岩倉美津未(いわくら みつみ)、15歳(その後16歳)。
「石川県のはしっこ」、学年8人の中学から、東大法学部卒・中央省庁官僚を経て地元の市長となる大志を抱いて、叔父の住む東京の「高偏差値高校」に進学。
同級生8人の中学とはまったく違う大都会・東京の高校の人間関係、クラスメイトたちの「珍妙な田舎者」という視線が突き刺さる、予定に反してあまり順風満帆とは言えない高校デビュー・東京デビューと、思われた、が。
東京のクラスメイトたちは思ったより優しい良い人たちだった…
という学園青春もの。
「楽しい日々が始まったよ」
「きっと素敵な高校生活が待ってるよ」
と、まるで誰かを励ましているかのようで、タイムスリップして高校生活をもう一度過ごすのも悪くないなあ、なんて思ってしまいます。
俺も美津未のクラスメイトになりたいわ。
今巻から高校2年生編。
読んでて我が事のようにドキドキしてしまう、クラス替え。
1巻の感想でこんなことを書いて
文字数を節約しようと思えば、
「カースト上位のポリコレ力高いイケメンとギャルに『面白れー女』として気に入られたいなかモンの妙ちきりん女子がスクールカーストを解体する(かもしれない)話」
と要約することも可能かもしれませんが、あんまりそういう手垢のついたチープな単語たちでこの作品を汚したくない、と思ってしまう、楽しくて優しい作品。
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そのことに対して3巻の感想でこんなことを書いたんですが、
なんて感想に書いてたんですけど、3巻にして早くもスクールカーストなんて影も形も見えなくなって、美津未もすっかりクラスと友達に馴染んて、高校最初の夏休み。
勝手な展開予想した予断なんて、アテにならんもんやねw
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今巻でめっちゃ「スクールカースト」「面白れー女」とか、自分が「手垢のついたチープな単語たち」と呼んだ単語が出てきてしまいましたw
そりゃ意識してるよなw
「スクールカースト」はまあネガティブな言葉だけど、教室の中で自然発生してしまう現象・概念を指すのに便利な言葉ではあります。
漫画でも「スクールカースト」を扱う作品は多くて、「壊す」「飛び越える」「逃げる」など、いろんな対峙の仕方が描かれてきたんですが、この作品、ここまで意識して読んできたつもりなんですが、「スクールカースト」って言葉自体は確か前巻までには登場してなかったんですよね。
1〜2巻で美津未がさくっと乗り越えてしまって仲良しクラスに馴染んでなってしまったので、
「ああ、この作者は『スクールカースト』を『相手にしない』ことで飛び越えさせようと決めているのかな」
言葉は出てこなかったけど描写としては初期のミカちゃんとか「スクールカースト」の権化みたいなキャラでしたけど、「名前を呼んではいけないあの人」とはちょっと違う意味で、「スクールカースト」という言葉を出さないことで、その存在を「無価値なもの」として美津未に「相手させない」まま「踏み潰させる」ことにしたのかな、
と勝手に思ってたんですけど、今巻クラス替えで人間関係の距離がシャッフルされて再編成されたことで、「スクールカースト」という言葉がいきなり繰り返し出てきましたw
その意気や良し!と勝手な想像に基づいた賛同のつもりで「手垢のついたチープな単語たち」と書いちゃったけど、もちろん作者や作品をDISる意図はないんですけど。
実にイヤな言葉なんですけど、現実を映した言葉だし、しょうがないね。
1〜2巻で美津未の東京デビュー・高校デビューが人の縁と運にだいぶ恵まれたものだったことに、作者が思ってた以上に自覚的だったんだな、とも思いました。
我々と変わらない、けっこう俗っぽい思考のバックグラウンドの上でキラキラした話を描いているんだな、と思うと、逆に作者に妙な親近感が湧いてしまいますね。
そもそもド天然でこんな漫画描けるわけはないんですけど。
結月が仲良し組の中では唯一クラス替えでソロで新クラスに臨むことになったのが、ちょっと悲しいです。
一番独りにしちゃいけない子だと思っていたので。
だからこそ作者も結月を独りにさせたんでしょうけど。
陰キャやぼっちで相手にされないのもしんどいでしょうけど、生きてるだけで意図せず他人の欲望の対象にされて嘘をつかれたり付き纏われたり妬まれたり嫉まれたりも、また違った意味で大概しんどいと思うのよ。
「自慢風なんとか」扱いされて理解も同情もされにくいし。
頼む作者〜、結月は幸せにしたってくれ〜。
結月以外のクラスメイトが全員転校していなくなったとか無茶な展開でもいいから、今からでもいいから美津未と誠のクラスに替えてやってくれ〜。
とか思ってたら、え?
急に、なんなんお前らw
読んでるこっちの心の準備がまだなんですけどw
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