が各種取り揃えられている「モラトリアム」の「美大・芸大もの」がモチーフであるに関わらず、この作品は最後まで塩を入れないまま、ダラダラと他愛なくくだらない、「なんか昆布の味がするお湯」のまま終わりました。
彼らは卒業もしませんでしたし、誰かが誰かとくっつくでもなく、なんの事件も起こらず、ある意味ぶつ切りでただ音信が途切れるように終わりました。
作者はこの作品に、情熱も成長も別れも教訓もストーリーも、何も与えようとはしませんでした。
『スタンド・バイ・ミー』のように「そして〜年後」にも飛びません。来月しれっと10巻が出ても不思議じゃないような、日常モラトリアムな終わり方。
歳のせいか、「なんか昆布の味がするお湯」のまま終わったこの作品が妙に沁みます。
ただ自分のモラトリアム期と重ね合わせて懐かしむのも、「こんなくだらない日常ですら自分にはもう帰ってこない青春なんだ」とナルシスティックに慨嘆して切なくなるのも一つの手でしょうし、「塩を入れたらどんな味だったか」「味噌を入れても良かったかもしれない」とドラマをあれこれ幻視する楽しみもあるだろうと思います。
ただ、「昆布味のお湯うめえ」というか、事実として塩で仕上げなかったが故に、料理として完成せず全ての可能性が確定しなかった(ある意味「逃避した」)ことによって、普遍性を持ったというか、そこはかとなくモラトリアムの体現だなー、ってとこが、自分は「好きだなー」と思います。
将来どうなるかも、どうなりたいかも、よくわからんもんね。
強いて言えばこのコマが「一粒だけ入れた塩」かなー。
決して事前の予想を覆す終わり方ではなかったですし、残り33%がなんだったのかも語られませんでしたけど、こうして終わってみると、自分はこの漫画が思いの他、大好きだったみたいです。
くだらなくてしょーもなくて、とても居心地の良い漫画でした。
aqm.hatenablog.jp