凄腕スパイ・暗号名「黄昏」に下った新たな指令は、妻と新小学生の子どもを調達して敵国の名門校のPTAに潜入し、平和を脅かす危険な黒幕に近づくこと。
任務のために孤児院で適当に選んで引き取った娘・アーニャは、他人の心が読める超能力者だった。
ひょんな縁からトントン拍子で任務のために妻に選んだおとなしげな美女・ヨルは、凄腕の殺し屋だった。
互いに正体を隠して家族になった3人。人の心が読めるアーニャだけがひとり全てを知り、新しいスパイの父と殺し屋の母に「わくわくっ…」としていた。
「ハードボイルド+ファミリーもの」の二面性を持つ作品。
「ハードボイルドもの」と「ファミリーもの」はエンタメにおいて相性が良いんですけど、その相性の良さは主人公の葛藤によるもので、「主人公の葛藤」ということはつまり本人的には「スパイ」と「ファミリー」って相性が悪いんですよね。
「相性の悪さ(葛藤)をコミカルに楽しめる」という意味で相性が良い、というか。
アニメ人気も含めて『SPY×FAMILY』という作品の需要のされ方は、
「(アーニャのような)子どもも楽しめるハードボイルド・コメディ作品」
のようなイメージで良くも悪くもある程度の枠が決定づけられてしまったようなところがあります。
今巻は、前巻の二重スパイ編の決着、日常エピソード群、そして「オペレーション<梟>」の成功がかかる(そうか?)アーニャの期末試験へ。
日常エピソード群はアーニャを中心とした楽しいファミリー・コメディですが、戦後数年の世界だけあって、戦争、もっというと「身近な死」が常に作品に昏い影を落とし、「子ども向けファミリーコメディ」としてはスパイスが効きすぎというか、ノイズに感じる向きもあるかもしれません。
商業エンタメ漫画はもちろん道徳の教科書ではないんですが、この辺、「冷戦」、「スパイ」、「殺し屋」、「超能力」、「孤児」というモチーフを(「安易に」とは言いませんが)用いて、子どもも含めて世界的人気作品になってしまったこと、そのムーブメントの最中でロシアによるウクライナ侵攻が発生したことに伴う、作者の
「世界中の子どもたちが見ている前で、『戦争』をエンタメの具として弄んで消費する『だけ』の姿を見せられない」
という、懊悩や責任を感じてしまいます。
同時に、アーニャとヨルとの生活を通じて、スパイとして「ぬるく」「弱く」なっていく梟が、作品そのものと重なって見える気もします。
ロイドは今回手を汚していないんでしょうけど、誌面に描かれていないだけで、今回捕らえたウィーラーを誰かが拷問してるんですよね。
大人たちがそうまで闘争してでも、避けたいもの、守りたいもの、譲れないもの。
ダーク要素の描写が効き過ぎのスパイスやノイズ扱いされても、「ハードボイルド+ファミリーもの」の二面は、
作者にとっては自明のものとして表裏一体なんだろうと。
aqm.hatenablog.jp
akibablog.blog.jp