AQM

あ、今日読んだ漫画

#藤本タツキ短編集 22-26 評論(ネタバレ注意)

「ファイアパンチ」、「チェンソーマン」でブレイクした藤本タツキの近年の短編集。

初期短編集「17-21」に続いて刊行。

一冊の中に人間の喜怒哀楽が詰め込まれたような短編集。


「人魚ラプソディ」

f:id:AQM:20211104233950p:plain

「藤本タツキ短編集 22-26」より(藤本タツキ/集英社)

港町で父親と暮らす少年トシヒデは、学校をサボっては海に潜り海底に沈むピアノを弾いていた。海には美しい少女の姿をし人を食う人魚たちがいた。ある日、一人の人魚が、トシヒデの奏でるピアノに惹かれて近づいてくる。


「目が覚めたら女の子になっていた病」

f:id:AQM:20211104234005p:plain

「藤本タツキ短編集 22-26」より(藤本タツキ/集英社)

少年トシヒデはある日目覚めると女の子になっていた。学校でからかわれるトシヒデを、彼女のリエとその兄のアキラは鉄拳で庇うが…


「予言のナユタ」

f:id:AQM:20211104234021p:plain

「藤本タツキ短編集 22-26」より(藤本タツキ/集英社)

少年ケンジの家に生まれた妹ナユタは、巷の魔法使いたちが「やがて世界を滅ぼす」と予言した「予言の子」だった。少女に育ったナユタは相変わらず言葉が通じず、また小動物を殺す癖が直らなかった。


「妹の姉」

f:id:AQM:20211104234039p:plain

「藤本タツキ短編集 22-26」より(藤本タツキ/集英社)

光子のが通う美術学校の玄関に、学校主催コンクール金賞作品として飾られたのは、妹が想像で勝手に描いた、光子の裸婦像だった。光子は学校に、そして妹に抗議するが…


「妹の姉」の作品後書きで「ルックバックの下敷き」と書かれているように、後の作品のプロトタイプ的な描写が多々登場する短編集。

ナユタのぐるぐる目は「チェンソーマン」のマキマのようでもあり、ツノはパワーのようでもあります。

また、今巻収録作品に限らず、愛情の対象を捕食する描写が度々登場する作家でもあります。「ラブ&セックス」ならぬ「ラブ&捕食」という感じで、まるでそれ自体が一編の短編作品のような今巻のあとがきでも、愛情の対象を食べる描写が出てきます。

愛情の対象に対する食欲の描写は、近年だと「BEASTARS」、少々古くは「レベルE」なんかを思い出します。手塚治虫にも何回か出てきた気がする。

「愛と暴力と捕食」というのは藤本タツキの描きたいモチーフというか、業なのかもしれないな、と思います。

あとがきの話の真贋は不明というより自分はどっちでも良いと思います。漫画家のあとがきが創話であってはいけない理由はないし、藤本タツキはいかにもテキトーな作り話をあとがきに書いて韜晦しそうな作家、という印象もあります。


連載作品や前巻で出てきたような理不尽な暴力描写が必ずしも含まれるわけではありませんが、連載作品の長編、中編、短編をひととおり読んでみると、藤本タツキ作品のある種の共通点が浮かび上がってきて、序盤のシュールで理不尽な導入から、シュールで理不尽なまま中盤が展開され、シュールで理不尽なまま終盤に突入しますが、最後はとても優しく美しい結末、ビターであってもバッドではないエンディングを迎える作品が多いように感じます。

シュールで理不尽な描写が話題になりがちな作家ですが、本質的にはナイーブで優しい感性の作家さんなんだろう、と各作品の結末を見て思います。

この作品群ぐらい誇張された理不尽の方が、却ってリアリティのような生々しさを備えてしまうのは少し不思議な感じがします。読者の側が「理不尽馴れ」してるせいかもしれないな、と思ったりします。

現代的な感覚なようでいて、現実が理不尽なのは実は今に始まったことではなく、意外と時代を超えた普遍性を持つ感覚なのかもしれないなあ、と思います。理不尽によって人生が壊される確率というのは、おそらく近代以前の方が高かったのではないか、と。

あといわゆる「萌え絵」ではないように思いますが、不思議と女性キャラクターがとても魅力的に可愛く見える描写をしますね。


「藤本タツキは天才だ」と書くだけならそれ自体は簡単なんですけど、これを書くのは同時に「自分は天才を理解できる人間だ」と宣言することに等しく、藤本タツキを褒める意図より「藤本タツキの天才を理解できる自分アピール」の方が強く感じられて、できるなら避けたいことです。なんか上から目線感というか。

なにより、藤本タツキをなぜ天才だと思うのか、分解して言語化する知識や技量を自分は持ちません。

ですけど、直感というか自分の心の深いところが「こいつは天才だ」と叫んで止みません。

世の中、もっと爆笑したり号泣したりする作品は他にたくさんあるはずなのにね。余韻、「心の残り方」というか。


藤本タツキは確か現在20代後半で、何事もなければ今後30〜40年近く自分は藤本タツキの作品を読んでいくことになるわけで、いま現在の活躍が既にピークなのかどうか、今後さらなる名作を生み出して何十年後かには「チェンソーマン」などが「キャリア初期の荒削りな佳作」扱いされていくのか、楽しみな作家ですね。

そういえば確か漫画創作初期からジャンプ編集の林士平氏と二人三脚でここまできた作家だと思いますが、ジャンプの担当編集システムは代替わりしていくことでも知られ、林士平氏も編集の現場にいつまで居られるかわからない(「出世」という意味です)以上、担当編集が林士平氏でなくなったときに藤本タツキの作風がどう変わるのか、「リオネル・メッシがバルセロナを離れたらどんな活躍をするのか」みたいに、楽しみなような、ずっと林士平氏が担当編集で変わらないで居て欲しいような、少々複雑な心境だったりします。

「チェンソーマン」の完結、「ルックバック」、そして短編集の刊行と、まるでこれまでの創作活動の総決算をやっているかのようですね。

 

 

aqm.hatenablog.jp

 

aqm.hatenablog.jp